小 熊 座 2015/4   №359 小熊座の好句
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     2015/4   №359 小熊座の好句  高野ムツオ



    雪竿がこの世の端に立つてゐる        八島 岳洋

  雪竿には二種類ある。一つは積雪を測定するため目印に立てておく竿。その地の

 積雪量に応じて高さが決められている。近年は超音波や光ファイバーを利用した雪

 竿もあるらしい。鈴木牧之の『北越雪譜』にも記述があって上越高田城の大手広場

 には長さ一丈ほどの雪竿が立っていたと記されている。雪の深浅によって税が決め

 られていたらしい。雪竿は越後特有の風物として俳人の関心を呼んでいたようだ。

 だが、俳人は雪中を避けて夏に訪れるから、越後の雪の苦労を知らずに言葉の上

 だけで俳句を作る。だから、実態とはかけ離れていて笑ってしまうことが多いとも牧之

 は述べてもいる。これは現在でもいろいろ通用する指摘だ。書物やテレビなど間接的

 な情報だけで俳句を作るのは要注意なのだ。念のため記すが、牧之は父が俳人で

 自身の友人にも俳人がいた。俳句には造詣が深いのだ。

  もう一つは道路の範囲の目印として立てておく竿。これは宮城でも山麓地で時折目

 にする。岩手は平地にもよくある。掲句の雪竿はどちらだろう。後者の方が「死の際」

 との連想から共感しやすいが、前者とした方が、農民の苦難の歴史を背負い込んで

 一層重みを増すのではないか。一丈は三メートル。その雪量に拠って年貢も決まると

 あれば、雪は、遭難や事故とは別の意味で農民の一大事であった。その生死の境に

 雪竿は立っているのだ。

    牡蠣の襞舌でまさぐり会者定離        渡邊 氣帝

  今年も三月が近づくに連れて、大震災を詠んだ句が多くなってきた。三陸の牡蠣の

 養殖場も遅々としながらも復活が徐々に伝えられてきている。その久しぶりの牡蠣を

 堪能している喜びが、この句から十分伝わる。同時にここにも死生の思いが濃い。そ

 れは「会者定離」という下五の仏語のせいだろう。こうした句はともすると抹香臭くなる

 のだが、そうならないのは「舌でまさぐり」という中七にある。このエロチックな舌の動

 きとそれゆえにあふれる笑いと悲しみこそが、この句の魅力なのだ。

    三月の雪がまた降るコッペパン        浪山 克彦

    地に触れてみな魂魄や春の雪         吉野 秀彦

  前者は直接の被災者、後者はその被災者を支援し、犠牲者の供養に尽力する宗

 教者。それぞれの立場でそれぞれに詠んだ震災の句である。「コッペパン」「春の雪」

 どちらも白く、そして温かい。

    帰還とは戦地の話鳥雲に            坂本  豊

  「帰還とは戦地の話」と呟いた裏側を読み取りたい。福島の放射能汚染によって帰

 ることができなくなってしまった人々の思いを重ねているのだ。帰還できるか否か。そ

 れは太平洋戦争の激戦地にいた兵士の痛切な祈りではなかったか。同じことが現代

 の日本で繰り返されている。「鳥雲に」に託された詩情の深さを味わいたい。






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