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 小熊座・月刊 
  


   2011 VOL.27  NO.314   俳句時評



          ふたたび大震災に想う

                             渡 辺 誠一郎

  前号の俳句時評でも触れたことだが、やはり東日本大震災のことが頭から離れない。先

 日、ある編集者と主宰に同
行して、東松島市と石巻市を訪れた。

  多くの同人が住んでいた東松島市の野蒜地区は、海岸からほど近いこともあり、防風林

 が根こそぎ倒され、家屋は
流失して姿を全くとどめないものもあれば、二階まで破壊尽くさ

 れた家屋があちこちに点在していた。

  震災後の石巻に足を運んだのは二度目だが、街の様子は今も惨憺たる状況には変わり

 はない。瓦礫の撤去が少しず
つ始まっているが、復興の兆しは一向に見えない。

  石巻は、大津波やその後に発生した大火によって、特に門脇地区や渡波地区の被害は

 壊滅的であった。3階建ての
鉄筋コンクリート造りの門脇小学校は、火事で黒こげに焼

 ただれて悲惨な姿を見せていた。この小学校の女性の校
長は私の同級生であることもあ

 り、校舎を前にすると胸が
抉れる思いがした。3月末日の退職目前に襲った大参事は、

 員生活最悪の日であったと語る。校舎にいた児童全員が
校舎後ろの日和山に駆け上がり

 幸い無事であった。震災
後数日して、黒焦げの校舎の金庫から卒業証書が見つかり、

 れて実施された卒業式で、子どもたちの手に渡された。

  石巻の死者・行方不明者の数は5千7百人を超える。石巻に住む小熊座の同人の一人

 は辛くも難を逃れた。しかし
30人の知人を一瞬のうちに失った。そして自分自身の生々

 い被災の体験を堰切るように、話してくれた。


  今まで吟行で何度も足を運んだ、桜の名所であり、石巻の象徴である標高56・4メートル

 の日和山から見る市街地
の光景には息を呑まざるを得ない。眼下には大津波によって市

 街地が根こそぎ削り取られたような惨状が拡がっている。市街地の東には、太平洋が何事

 もなかったように穏や
かな姿を見せていた。被災地に立って海を目の当たりにすると、一

 層悲しみが深くなる。この日和山は芭蕉・曽良を
はじめ、多くの文人墨客が訪れたところと

 して知られる。
近代に入っても、宮沢賢治や石川啄木、そして斉藤茂吉らが、ここからの印

 象を詩や歌に残している。


  賢治は明治45年5月、中学4年生の修学旅行で北上川を船で下り、石巻に入り日和山

 から初めて海を見て詩にする。


  〈われらひとしく丘に立ち/青ぐろくしてぶちうてる/あやしきもののひろがりを/東

 はてなくのぞみけり/そは巨いなる鹽の水/海とはおのもさとれども/傳へてききし

 そのものと/あまりにもたがふこころして/ただうつつなるうすれ日に/そのわだつ

 みの潮騒の/うろこの國の波がしら/きほひ寄するをのぞみゐたりき〉

  「大地」に親しい賢治にとっての初めての大海は、単純な「感動」に止まらず、得体のしれ

 ない存在に思えたのだ。


  おりしも『俳句界』の6月号では、「3・11大震災はどう詠まれたか?」の記事とともに、

 「海」に関する企画を
組んでいる。大津波前の企画だろうが、「俳人300名・読者・ネット投

 票で選んだ 私の好きな〝海の一句〞」と
して、集計結果を載せている。その順位は次の

 通りである。

   一位  春の海ひねもすのたりのたりかな   蕪村

   二位  海に出て木枯帰るところなし       誓子

   三位  しんしんと肺碧きまで海のたび     鳳作

   四位  水枕ガバリと寒い海がある       三鬼

        荒海や佐渡に横たふ天の河      芭蕉

  蕪村や芭蕉のなかに、誓子、鳳作、三鬼と「天狼」、新興俳句系の俳人の作品が上位を

 占めたのが印象深い。のど
かな蕪村の海や宇宙まで及ぶ圧倒的スケール感を持つ芭蕉

 の作品はまだしも、誓子らの世界では海は本当の主役にはなりえてない気がする。本当の

 主役は作者も含めて違うと主役は作者も含めて違うと
ころにある。ちなみに15位には虚子

 の〈夏潮の今退く平家
亡ぶ時も〉が入っている。震災前だったら選は違っていただろう。

  山崎聰が特集の中で「海と俳句」としてエッセイを寄せている。ここで山崎は、「海を正面

 から詠んだ秀句がさほ
ど多くないのは意外だが、他方それは〝海〞というものが概念であ

 り抽象だからであろう。見えているものとして海を見ても、取合わせる景としては詠めるが、

 それは海を
本当に捉えたことにはならない。本当の海を詠むためには〝海〞を概念として

 心の中に抱え込むこと、それには
〝私〞の視点から少し離れて、抽象の思考の中で海を

 捉え
ることが必要なのではないか。」と結んでいる。その通りだが、海を見ることはもちろん

 海に対峙し、海に挑み、
海に翻弄された実際の体験から、作品が生まれ出てないことだろ

 う。「おくのほそ道」の旅の芭蕉の姿に象徴されるよう、
現実を見ずして、歌枕の幻想上に

 作句しがちな、われわれ
の姿がそのまま作品に表れているだけなのだろうと思う。

  周囲を海に囲まれて、世界でも有数の海岸線の長さを誇るわが国には、イギリスのよう

 なすぐれた海洋文学が育た
ない話を聞いたことがある。海との関わり方は、他の国に比べ

 て実は希薄なのかもしれない。風景としての海は美し
い。しかし、今回の大震災、そして大

 津波はわれわれに自
然、そして海のもう一つの顔を見せてくれた。海は豊饒な闇なのだ。

 頭では知ってはいたが、われわれの身の底に亀
裂を起こし、ねじ込むように凶暴な「鹽の

 水」は入り込ん
できた。この現実に、まさに今までの言葉は粉々に砕かれ、沈黙を強いら

 れるようだ。それゆえになおさら言葉は大切
なのだが、被災地にいて、全身から空虚なも

 のが占める時
間は消えそうにない。俳人ゆえにこの状況でも俳句を作り続けなければなら

 ないとする声が聞こえてくる。その通り
である。しかし、震災以前の生身のままでは、無防

 備すぎ
るのではないか。賢治の「春と修羅」には、亡くなろうとする妹と対話するように綴ら

 れる「無声慟哭」と題した一
つの詩が収められているが、まさにこの言葉通りの心境に

 い。

  中村草田男の〈玫瑰や今も沖には未来あり〉の詠う「沖」に、われわれはなお未来を見る

 ことができるのか。わたし
は今、賢治のように瓦礫の山とヘドロの悪臭を前に、オロオロと

 さまよい、確かな言葉を探し続けている。



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