第五回 佐藤鬼房顕彰全国俳句大会嘱目入選句
【 平成24年3月20日〔土〕 於 ・ 塩竈市遊ホール 】
選考は、全選者が参加しての公開討論を経て、以下のとおり決定。 佐藤鬼房奨励賞
のみ、他の賞と重ならないようにしました。
(投句総数118句)


まっくろな瓦礫父の日も母の日も 大 阪 上野まさい

地の底の声がこぞりて桃の花 仙 台 浪山 克彦
葉牡丹の雨滴の中の地球かな 仙 台 澤邉 美穂
切株に波立のして春が来る 宮 城 佐藤 みね

第一席 葉牡丹の雨滴の中の地球かな 仙 台 澤邉 美穂
第二席 街なかに岩山でんと鬼房忌 塩 竈 堀籠 政彦
第三席 塩竈の塩煮る釜や梅真白 大 和 九里 枕流

第一席 地の底の声がこぞりて桃の花 仙 台 浪山 克彦
第二席 街なかに岩山でんと鬼房忌 塩 竈 堀籠 政彦
第三席 涅槃図に鬼房らしき弟子一人 登 米 藤野 尚之

第一席 塩竈の竈の字なぞる日永かな 仙 台 岡田とみ子
第二席 地の底の声がこぞりて桃の花 仙 台 浪山 克彦
第三席 鶯や海まで更地続く町 塩 竈 服部 奈美

第一席 奥羽山脈よりの風花鬼房忌 盛 岡 大澤 保子
第二席 土塊の色ひとつにも春の声 仙 台 柳尾 ミオ
第三席 犬ふぐり笑っていてけろおばあさん 東 京 西條奈津子
第一席 塩竈の竈の字なぞる日永かな 仙 台 岡田とみ子
第二席 鬼房の山河は黙に鳥帰る 仙 台 内山かおる
第三席 切株に波音のして春が来る 宮 城 佐藤 みね

第一席 鶯や海まで更地続く町 塩 竈 服部 奈美
第二席 忘れたくただ忘れたくにら刻む 松 島 上田由美子
第三席 犬ふぐり笑っていてけろおばあさん 東京都 西條奈津子

第一席 花冷や生春巻の透けるえび 仙 台 斉藤みつ子
第二席 陽炎の原点として溺谷 石 巻 土屋 遊螢
第三席 春なれや象のトシコを呼んでみる 仙 台 山田 史子

第一席 おぼろ夜の波の国から杖の音 仙 台 菊地 恵輔
第二席 春風や照井翠は黒づくめ 仙 台 坂内 佳禰
第三席 三月は祷りの月となりにけり 一 関 小山 尚宏

