小 熊 座 2008/9  小熊座の好句
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        小熊座の好句
      高 野 ムツオ



     喜雨待ってゐる墓原の光かな      田中 哲也

     どこのどんな村の墓原であっても、この句の重さは揺るが
    ないが、句ができた場所が、栃木であると知ると、その感慨
    は、また格別となる。なぜなら、栃木は足尾鉱毒と闘い続け

    た田中正造の国であり、その田中が死ぬまで守り続けた谷中
    村があるからだ。谷中村の歴史の詳細をここで述べることは
    できないが、谷中村はわが国初めての公害ともいえる足尾の

    鉱毒によって、立ち退きを迫られた村。二千五百名以上の住
    民が住み処を追われ滅ぼされた村だ。田中正造は衆議院議院
    を辞し、明治天皇に直訴するなど、弾圧に耐えながら約百名

    の村民とともに死ぬまでこの村を守り続けた。二十世紀の幕
    開けの頃の出来事だ。昨年、私も栃木句会の連衆に案内され
    谷中村の跡を訪れたが、当時の村が偲ばれる住居跡や墓が今
    も存在している。

    だから、この句の墓原はどうしても私の中で谷中村のそれ
    と重なる。谷中村はむしろ洪水に悩まされた村だから、この
    句の「喜雨」とは違和感があるという指摘もあろう。しかし、

    洪水と日照りは表裏一体。かつての農民は、この二つの天災
    に命運を左右されながら、ひたすら耕し生き続けてきたので
    ある。私には、この句の「喜雨」が実際の雨であると同時に、

    鉱毒そのものを浄化してくれる天の恵みでもあるかのよう
    に感じられる。その喜雨を谷中村の墓原はひたすら光を放ち
    ながら現在も待ち続けているのだ。  
      

    南風や恋したまへる山と山       渡部州麻子

     山と山が恋する話は昔からたくさんある。有名なのは香具
    山が耳成山と畝傍山を巡って争った話。万葉集にある。みち
    のくでは、岩手山が姫神山を巡って早池峰山と仲違いをした

    話がある。山々を神として、また我ら人間の同胞として畏敬
    し慈しんだ遠祖のロマンが生んだものだ。そのロマンを、折
    からの南風に想像の翼を拡げているのが掲句。愛媛在住の作

    者だから、瀬戸内の島々の山、いや、さらに南の沖縄や八重
    山の島々の神々の恋を思い描いているのかもしれない。

    合掌は木の葉のかたち星月夜      大澤 保子

    栗の花匂ふ畸形の列島は        古山のぼる

    豚は丸牛は四角にさみだるる      土屋 遊蛍

    麦の秋風の形の凹みかな        大野 黎子


     形にこだわった佳句を四句。一句目は静謐浄化の空間に祷
    りの思いが籠もる。作者自身が一本の木と化しているかのよ
    うだ。二句日は批評性がしたたか。栗の花が濃密であるだけ、

    畸形の有り様は傷ましいが、しかし、それゆえの生命力も感
    じられる。三句日は思わず破顔。まるで漫画に描くれたよう

    な豚や牛がユーモラス。四句は麦畑が風に凹んでいると安易
    に納得しない方がよさそう。あくまで見えないはずの風の形
    が見えているのだ。








  
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