小 熊 座 2008年12月号 283 小熊座の好句
 
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小熊座の好句    高 野 ムツオ
                   


    しゃかりきという力あり秋夕焼    佐藤きみこ

   寡聞にして知らなかったが、「しゃかりき」は漢字で「釈
  迦力」と表記する。これはどうやら、釈迦の初めの説法を
  「初転法輪」と呼ぶことと関係があるらしい。法輪は仏法が

  人間の迷いや悪を打ち破ることを、古代インドの戦車のよう
  な武器である輪にたとえて表現した言葉。「転法輪」は、そ
  れが転げ回って敵を蹴散らすように釈迦の教えが衆生に広

  まったことを意味したのだ。そうした釈迦の偉大な力を畏敬
  をこめて「釈迦力」と呼んだらしい。真偽のほどはわからぬ
  が、これが「しゃかりき」の語源であろう。しかし、この話

  は余りに有り難過ぎて、私などが使い慣れてきた「しゃかり
  き」のイメージとはだいぶ径庭がある。この言葉にこめられ
  た思いは各人さまざまで、それであっていいわけだが、戦後

  すぐ生まれの筆者などは、「しゃかりき」といえば、戦後の
  貧困の中で歯を食いしばって働き、ささやかな家庭のささや
  かな生活を築き守ってきた名もない父たちの生命力そのも

  のがまず脳裏に浮かぶ。そして、不遜を承知でいえば、その
  力の方がお釈迦様の力よりも、身近で得難い功徳があるよう
  に感じられるのだ。おそらく、作者もそう思っているに違い

  ない。そして、その「しゃかりき」と形容するにふさわしい
  力が、現代の父親たち、いやに家庭や家族それ自体から、失
  われていることを悲しんでいるのだ。秋夕焼の美しさは、そ
  の悲しみの美しさに他ならない。



   ぼろ布のやうな豊かさ雪が降る    大澤 保子

   「ぼろ布」も、かつては身近にあふれていたが、今や失わ
  れてしまった物の一つといえよう。ぼろが無くなったことは、
  それだけ生活が豊かになったことで、喜ばしいことに違いは

  ないが、同時に、豊かであった別の何かが失われてしまった
  のではないか。経済の発展の過程を突き進むうちに、人間は
  取り返しのつかない忘れ物をしてしまっているのではない

  かと不安になることがある。この句の作者も、その事を実感
  している一人だ。だから、今、しんしんと降り続ける雪に、

  豊かさを、それもぼろ布だけが包み込んでいる豊かさを感じ
  ているのだ。セントラルヒーティングや床暖房では得られな
  い暖かさを「ぼろ布」は確かに与えてくれるのである。



   生きるとは小道に躍る猫じゃらし    澤口 和子

   思想など無くて行動根切虫        田中  満

 
   この二句を支えているのも、おそらくは「しゃかりき」と
  呼べる、生きる力であろう。そこは、人に愛でられる美しさ

  や難しい人生観などとは無線な世界だ。ただがむしゃらに一
  途であること、そのこと自体にかけがえない輝きが生まれる
  世界といえようか。



   難しいことを易しく新松子       中鉢 陽子

   この句は井上ひさしの名言が下敷き。「難しいことを易し
  く、易しいことを深く、深いことを面白く」。そのまま俳句
  表現の奥義であろう。



  
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