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 小熊座・月刊 
  


  鬼房愛誦句から読み解く                       2015.vol.31 no.366


     佐藤鬼房という普遍性
                               佐 藤 成 之


  今回のアンケートは募集期間が短いにもかかわらず、69名から206句が寄せられた。

 鬼房先生の親族のお名前もあり嬉しく感じた。内訳は同人40名、誌友他が29名。性別で

 は男性24名、女性45名である。結果は以下の通りだが、どの年代のものがより愛誦され

 ているか知るため、得票数と所収された句集名を作品の下に記すことにした。


   切株があり愚直の斧があり          『名もなき日夜』 23票

   縄とびの寒暮いたみし馬車通る        『夜の崖』     20票

   やませ来るいたちのやうにしなやかに    『瀬頭』      17票



  上位三句はほぼ予想通りではないだろうか。三句とも選んだ人は2名、二句は17名、一

 句は20名だが、参加者の過半数がいずれかを選択したことになる。私自身も切株の句を

 選んだ一人だが、季節的な情緒を排除し、生きることを前面に出したことが多くの支持を

 集めた理由だろう。次の句は戦後の東北の映像を再現するかのごとく、時代を超えて共感

 を得たと思われる。そして、三番目はこの土地特有の自然現象が主題だが、覚えやすいリ

 ズムのよさが愛されるのだろうか。続けて四位以下に移るが、4票以上を得たこれら11作

 品によって約半数の102票を占めた。


   陰に生る麦尊けれ青山河           『地楡』      12票

   馬の目に雪ふり湾をひたぬらす        『海溝』      6票

   女児の手に海の小石も睡りたる       『海溝』      5票

   かまきりの貧しき天衣ひろげたり       『名もなき日夜』 4票

   父の日の青空はあり山椒の木        『地楡』      4票

   新月や蛸壺に目が生える頃          『何處へ』     4票

   春蘭に木もれ陽斯かる愛もあり        『瀬頭』      4票

   胆沢満月雪の精二三片             『枯峠』      4票



  さて、3票以下については句集ごとの集計のみ。

    『名もなき日夜』  2票一句・1票六句

    『夜の崖』      2票一句・1票四句

    『海溝』        2票二句・1票三句

    『地楡』        2票一句・1票七句

    『鳥食』        1票二句

    『朝の日』      1票三句

    『潮海』        1票一句

    『何處へ』      3票一句・2票一句・1票二句

    『半跏坐』      3票二句・2票一句・1票八句

    『瀬頭』        2票三句・1票八句

    『霜の聲』      1票二句

    『枯峠』        2票五句・1票九句

    『愛痛きまで』    2票一句・1票三句

    『幻夢』        2票一句・1票三句

    出典不明      一句(3票三句・2票十七句・1票六二句)。

  以上のすべての票数を句集別に合算すると、

    第一句集   『名もなき日夜』  34票

    第二句集   『夜の崖』      26票

    第三句集   『海溝』       18票

    第四句集   『地楡』       25票

    第五句集   『鳥食』        2票

    第六句集   『朝の日』       3票

    第七句集   『潮海』        1票

    第八句集   『何處へ』      11票

    第九句集   『半跏坐』      16票

    第十句集   『瀬頭』        35票

    第十一句集  『霜の聲』       2票

    第十二句集  『枯峠』       23票

    第十三句集  『愛痛きまで』    5票

    第十四句集  『幻夢』        5票

 という結果となった。

  作者の個性や天分は初期の句集に抽出・集約されるとしばしばいわれるが、アンケート

 の一位は第一句集、二位は第二句集、三位は第十句集、四位は第四句集からであった。

 芸文の分野においては必ずしも得票数が直接の評価にはならないが、第四句集までに票

 が集中したことが分かる。短絡的に結論を出すことは避けるが、早い段階で代表句とされ

 るものが生まれる可能性が高いのは事実だろう。しかし、再び第九句集を契機に盛り返す

