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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (41)      2014.vol.30 no.345



         新月や蛸壺に目が生える頃          鬼房

                                   何処へ』(昭和五十九年刊)


  この句を初めて読んだとき、蛸壺に目が生える様子を想像して、ぎょっとした。納得しや

 すい解釈なら、蛸壺に蛸が入っていて、ぬっと目を出している姿を想像すればいいのだろう

 が、それだと面白みがなくなってしまう。鬼房らしく、蛸壺自体に目が生えると読みたい。し

 かも鬼房は「生える頃」、「頃」と言っている。

  「頃」とは『新明解現代漢和辞典』(三省堂)の日本語での用法によれば、「ある一定の条

 件にかなう時刻や時間。ころあい。」 だという。蛸壺に目が生えるという条件がかなったな

 ら、そのとき海の底では何が起こるのだろう。生まれたての新月。目が生える蛸壺。何か

 が生まれる予感。

  この句は「海の無垢」二十句の内の一句。「海の無垢」では性あり死あり船霊あり。無垢

 なる海の、無垢なるがゆえの何もかもを内包している「いやおそろしの」世界だ。

    白藻消えいやおそろしの海の無垢

  蛸壺の新月に対して、望の満月の句もある。

    望の夜の巫女竜神と睦みゐる

  満月では巫女と竜神の交歓が行われるが、新月の句には性の生々しさはない。それは

 蛸壺自体が、蛸に仮の宿と思わせつつ、実は蛸の死を司るものという機能があるからかも

 しれない。先に、何かが生まれる予感と書いた。が同時に、死への秒読みも始まっている

 のだ。

                                          (佐藤 清美「鬣」)



  私が鬼房師を拝見したのは車椅子で宮城県俳句大会の選者をした時である。背を伸ば

 し真っ直ぐな眼光が印象に残っている。いくつかの名句を思い出しながら納得した記憶が

 ある。すべてに真摯で社会の矛盾とも誠実に向きあい、エネルギーに満ちた句は私のあこ

 がれとなっている。

  御句は句集『何処へ』の中で、月を七句詠んでおり「泉洞夜話」(海の無垢二十句)の中

 にある。古来より人々は月にあこがれ、いろいろな思いを描いて見上げて来た。月は神秘

 的な青い光で地球を照らし、まるで浄化しているように思う。地上や海上は異界の様に澄

 みわたり、静かなエネルギーが伝わって来る。蛸は平安時代からハレ(非日常)の日の馳

 走として伝えられて来た。記録によると藤原忠通の任大臣大響の献立に「干物蛸」が登場

 している。保存の難しい時代に庶民が口にできない珍味として馳走だった。頭のよい蛸は

 たくましく心臓が三つあるとか。

  御句は月の初日の新月を無垢と拘え、海もまた無垢と拘えている。大潮にのって蛸は動

 きだし、蛸壺は蛸の来るのを待っている。〈蛸壺に目が生える頃〉とユニークな表現で蛸と

 壺の駆け引きが想像できて楽しい。新月の下でたくさんの物語が生まれる。わくわくと少年

 のように興奮して、鬼房師の好奇心がそのまま一句になっている。

                                          (佐藤 みね)



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