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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (58)      2015.vol.31 no.362



         年立つて耳順ぞ何に殉ずべき         鬼房

                                   『朝の日』(昭和五十五年刊)


  人の年齢のうち、二十歳というのは特に重要である。これから何をするかという意志が関

 係するからである。しかし六十歳になるというのはどんな感じだろうか。自分のときのことを

 思い出してみようとしても、「年とったなあ」という感慨の他にははっきりとした記憶がない。

  若いときの生活苦、戦地に赴いた経験、そして帰ってきてからの社会的な圧力。鬼房の

 耳順への道は苦渋に満ちたものだったであろう。しかし俳句の面では新興俳句運動の成り

 行き上、平坦ではなかったことを考えても、着実に自分の俳句観を作り上げていくことに成

 功しつつあったと思う。数々の苛酷な体験を乗り越えてきたその時期にして、「何に殉ずべ

 き」と詠んだその心境を考えると胸を打たれる。それから数年後に「小熊座」創刊となる。

  鬼房の句の魅力は何といっても、その身に沁みついた東北人としての土臭さと土俗的世

 界観の融合であろう。背後に涙が透いて見えたとしてもその涙は詩性となって句を覆う。

 「虚飾」を嫌い、すぐに色あせてしまう「先取りの意識」というものを白々しく虚しいとして排

 斥していたその作句信条があの気迫を作りあげたともいえる。

  この句にはそのストイックなまでの俳句への向き合い方、自分をつきつめていく姿勢が表

 れていて、それはもはや私などの生活には見い出せないものである。

                                          (谷口 加代「滝」)



  昭和55年、第六句集「朝の日」に所収されて居る。鬼房61歳、耳順。還暦である。佐藤鬼

 房年譜によると、その年の10月には仙台で岸田稚魚と、11月には松島で鈴木六林男と交

 歓している。

  還暦とは60年で再び生まれた年の干支に還ることだ。鬼房もじっくりと腕組をしてこれか

 らのことを考えたのではなかろうか。

  新しい年を迎え耳順である自分は、人の意見にどう殉じて過ごせばよいのだろうかと。ど

 のように生き行くべきなのかと。まるで自問自答がそのまま一句になったような気がする。

  生活のほとんど全てのことは、特別に深くこだわることもなく、なるほどなるほどと、よく殉

 じておられたのではと思う。ただ俳句においてのみは、殉じることなどなく、常に崇高で孤高

 であったと確心する。親しき切磋琢磨の友は多くあっても、唯一の鬼房であるという気概を

 ずっと持ち続けてらしたに違いない。まだまだ未熟者の門下の片隅の私は、故鬼房に殉じ

 続けている。たくさんの俳句を志す者にとってずっと目標であり心の軸なのだ。

  昭和55年頃のこの作品を詠んだ当時の鬼房を全く知るよしもない私であるが、この句を

 読み返しているうちに、鬼房の俳句に対する精神を垣間見ることができたような気がする。

                                              (永野 シン)





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