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 小熊座・月刊 
  


  鬼房の秀作を読む (19)      2012.vol.28 no.323



         馬の目に雪ふり湾をひたぬらす          鬼房

                                      『海溝』(昭和三十九年刊)
  上五の「目」と、下五の「ぬらす」と。上と下に配置されたこの二つの言葉によって照射さ

 れ、まるでホログラフのように浮かび上がってくる一語がある。「涙」である。ひとこともあら

 わに書き込まれてはいないが、作品の主題は「涙」にあり、悲しみの情にあるのではない

 か。では、馬は、何を悲しんでいるのか?

  それを考える前に、この句の顕著な特徴である、イメージの複合を指摘しておきたい。

 「馬の目に雪ふり」まで読む限り、読者はまだ、馬のつぶらな瞳に雪の粒が降りこんでいる

 という、誰しもが共有できる郷愁的なイメージの枠内で、安穏としていられる。だが、「湾を

 ひたぬらす」に飛躍するに至って、馬の瞳に湾の面のイメージが重なり、交わり合い、私た

 ちの平穏は脅かされるのである。濡れているのは、馬の目なのか、それとも湾なのか。読

 者は混乱の内に、馬の目という局所も湾という大景も、雪を降らせている大いなる存在の

 下では等価であるという世界観を知る。

  荒漠として「海」ではなく、限界がある「湾」という呼称を用いていることは、留意するべき

 だろう。疾駆を本領とする馬は、雪に降り込められ、また自由であるはずの水は、湾の中

 に閉じ込められている。すなわち、自由への渇望と、それが果たされない悲しみとが、一句

 の中に隠された「涙」の原因ではないだろうか。

                                          ( 髙柳 克弘「鷹」)



  掲句の初出は「天狼」昭和三十年三月号である。揚句が発表されてから五十数年が経

 過した。当時の塩竈を知る人も年々少なくなってきている。しかし、鬼房の俳句は色褪せる

 ことなく、あるいは時代の腐食に耐えて熟成され、新たな読者を得て深い感動を与える作

 品が多い。この句はその中でも抒情性の強い自然詠で、鬼房の俳句が社会性俳句から

 風土性の強い句に傾斜してくる時期の作品でもある。


  掲句に初めて接した時、港湾の光景ではなく塩竈神社の御神馬と境内から千賀の浦を

 望む風景が浮かんだ。私は昭和五十年から塩竈市内の高校に通った。その当時の塩竈

 神社と御神馬の印象が強く残っている。御神馬の目は水晶のように純粋で、潤みと悲しみ

 も帯びていた。掲句が詠まれた当時の馬は荷馬車用で湾の見える桟橋あたりにつながれ

 ていたのだろう。五十数年を経て現在の塩竈は大きく変貌し、昨年の東日本大震災の被

 災を受け復興を目指している。

  この句の時代を超えた普遍性は「馬の目」の鑑賞にある。一頭の馬の見開かれた目の

 中に雪が降り込んでくる。遠近法のきいた絵画的な構図の中で湾一面をひた濡らす「馬の

 目」は、塩竈に根差した鬼房自身の目でもある。

  私は掲句から御神馬が塩竈神社から千賀の浦(塩竈湾)を望む立体的な絵画に感じ取

 った。東北を故郷とする者にとって、時代を超えて新たな感動を与える秀作と確信する。

                                          (小野  豊)




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