小 熊 座 2015/11   №366 小熊座の好句
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     2015/11   №366 小熊座の好句  高野ムツオ



    我々は根っこなきもの秋出水        𠮷野 秀彦

  9月9日に温帯低気圧に変わった台風18号は、他の低気圧の影響もあって各地で

 甚大な被害をもたらした。死者も全国で8名、私の生地栗原市でも1人が亡くなった。

 栃木では鬼怒川が決壊し、宮城でも鳴瀬川系の河川が氾濫した。稲作への影響も

 心配された。不遜な言い方だが、鬼怒川といい鳴瀬川といい、その名本来の自然の

 猛威を発揮したということである。自然は今もって人間の力では押さえることはできな

 いことを、またも自然が人間に示したということでもある。

  掲句は、このたびの洪水からの発想かもしれない。「根っこなきもの」が濁流に押し

 流される木々と、災害ばかりではなしに、社会の急激な動きにただ流されるように生

 きるしかない庶民の姿が重なるからだ。しかし、この句が本当に言いたいことは、そ

 こに止まるものではない。人間の生にはもともと一所定住はないとの思いが背後に

 潜んでいる。この世は仮の世などといえば抹香臭くなるが、流浪漂泊こそが「生きる」

 ということの本質的なあり方ではないか。芭蕉のように日々旅することも、山頭火のよ

 うに行乞に生きることも現実にはできない。しかし、自分を時空を生きる旅人と認識

 し、そこから「生きる」ことを問うことは可能である。その時、現実世界はまた別の姿を

 見せてくれる。濁流にもまれる「根っこなきもの」は、私に、そんなことを考えさせてく

 れた。

    ふるさとを出ぬ父の魂鰯雲         土屋 遊蛍


  この句の発想の根底にも、同じような思いがあるのではないか。亡くなった父の魂

 は二度と故郷を出ることはない。そう強調されればされるほど、生前の父の、別世界

 へのあこがれとそれが叶わなかった無念とが湧き上がってくる。「鰯雲」がどうしても

 そう感じさせるのだ。

    生芥を提げ金秋の天仰ぐ          菊地 恵輔


  この諧謔の奥に潜む言いようのない孤独感も、自分が時空漂泊者の一人であるこ

 との痛切な自覚から滲んでくる。自ら生んだ生ゴミとどこまでも澄んだ青空の対比。

 「天を仰ぐ」がもたらす絶望の果てのペーソスが妙に可笑しくて悲しい。

    村を出る川音荒き星月夜          中鉢 陽子


  これは自らの出奔願望を川音に託した句。川音のその先にはいつも未知の世界が

 広がっているのである。

    十六夜の仮設住宅八万人          宮崎  啠


  こちらは理不尽にも未だ仮設暮しを強いられている人々に光を当てた句。定住でも

 漂泊でもない不安定そのものの生が今も続いている。

    バウムクーヘンにフォーク銀河に塵     鎌倉 道彦


  「銀河に塵」は宇宙塵のことだが、所詮、人間も塵の一つに過ぎない。これもまた漂

 泊なのだ。

    秋の蝶石に伏せて供犠となる        相原 光樹


  「供犠」は神に捧げられる犠牲。死ぬとは神の元へ帰ること。つまり、土となることで

 ある。





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