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 小熊座・月刊 
  


   2009 VOL.25  NO.295   俳句時評


      寺田寅彦的俳句論          大場 鬼奴多


  先日の朝日新聞・五島高資氏の「俳句時評」−日本を救う俳句−の末尾にあった

[俳句の亡びない限り日本は亡びないと思う]という文言に目が止まった。 

  言葉の主は寺田寅彦(1878〜1935)。少年時代を高知で過ごし、熊本の旧制

五高で夏目漱石に英語を学び俳句の手ほどきを受けた。その後東京大学物理学科

で理学博士の学位を得て、ドイツ留学ののち1916年に東大教授。地球物理・気象・

地震・海洋など多方面にわたって研究をつづけた。「冬彦集」「薮柑子集」など文学的

な香りと科学精神とが調和した随筆を多く書いた。鳶がどのようにして100メートルの

上空から油揚のありかを察知するか。鉛をかじる虫の話。電車で老子に会った話。ピ

タゴラスが豆を避ける話も面白い。


    花鳥風月を俳句で詠ずるのは植物動物気象天文の科学的事実を述べるので

   はなくて、具体的な人間の生きた生活の一断面の表象として此等のものが現わ

   れるとき始めて詩になり俳句になるであろう。


  「天文と俳句」における寺田の俳句観だ。俳譜という極小の詩を、日本の詩全体、

言い換えれば日本人の精神文化を代表するものにまで高めたのは、いうまでもなく芭

蕉である。かつて寺田は「俳譜の本質を説くことは、日本の詩全体の本質を説くことで

あり、やがてはまた曰本人の宗教と哲学をも説くことになるであろう」と断じた。 

  自然と人間とを別々に切り離して対立させるという西洋の物質科学的態度に対して、

日本人は人間と自然を一緒にして、それをひとつの有機体と見ようとする傾向を持って

いる。別の言い方をすれば、自然を征服しようとするのが西洋人で、自然に同化し順応

しようとしてきたのが日本人ということになる。この自然観の違いが一方では科学を発

達させ、他方では俳句というきわめて特異な詩を発達させたと寺田は指摘する。

  寺田は芭蕉の「荒海や佐渡によこたふ天河」の句をとって考えを展開する。この句

を科学的な態度から見た客観的写生的描写だとみれば、短い記載的センテンスであ

って、一枚の絵画の最も簡単な説明書き以外の何者でもないが、掲句が多くの日本人

にとって美しい詩であり得るのはどういうわけか。一句の表面には顕わな主観は極めて

希薄であり、「よこたふ」という言葉にわずかな主観の匂いを感じるのみだ。寺田は続

ける、「荒海」は単に航海学における波高く船行くに危険な海面ではない。四海に海を

巡らすわが国の遠い祖先からの海の幸いと災いの記憶であると。荒海は一面において

我々の眼前に展開する客観の荒海でもあると同時に、我々の頭脳を通してあらゆる過

去の人々の心にまで広がり連なる主観の荒海でもあると。 

  春雨・五月雨・時雨、花曇り・霞、秋風・野分・二百十日。俳句の季題とよばれる言

葉は、日本人が莫大な空間と時間との間に広がる無限の事象と、それに繋がる人間

の肉体と精神の活動の種々相を極度に圧縮し、煎じ詰めたエッセンスである。


    こういう不思議な魔術がなかったとしたら、俳句という十七字詩は畢寛ある無理

   解な西洋人の言ったようにそれぞれ一つの絵の題目のようなものになってしまう。



  日本人の自然観の特異性と日本古来の短い定型詩の存在とその流行によって、

我々の感受性が養われてきたのは間違いない。詩形が短い、言葉数の少ない結果と

して、その中に含まれた言葉の感覚の強度が強められ、言葉の内容が特殊な分化と

限定を受けることになる。つまり、俳句は純粋な短詩の精神を徹底的に極度まで突き

詰めたものだ、ということになる。


    俳句とは自然と人間との交渉を通じて、自然を自己の内部に投射し、また自己

   を自然の表面に映写して、さらに一段高い自己の目でその関係を静観するので

   ある。


  なるほど「山路来て何やらゆかしすみれ草」でも、菫と人とが互いにゆかしがってい

るのを傍らからもう一人の自分が静かにながめている自分が感じられるわけだ。

  春は花、秋は紅葉。花見といい、月見・雪見という。日本の自然は四季を通じて変

化に富み、至る所に景勝をそなえている。人間が自然の中で、人間であり続けてきた

歴史のように、自然との交感は人には欠かせない糧である。自然によって喚起され、

救われた人間の視点、あるいは自然の胎内に帰ったような感覚。西洋から見れば、

日本人ほど詩人的な国民はいないという。寺田の自然観は日本の自然の優美さに着

目し、これを人間の心を慰めるための救済者とみなした。


    少なくも人間の思想が進化し新しい観念や概念が絶えず導入され、また人間

   の智恵が進歩して新しい事物が絶えず供給されている間は、新しい俳句の種の

   尽きる心配は決してないであろう。



  自然の諸現象を注意深く見つめれば、自然はおのずからその秘密を打ち明けてく

れるこの自然のあたえてくれた素晴らしい素材と、自然のもたらす恩恵と。


    蝸牛の角がなければ長閑かな          寅彦


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