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 小熊座・月刊 
  


   2015 VOL.31  NO.361   俳句時評



      齋藤愼爾句集が現代俳句に問うもの

                              武 良 竜 彦

  今年の第8回佐藤鬼房顕彰全国俳句大会に、選者として迎えられた齋藤愼爾氏は60年

 安保世代であり、70年安保世代の私にとって憧憬の文学者でした。

  齋藤氏は1955年、高校に入学した16歳のとき、教師だった秋澤猛より俳句を習い、秋

 元不死男の俳誌「氷海」に投句し始めます。1958年、大学に入った19歳のときには小説

 も書き、1959年の20歳のとき、第八回氷海賞を受賞し、その若き天才ぶりに俳句界が

 瞠目しました。

   北斗星枯野に今日のバス終る          「侏儒の時代」 16歳

   明らかに凧の糸のみ暮れ残る                〃

   月白き海より青きもの釣らる                 〃

  習い始めたときから俳句の骨法に習熟した、よく目の視える驚くべき16歳です。

   火を焚きて漆黒の天驚かす            「燔祭の明日」 17歳

   水母群るる海より重き月上がる                〃

   浜寒し焚火激しく海女を待ち                 〃

   蝶死せり己が翅紋を証として                 〃

  客観写生の無心に視るだけだった眼が、内省的な文学的意思を獲得し、人の命と場を

 取り込み始めた17歳です。

   漁夫の葬寒き沖向く一戸より            「夏への扉」 18歳

   灼け岩で蜥蜴息づく敗戦忌                  〃

   漁夫の婚一と日雷鳴る裏日本                〃

   青桐に大正の蟬生き急ぐ                   〃

  この早熟な天才俳人は、18歳にして時間と空間を孕む俳句的な境地に早くも達していま

 す。「漁夫の葬と婚」を包み込む「裏日本」という空間軸、「終戦」等とは言わない「敗戦忌」

 という時間軸の中、「灼け岩で」息づく過酷な生の現実を伝統詩歌的甘い叙情を排
して見

 つめます。

   秋祭生き種子死に種子選りて父          「恋の都」 19歳

   不和の父子の耳に高潮秋祭                〃   

   底見せぬ海に咳き込み何か亡くす             〃   

   寒き種子分かち農兄弟田に別る              〃   

   籾降らし降らし晩年泣かぬ父                〃


  孤島の故郷を出て、地方都市の大学生になって始めて生じる視座があります。故郷での

 暮らしと習熟した俳句表現の間に喜びしかなかった時代を卒業した途端、青年は「何か亡

 くす」体験をします。それが単なる境涯俳句を突き破る独自の文学的主題の形成へと向か

 う過酷な道なのです。

   狂院へぎらりと種子のごとき蟻            「日々の死」 20歳

   死語の世に生きをれば緑の繭匂ふ              〃

   流燈に集ふ魚・時・間引かれし胎児              〃

   病む母に見せし誘蛾燈の青地獄                〃

   鼠捕りかけてきて地獄絵のごとき父              〃

   播かぬ種子光る夕べの老婆の死                〃

   鵙は天に柩は地下へわが領土                 〃

   地の涯に囮かけ亡びゆくは誰                  〃

  20歳にして独自の文学的主題が確立されていることに驚嘆するばかりです。時代は

 1960年。21歳のとき安保闘争に遭遇し、しばしば上京してはデモの戦列に加わるように

 なり、その直後、齋藤氏は突然、俳句を止めてしまい俳句界を二度驚かせます。10歳下

 の私にはその伝説的姿が、詩を棄てて貿易商人になると海に出ていったランボーと重なっ

 て見えました。だが、その若き日の句業の全貌を私たちが目にするには、1979年、齋藤

 氏が40歳になった年に刊行された第一句集『夏への扉』まで待たなければならなかったの

 でした。氏に何が起きたのか。

  その後、齋藤氏は独りで出版社を起こして、世界を「編集」する仕事をしていたのです。

 1980年代後半に俳句界に復帰し、1989年(50歳)に『秋庭歌』、1992年(53歳)に『冬

 の智慧』、1998年(59歳)に『春の羇旅』と句集を出し続けます。そして、2000年に『齋

 藤愼爾全句集』が出版され、氏の句業の全貌が姿を顕したのです。この書で氏の俳句中

 断の謎が解かれていますが、それは氏の作品を読めば解ることです。その後の10年の成

 果を纏めた句集『永遠と一日』が2011年に思潮社から上梓され、それを読んだときの驚

 愕を私は忘れません。

  我が憧れの「俳人ランボー」は俳句界に帰還すると、独自の文学的主題をさらに深化さ

 せ、時事的な用語を排除した魂の原風景ともいうべき螢、雁、蛇、狐火、芒、籾、雛などの

 語群だけを用い、命を原初的な荒野の直中に置く禁欲的独創性溢れる俳句で真剣勝負し

 ていたのです。

   死螢とぶつかり行くや螢狩

   洗ひ髪水さかしまに炎ほむらなす

   木枕と流れて母は浮寝鳥

   寒椿生死の貸借もち歩く

   日と月と雁しんがりに幼な吾れ

   夜濯ぎをいまに白鳥座のなかの母

   雁のゐぬ空には陰ほとのごとき山

   身に入むや皮膚いちまいに蛇の衣きぬ

   戸籍燃す火種を狐火より貰ひ

   ひそひそと山嚙みあへる紅葉かな

   父母を弑す冬の芒に逢ふために

   前の世の道に零てる籾一つ

   露の身に日は一輪のままに落ち

   雛も吾も緋の糸曳きて遠き世へ

   滲みつつ母の出でくる雛ひひなの間

   百越えて父母は木苺熟るる側

   亡父来て切り揃へたる寒の餅

   餅一個彼岸の草より冷ゆるなり

   雛流し雛より遥かなもの思ふ

   父死後の寒夕焼を楯とせり

  禁欲的な表現方法によって独創的な「文学的主題」が浮き彫りにされています。これこそ

 現代俳句界に欠落している文学表現です。現代俳句界に溢れる安易な取り合わせや二物

 衝突的作句法、読者の勝手な読みに依存する創作動機と文学的主題の空白、俳句表現

 における表現技法依存症と見せかけの豊穣さが、滅亡前の空しい明るさのように見えてき

 ます。現代俳句界はもっと注意深く、齋藤愼爾俳句にその警鐘の響きを聴き取るべきでは

 ないでしょうか。

   疫星(えやみぼし)詩歌かたぶきつつあるか         愼爾






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