第一席 地の底の声がこぞりて桃の花 仙 台 浪山 克彦
第二席 葉牡丹の雨滴の中の地球かな 仙 台 澤邉 美穂
第三席 おぼろ夜の波の国から杖の音 仙 台 菊地 恵輔
震災を越えて
佐々木 とみ子
今年の佐藤鬼房顕彰全国俳句大会はこれまでで一番寒かったようだ。朝、家を出ると
き吹雪だった。三月二十日だというのにである。
会場の受付にいつも笑顔で待っていてくれる大森知子さんがいない。覚悟していたのだ
が寂しかった。会場の人々も例年より少なく、大津波からこの一年の厳しさが惻惻と思わ
れる。だからこそなお、この大会を塩竈から発信し続けなくてはならないと思う。
遠路からおいで頂いた和田悟朗、宮坂静生両先生をはじめ選者の方々から特選句の
選評と表彰が行われて、私にはジュニア部門の小学五年生の句、「春のなかですごい音
がなる黒い波来る」に一番こころ打たれた。
そうだろう。どれほど恐ろしいものを見てしまったのか。この少年の網膜から生涯消すこ
とのできない現実がこれなのだと思うと、真実のことばとは、と考えてしまった。当日嘱目
の優秀句「地の底の声がこぞりて桃の花」を遠来の方がリアルだと称賛したのに対し、地
元の人が地の底の声は生々しく痛すぎてという意味をのべていたのも心にしみた。
シンポジウム「鬼房晩年の俳句の魅力」では気鋭の面々の討論で晩年とは年齢的にか
作品的にかから始まり活気あり。パネラー五人がそれぞれに推す句を俎上にあげながら
会場から宮坂静生先生も参加されたりした。「観念の死を見届けよ青氷湖」の観念の死と
は何か。青氷湖の「青」とは「陰に生る麦尊けれ青山河」の「青」とは違うのかと、若々しい
意見が弾む。そのあと二次会の酒席でもこの句が持ち上がって、見届けよとは誰に言っ
ているかと言えば、それは青氷湖でありひいては自分自身であると。青氷湖とは岸辺は
厚く凍りながら湖心に青く水を湛えていることだと教えられ、目が洗われたようで恥ずかし
かった。上五中七に目をうばわれて、肝心の青氷湖をないがしろに見ていたのだった。
翌朝はやく市街図を見ながら海へ出かけた。海べりに「しおがまみなと復興市場」と看板
を掲げたプレハブの仮設店舗が並んで、もう魚やが店を開けていた。なにもかも攫われて
しまったとのこと。それでも一間ほどの入口に魚の箱を並べて忙しそうだった。裏へまわ
ると石畳がはがれ土が抉られ、よく見るとそれはあの「シオーモの小径」である。宮沢賢
治が名づけた塩竈を訪ねた文人たちの碑が十基、それぞれの面影を偲ばせ
ていたのが跡かたもない。ただ一つ塩竈市制二十五周年記念の碑が昂然と立っていた。
記念樹のベニシダレザクラは咲けるのだろうか。田山花袋、齋藤茂吉の碑もバッキリと折
れ、与謝野寛・晶子の碑はうつ伏せ、賢治、子規、白秋、牧水、高橋睦郞と総倒れ。鬼房
の句碑だけは最初から低く横たわっていたので破壊されずにいた。津波のあとしばらくは
この上に船が乗り上げていたそうだ。どれほどの力どれほどの呻きが殺到したのか。いく
ら目をつむって感じようとしても私には知ることができない。それでもこの刻印を体に刻ま
なくてはならないと思いながら、いったい自分は何をどううたえばいいのだろうと迷ってしま
うのだ。
空は晴れていたが相当寒い浜風だった。 昼ちかくに赤坂の鬼房先生宅へお線香を供
げに伺う。いつも仏壇にお花がいっぱいだ。「お父さんは大正八年の春のお彼岸に生ま
れて、兜太先生は同じ大正八年の秋のお彼岸に生まれたのよ」と奥さんが言っていた。
第三回の大会まで毎年来て頂いて、大きな声の万歳三唱でしめくくって下さった、何かあ
るたびに必ず足を運んで下さった、貴重なえにしをわれわれも頂戴していたのである。生
きていれば鬼房は昨日で満九十三歳、奥さんは満九十歳。しっかりとお元気である。鬼
房生誕百年をいっしょに迎えるのも夢ではない。
春のひかり
上 野 まさい
三月二十日、塩竈の街は好天に恵まれ、正に鬼房日和であった。この日に二年ぶりと
なる第五回佐藤鬼房顕彰全国俳句大会が開催されることは、塩竈市民、そしてすべての
小熊座人にとって大きな喜びである。
当日は、早くから事務局の方々が忙しく動かれており、私も裏方の一人として控室に入
った。
大会会場では、ジュニア部門の表彰、講評があり、引き続きシンポジウム「鬼房晩年の
俳句の魅力」が五名のパネラー並びに司会の大場鬼奴多により進められていた。
嘱目吟の作品の清記、コピーが手順通りに選者の許へ。控室にも緊張が漲っていた。
九名の選者による注目の嘱目公開選考が始まった。投句総数は一一八句。この中から
選ばれた三十八句を対象に論議され、最終選考に入る。二度目の選考で九句が残り、さ
らに選考が加えられ、次の三句となる。
葉牡丹の雨滴の中の地球かな
まっくろな瓦礫父の日も母の日も
地の底の声がこぞりて桃の花
結果、嘱目部門奨励賞には〈まっくろな瓦礫〉一句が選ばれた。
他の嘱目作品の中に
犬ふぐり笑っていてけろおばあちゃん 西條奈津子〈高野ムツオ、髙柳克弘特選〉
一句があり、方言のもつぬくもりに心を惹かれた。作者は、十九歳の女子学生だが、日常
の話言葉が、方言がのびやかに俳句の中に息づいている点が魅力。東日本大震災時に
宮城県女川町で被災された作者の祖母に語りかけると同時に自身の心にも語りかけ、大
きな元気と限りなき優しさを読む人にまで伝えられており、自由な発想に好感が持てた。
若い女性をもう一人。最近、南相馬市出身の被災者、半谷(はんかい)真由香さんが奈
良県十津川村で教師生活を始められることが報じられた。
配属先の小学校は、昨年九月の台風十二号で甚大な被害を受け、今も仮設住宅から
通学する児童がいる台風被災地だ。昨年合格した時に僻地を希望、「生命の大切さ、重
さを教えたい」との願いを胸に、子供の頃からの教師への夢が現実になった春。
女子学生の俳句作品から、僻地で教鞭を取る女性の話に及んだが、ほかにも大震災で
被災された人々が関西の各地で就職や進学の夢を叶えて新生活をスタートされている、
と言うニュースはこの上なく嬉しい。被災地との絆が益々深まることに期待する。
大会と同時に、「鬼房俳句展」が開催されたことも大きな喜びだった。半切・色紙・短冊、
厳選された三十一点が凜と展示されている。
切株があり愚直の斧があり
縄とびの寒暮傷みし馬車通る
山田美穂さんから「鬼房を知らない人にも、俳句をやらない人にも見て頂きたい…」との
趣旨であったと聞いた。私も同様に、ジュニア部門に応募の少年少女、そして若い人たち
が展示作品にふれ、俳句に親しむきっかけになれば、と願うばかりであった。
窓の外に夕闇が迫るころ、テーブルにはみちのくの銘酒やビール、オードブルが並び、
懇親会を待つばかりだ。
和田悟朗先生の乾杯の音頭に、選考に当たられた先生方も主宰も編集長も「かんぱー
い」どの顔も笑顔、笑顔…。大会を準備して下さった事務局の皆さんにとってもビールの
味は格別だったに違いない。皆様、本当に有り難うございました。「来年も会いましょう」
とそれぞれの家路についた。
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