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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (60)      2015.vol.31 no.364



         寒食の真似事なれど涙出づ         鬼房

                                   『幻夢』(平成十六年刊)


  寒食の意味を理解することなしには、味わうことも鑑賞することもできない。不明を恥じる

 しかないが、初めて出会った季語である。角川俳句大歳時記には、「中国の昔の風習で、

 冬至から百五日目(清明節の前日)を寒食節といい、火を断ち、用意しておいた冷たいも

 のを食べた」とある。解説の西嶋あさ子氏はさらに、「春荒れもある頃、いったん火を禁じ、

 新しい火で春の陽気を促す古代思想が受け継がれたものであろう」と記すが、鬼房の句に

 もこの含意があるように思われる。以上のこと、いわば後知恵。初見で私のなかに浮かん

 だ映像は、奇妙なことに避難所等での寒々とした夜の食事風景であった。冷たい食べ物、

 冷食。鬼房は東日本大震災を知らない。阪神・淡路大震災は知っている。そして日本を、

 地球を襲い、これからも襲い続けるであろう災厄の偏在を知っている。ある日、冷たい食

 べ物を口にする。どこかで誰かが同じように食べているという思いに胸を締めつけられる。

 寒食の真似事。さまざまな故事来歴を秘めたこの言葉が選ばれたときに、作品は逆に思

 いがけない広がりをみせる。この涙は、やがて来るであろう春への望みを秘めている。い

 ずれ涙を拭って生きていくしかない人間の哀れさ、そのことへの共感。はじめに寒食ありき

 ではなく、現実を見つめる心の動きが寒食という言葉に至る。そんな深読みに私は誘われ

 ている。

                                     (堀之内長一「海程」)




  春秋時代の晋の文公は、公子のとき19年間家臣団を連れて諸国を放浪した。義母であ

 る絶世の美女驪姫に命を狙われたのである。その賤臣・介子推は棒術の達人で、敵の差

 し向ける強力な刺客を退け、かつ食料の調達でも「みずからその股を割きて文公に食わし

 む」(荘子)と書かれる程の働きを示す。しかし下下のことを名君は知らず、帰国凱旋後も

 封禄にありつけず山に帰ってしまう。中国古代史上の名君は、後にその功を知り介子推を

 呼び戻すべく山に火を放つが焼死した。よってその忌日に火を使うことを禁じ冷食したのが

 季語「寒食」のいわれという。掲句は判官贔屓の鬼房が、遠くこの忠臣を哀れんで落涙した

 と解釈できるが果してそうか。中七の「真似事なれど」の「なれど」が、順接ならぬ逆接が気

 にかかる。

  『幻夢』は逝去直前の一年間の230句を収めた遺句集で、花を詠んだ32句は圧巻であ

 る。分けても終りに置かれた「明日は死ぬ花の地獄を思ふべし」に戦慄を覚えた。 「いち

 はつの花咲きいでて我が目には今年ばかりの春ゆかんとす」 と子規が短歌でいう 「今年

 ばかりの春」 を鬼房は見ていた。「寒食」と介子推を思いつつ観念の死ならぬ自身の現実

 の死に落涙する。それが「なれど」の屈折した表現をとったと考えられるのである。句集の

 劈頭の句は、歌仙でいう発句で総体を統べるべく運命づけられたものだろう。人間五十年

 が八十年になったところで夢まぼろしであることに違いはない。

                                              (我妻 民雄)





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