小 熊 座 2011/3   bR10 小熊座の好句
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    2011/3   bR10 小熊座の好句  高野ムツオ



    白雲に乗るため蕪土を出る      我妻 民雄

  蕪は日本書紀にも記述がある、古くから渡来した食用植物である。一説では大根

 よりも古いらしい。蕪は大根同
様、大きくなると、畝の土を自らはだけるように姿を現

 す。
まさに片肌を脱ぐといった具合。この句は、その様子を、蕪が白雲に乗るためだ

 と見立てた。冬の関東平野あたりが
想像できる。「青雲の志」の青雲は青空のことで

 いわゆ
る立身出世の意味だが、ここでは、そんな世俗的なことではない。むしろ、俗

 界の関心事からは遠い思い。たとえ
ば、山村暮鳥の世界である。ただ何も考えず、

 それこそ途
方に暮れるまで空を漂う、そのために雲に乗るのである。蕪の語源の一

 つに「頭(かぶ)」があるが、そうであれ
ば、まるで男の子が土の中から頭を出したか

 のようにも思
える。かつて幼児の頭は健康を願い、より艶やかな髪が生えるように剃

 髪にする習慣があった。とすれば、蕪は、そ
のまま幼児の頭だろう。間引きなどで亡

 くなった子供の頭
と想像するのは、明らかに私の深読みではあるが。

    風花や飛膜展げて逢いにゆく     土屋 遊蛍

  飛膜とは、鳥類を除いたコウモリやムササビなどの脊椎動物が滑空したり飛行した

 りする際の、よく発達した皮膚
をいう。ここでは風花のイメージに重なるから、ムササ

 ビ
のような滑空ということだろう。この句に哀れが漂うとしたら、それは「逢いにゆく」と

 いう高ぶりと、飛膜の、
あっというまに地べたに到着してしまう、はかなさとのギャップ

 による。つまり、どうあがいたって飛膜では恋人
の元にはたどり着けないのである。

 たとえ、やっとのこと
でたどりついたとしても、その時には、もう恋人は羽の翼をもった

 別の女性のものになってしまっている。哀れは、
飛膜の飛ぶ力のはかなさがもたらす

 のである。もう一つ。この恋心が、もし、あるかけがえのない純粋さを読み手に与える

 としたら、それは風花のイメージによる。風花が生
まれるには、強い寒気、適度に強

 い風、さらに遠方の山岳
地帯に風雪が起きる、この三条件が不可欠なのである。こ

 の条件の元に雪の一片一片の結晶が全く損ねられることなく目前にたどり着き、そ

 の結晶の一つ一つをもし肉眼でと
らえることができたなら、我々は、その結晶が目に

 は見え
ない飛膜を拡げていることを知ることができるだろう。実際、雪の結晶は、そ

 のような形をしている。そんなことま
で、この句は想像を誘うのである。

    あめつちの黙契の音霜柱        佐藤きみこ

  仙台例会で話題になった作品。霜柱が天地の黙契として生まれたというのは観念

 ではないかという批評があった。
なるほどその通りだと私も思った。しかし、作者の感

 動は、
その霜柱が生まれる瞬間の音に集中している。聞こえないはずの霜柱誕生の

 音。それを聞き止め得たところが、観念
を脱し、ポエジーの表現となり得ていると思っ

 たのだった。


  
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