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       馬の目の湾に誘われて

    ―  シオーモの小径に鬼房の句碑  ―     阿 部 流 水


  真冬に逆戻りしたかのような涅槃西風の吹き荒れる日だった。三月十七日、塩竈市の

 海岸通に鬼房の新しい句碑がお目見えした。鬼房夫人のふじゑさんと長女山田美穂さん

 が除幕すると、〈馬の目に雪ふり湾をひたぬらす〉の一句が現れた。句碑は塩竈湾を向き

 鬼房が二歳まで育った釜石をも向いている。



 命の深みを湛える馬の目と、人々の暮らしを映す湾とが降雪の中で溶け合うイメージ。

 その湾に真向かいながら俳句を詠む鬼房の姿が重なる。春を内包しながらもまだ冷たい

 西風は、ヒューマニズムに裏打ちされた鬼房の苛烈な精神に相応しいと思った。実景に立

 って鬼房俳句に対面できるありがたさ。塩竈市は「寒暮の碑」と「鬼房小径」に続いて、何

 とも素晴らしい顕彰碑を整備したものだ。

  「馬の目」の句碑は、明治以降に塩竈を訪れた文学者九人の海や港に関する文学碑と

 市役所前から移設された「築港の碑」(明治十五年から十八年までの築港工事顕彰碑)と

 並んで「みなと広場」の散策路を構成している。名付けて「シオーモの小径」。宮澤賢治が

 童話「ポラーノの広場」に書いた塩竈のエスペラント風呼び名だ。賢治は明治四十五年、

 修学旅行の途中に石巻から船で塩竈に来て七ヶ浜に泊まった。その後、汽車でセンダー

 ト(仙台)にも寄った。ちなみに鬼房、賢治以外の文学者を列挙すると、正岡子規、田山花

 袋、与謝野寛、与謝野晶子、斎藤茂吉、若山牧水、北原白秋、高橋睦郎である。


  文学碑の内容もジャンルも多様だが、「海や港をモチーフにした短歌、俳句、紀行文、

 童話によって、塩竈の近代から現代までの面影を象徴的に表したもの」(佐藤昭塩竈市長

 挨拶)を選んだ。碑の配置は「地元俳人鬼房が、塩竈を訪れた文学者たちを迎え、〈夢幻

 能〉のごとく、問いかける構図」になっている。さらに、子規の碑は俳句に詠まれた籬島の

 方角を向き、高橋睦郎の歌碑はザルツブルグを、他の文学碑はそれぞれの出身地を向

 いている。賢治の碑のレールと敷石は旧塩釜駅で使われたもの、茂吉や睦郎の碑にはデ

 ザイン化した塩の結晶も使われた。


  テーマの統一性といい、細部の創意工夫といい、芸が細かい。見所の多い、優れた文

 学広場だ。場所もJ R仙石線の本塩釜駅に近く、マリンゲート塩釜に隣接している。市民

 の憩いの場として、観光スポットとして人気を呼ぶに違いない。「鬼房の小径」の除幕の時

 には道路整備の予算で造ったことに感心したが、今度も港湾整備の予算だったようだ。

 土木関係予算で文学碑を建てるとは公共事業として出色のことと言えよう。


  それにしても、彼岸の入りを迎えようというのに、何という風の寒さだ。烈風は参列者の

 骨身に沁み、シオーモの小径の出来栄えの良さとともに一層強く印象に残った。除幕式の

 前半である主催者の挨拶や来賓の祝辞などはマリンゲートの室内で行われたが、碑の除

 幕とお披露目だけは碑を巡りながら外で実施するほかない。主催者の佐藤昭塩竈市長、

 碑の解説をした渡辺誠一郎氏らは強風をものともせずに参加者を先導した。参加者も熱

 心に説明を聴き、碑を見て歩いた。


  神奈川県からやって来た詩人の高橋睦郎氏の姿も印象的だった。高橋氏は除幕式で

 祝辞を述べ、自らの文学碑の除幕に立ち会った。福岡出身だが鬼房との交友が深く、塩

 竈をたびたび訪れている。氏の碑に刻まれた短歌二首には塩竈の塩(千賀=近の塩)と

 ザルツブルグの塩(遠の塩)が詠み込まれていて味わい深い。



  夜は「歌とみちのく」と題する高橋氏の文芸講演会が塩竈市民図書館で開かれた。みち

 のくがどう詠われたかについて、高橋氏は万葉集、古今集、斎藤茂吉、山口青邨、鬼房と

 辿りながら概説した。古歌では歌枕として観念的にみちのくを詠み、茂吉や青邨は東京に

 出たみちのく出身者であり、思い出の地としてみちのくを描いた。鬼房だけは土着しなが

 ら独自の存在感を込めてみちのくの俳句を作った。鬼房のような実感でみちのくを詠うの

 が今後の詩歌の向かうべき方向ではないか―。

  高橋氏は講演をこう結び、共感を呼んだ。   



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