小 熊 座 2014/6   bR49 小熊座の好句
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     2014/6   bR49 小熊座の好句  高野ムツオ



    山々に夜のひろがる端午かな         上野まさい

   俳句は写生の文芸とか、物の文学とか言われている。それぞれに俳句の特質を

  抉る文言で、銘すべきだが、実は、それらの範疇をはみ出す世界をも俳句は常に

  蔵している。言ってみれば、そうしたキャパシティーの広さにこそ、この詩形の魅力

  が存在する。しかし、さまざまな角度から、その本質に迫ることは決して無駄ではな

  い。これも、これまで言われてきたこと。俳句は黙示の文学と、この頃ことに強く思

  い始めている。黙示とはキリスト教文学に使われる言葉だが、それとはまた趣きを

  異にする。いわゆる黙示文学は物語として神の降臨や世界の未来を予言するもの

  である。俳句は瞬時の知覚を提示するのみで予言とはほど遠い。しかし、その提示

  を起点として記憶を遡ったり、漠然とだが未来を想望することは可能かもしれない。

   掲句は、山々の背後に広がる夜の時空が示されているだけである。その映像の

  ありかは「端午」という時間を切り取る言葉に託されている。

   端午は五月五日、午の月の午の日を表した中国の暦上の言葉で、それ自体には

  さしたる意味はない。しかし、さまざまな故事を伴っている。古代中国の詩人屈原は

  祖国の滅亡を悲しみ、汨羅に身を投じた。その死を悲しんだ国民が、遺体が魚に

  食べられるのを防ぐため粽を撒いたのが、この日であるという話が伝わっている。

  根拠の薄い逸話らしいが、日本でも粽を食べる風習に結びついている。実感がこも

  るのは、この日が古い暦では夏至にあたり、疫病予防など邪気を払う行事がたくさ

  ん生まれたことである。菖蒲葺きや菖蒲湯、薬玉、吹流しがそれだ。日本に伝来し

  農事と結びつき、さらに武家社会の影響で現在のような男子の節句となったのは周

  知の通り。端午という言葉には、そうした追悼や健康祈願の長い時空が積み重ね

  られている。山々に広がる夜を追悼の時間と読むか、若者の未来の時間と読むか

  は読者に任せられている。しかし、その夜の広がりこそ俳句の黙示する時空と言え

  るのではないか。

    雨だれといふ春愁の忘れもの         鯉沼 桂子

   雨だれは雨の間も降り終わったあとも続くものだが、この句に限っていえば、間違

  いなく後者であろう。さっきまで春雨にかこっていた鬱屈とした思いは、戻ってきた

  日差しに薄らぎつつある。しかし、まだ、いくぶん残っている。それは、断続する雨だ

  れ程度であるという微妙かつ繊細な心のあり方が的確に表現されている。

    靴底に花が一片母の忌来            宮崎  哲

   追悼の句は難しい。悲しみや慈しみの思いが、つい先行して美辞を連ねてしまい

  がちになるからだ。型どおりの切り取りでは、作者の思いの深みには降りて行きに

  くい。この句は、靴底に残された、誰も気づかない花びらに焦点を充てたことで、作

  者にしか捉えられない母への思いの表現を可能にした。母と二人ででかけた、在り

  し日の花見まで想像できる。

    薄氷の消えゆく形に父の胸           森田 倫子

   こちらは亡き父への思いだろうか。具体的な場面はみえにくいが、この世の時間

  をともにした日の、ある日ある時に垣間見た父の胸板が、まるでフェードアウトする

  ように作者の脳裏をよぎったのである。

    桜貝地球廻った波の音              千倉 由穂

   世界にはさまざまな潮流があるが、海はつまるところ一つ。だから、その波も確か

  に世界を巡っていることになる。そして、波音もまた世界を巡ってきたのだ。桜貝の

  黙示をどう読むかに関わることだが、東日本大震災の津波の悲しみに重ねることも

  可能かもしれない。

    此の世てふ戦場に咲く桜かな          清水 里美


   「此の世」は戦場と断定したところに、この句の悲しい発見がある。それゆえ桜が

  より美しい。





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