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 小熊座・月刊 
  


   2012 VOL.28  NO.325   俳句時評



          一冊の句集から
                              渡辺誠一郎

  『棺一基 大道寺将司全句集』(太田出版)を手に取った。久しぶりに手ごたえのある句

 集であった。

  作者は、一九四八年生まれ。三菱重工ビルをはじめ連続企業爆破事件などを起こし、一

 九七五年に逮捕されている。
一九七九年東京地裁で死刑判決、一九八七年には最高裁

 で
死刑が確定した。三十七年間、獄中にある確定死刑囚である。二〇一〇年には、癌「多

 発性骨髄腫」を患う。

  俳句作者としては知られてはいない。この句集については最近テレビでも取り上げられ

 て放映され話題になったら
しい。作者の俳句は、今回の全句集で初めて知った。句集の刊

 行は作家の辺見庸の強い勧めによって実現を見たとあ
る。今まで刊行した二冊の句集な

 ども収め、今回の全句集
となった。

  句作は、一九九六年に手紙に俳句を認めるようになったのが始まりだという。現在まで

 の作句数は数千にのぼり、
この中から、今年まで、約一二〇〇句に絞り込んで今回の

 集を編んだ。

  作者の大道寺は、「あとがき」の中で、「独房から視野を広げようと始めた俳句」だが、

 「自然にふれる機会が少な
く、寒暖の差によってしか季節の変化を感じられない」ため、類

 想句や自己模倣句が多いと述べている。

  句集には、辺見庸が長文で濃密な「〈奇しき生〉について」と題する「序文」と「跋文」を寄

 せている。このなか
で辺見は、作者である大道寺が、「被害者との関係性において存在す

 る自分ということを忘れまいと、過酷なまでに
言い聞かせながら作句してきた」と書いてい

 る。さらに、
死者二万人を数えた二〇一一年に発生した東日本大震災の被災の現実をも

 重ね合わせ、「この世のあらゆる理不尽な
死と傷みは、かれにとって永遠に外在化するこ

 とのできな
い、みずからの罪と引き合い、疼きあう、ときに非合理的なまでに内在的な悲し

 みとしてかれの内面に回収されてい
た。」ととらえている。

  句集は、一七七六年作の〈友が病む獄舎の冬の安けしを〉からはじまる。ページを追って

 いくと、獄中という特別な
場に身を置きながら句境の深めていく独自の世界が浮かび上が

 る。

   金網の内から覗く花見かな   

   己が身を虫干しに出す死囚かな 

   虫の音や杖に縋りて母の来る  

   独房の敷居を跨ぐ春蚊かな  

   死は罪の償ひなるや金亀子  

   風に立つそのコスモスに連帯す  

   ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな 

   さみだれや身ぬちの(うろ)のささ濁り

   逝く年の墜ちゆく橋を越えゆかむ  

   ひとりゆく枯野の果ての入日影  

   よるべなきことのは紡ぐほとゝぎす

  これらの作品から、獄中生活が彼の俳句世界にどのような影響を及ぼしているかを読み

 取ることは難しい。しか
し、獄中にあり、確定死刑囚としての境遇を考えざるを得ないが、

 俳句という制御された詩型に対する、迷いのない
姿勢が伝わってくるのには驚かされる。

 辺見庸が評するよ
うに、作者にとっての俳句世界は、「内面と響きあう必然の表現様式な

 のだ」と言えるのかも知れない。そして、詠
われている世界からは、作者自身あとがきで述

 べているよ
うに、「自己模倣」の句もみられるが、獄中における心情の不安定さのなかにあ

 って、静謐な精神性といったものが
作品全体に漂っているのが感じられる。

   棺一基四顧茫々と霞みけり

  これは、句集の題となった二〇〇七年の作である。

  この俳句からは、獄中にある作者のさまざまな想念から発せられた、滲むような空気の

 動きが、獄園外のわれわれ
に妙にリアルに響いてくる。「棺」は、おのれの自身の現在の

 境遇を象徴するかのようだ。しかし、獄中の限られた
世界を超えた世界へと読む者を誘う

 詩想の拡がりを見せて
いる。

  今回の句集は、自問と断念と自問の続く世界であるように思えるが、集中には、〈蓑虫の

 夢は曠野を飛び回る〉な
どのように、芭蕉をはじめ一茶、閒石、兜太、青畝からの本歌取

 りも見られ、俳句の世界のなかで、諧謔に「真剣」
に遊んでいる姿も我々にみせてくれる。

  さらに、句集のなかには、やはり政治的信条を吐露する俳句も見られるが、死刑囚が収

 監されている拘置所ゆえに、
処刑の日を詠む句も多く収められ、胸に迫るものがある。

   夏深し魂消(たまぎ)る声野残りけり

  この句の前書には、「東京拘置所で永山則夫君ら二名の処刑の会った朝」とある。その

 他、やはり「死刑執行あり」
の前書がある、〈死はいつも不意打ちなりし十二月〉〈(くび)

 れて世はこともなし実南天〉など数多い。いずれも緊迫感のなかに無常観が漂うが、作者

 の眼が正確に、そして冷静
に現実に向っているのが印象的だ。

  獄中の空気とその外での空気に違いがあるはずもない。しかしこの句集を読んで、作り

 手の言葉の重量に読み手と
して受け止められているのかとの疑問が、最後まで違和感

 してぬぐいきれなかったのも事実である。

  「死刑囚という獄中の表現者と獄外の表現者の関係は、両者の内面の質量を厳密に問

 うならば、フェアな成り立ち
が絶望的に難しい」と辺見が述べる通りなのかも知れない。し

 かし、まさに人生の総量をかけて己の心象を彫琢した優れた俳句世界であることには変わ

 りはない。




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