 のが俳人・佐藤鬼房の凄さであり、底力なのである。『半跏坐』には昭和晩年の作品が収

 められるが、この時期「小熊座」を創刊するや一年後には胃膵臓などの切除をしたことを

 忘れるはずはない。

  各人が選ぶ三句にはそれぞれの出会いや思いがあるだろう。これまでの人生や現在の

 境遇に左右されることも少なくない。だが、どれもがその人にとっては大切な一句なのだ。

 同人のみが選ぶ句であっても、その逆でもそんなことはお構いなしに鬼房俳句はここにで

 んと存在する。人間の根源に向き合うのだから、性別もまた関係ない。それを証明したの

 が今回のアンケート結果である。さらに、東北在住者が49名・東北以外が20名であった

 が、地方による影響が全く見られないことは、鬼房俳句の本質を物語っているのではない

 か。その特徴のひとつにみちのくという風土性が挙げられるが、それは単なる地理的なも

 のではなく、蝦夷に通じる歴史的精神風土なのである。そこに詩魂を注入することによって

 地域を超えた普遍性を獲得し、作品の世界を深めたのではないか。そして生涯の自己変

 革の意識が世界を永遠まで広げたのだ。その結晶の一部がここに並ぶ滋味溢れる九二

 句だ。今もなお鬼房先生の息遣いが聞こえる。厳しくも温かな眼差しを感じる。俳句とは、

 生き方や人間性をぎゅっと十七音に凝縮したものなのである。





     海が見ゆ
                               上 野 まさい


  本年五月、小熊座は創刊三十周年を迎えた。昭和六十年五月に、創刊号が発行された

 日から三十年が経過したのだと考えると感慨無量である。

  この日を迎えるにあたり、記念行事の一環として、「佐藤鬼房の愛誦句ベスト3」のアンケ

 ートが企画された。

  募集の対象が小熊座同人・誌友。さらに〝鬼房を愛する俳人〟と記されてあることがユ

 ニークで温かい。さっそく表題の「鬼房愛誦句」に稿を進めてゆきたい。多数の同人・誌友

 のご参加を得て、さまざまな作品が選ばれた。

  先ず高点句から。


    切株があり愚直の斧があり         (『名もなき日夜』)

    縄とびの寒暮いたみし馬車通る      (『夜の崖』)

    やませ来るいたちのやうにしなやかに   (『瀬頭』)

    陰に生る麦尊けれ青山河          (『地楡』)



  どの句も鬼房の初期作品であり、代表句ばかり。多くの方に愛され、読み継がれている。

  〈切株〉一句は、東北地方の厳しい大地に立ち上がり、何があろうと動じることなく、自分

 の立つ位置から中央に向かって発信してゆく、という決意を固められた時期の作品として

 貴重だ。

  〈縄とび〉この一句ではこんな話を聞いた。縄とびをする少女のモデルは誰か?私は鬼房

 先生の愛娘、山田美穂さんだ、と思っていたが、彼女の友人の一人が「私だよ!」と主張し

 て譲らなかったそうだ。先生が傍らで、このやりとりをほほえみつつ眺められるご様子が見

 えるように感じられた。わかるなあ、その気持ち……。

  〈陰に生る〉五穀豊穣の女神の陰部から麦が発生した、とする古事記の史実を下敷きと

 して成された一句。日本の国、日本人の根源と考えられ、壮大な民族の成り立ちを東北の

 風土の中に読み込まれた。鬼房の魂の深さ、烈つよさがみなぎる信念の一句として、私た

 ちの魂に生き続ける。

  余談になるが、鬼房先生が、平成十一年の三鬼祭に出席されての帰途、大阪に立ち寄

 って下さった。新大阪駅にお出迎えの改札口になかなかお見えにならず、心配していると、

 場内放送で呼び出しがかかった。ようやくお出迎え、という苦い経験であった。その理由が

 ベレー帽。以前お会いした時はたしかご長髪だったので、ベレー帽スタイルは初めてで、全

 く気が付かなかったのだ。その上、ご同行の山田美穂さんとは初対面であった。予定通り、

 鈴木慶子宅に到着。見事なカサブランカの花に迎えられる。大阪在住の中島禎子、花森こ

 ま、そこに頂点の杉本雷造先生も加わって下さり、共に会食。句会ではお二人のお話を拝

 聴。

  その後、鬼房先生のご発案で、色紙に自作品を書いたことを朧気ながら思い出した。

  さて、引き続き愛誦句を掲げてゆきたい。


    馬の目に雪ふり湾をひたぬらす          (『海溝』)

    女児の手に海の小石も睡りたる          (『海溝』)

    かまきりの貧しき天衣ひろげたり         (『名もなき日夜』)

    生きて食ふ一粒の飯美しき            (『名もなき日夜』)

    胆沢満月雪の精二三片              (『枯峠』)

    長距離寝台列車(ブルートレイン)のスパークを浴び白長須鯨(しろながす) (『瀬頭』)

  この作品を読みつつ、馬やかまきり、そして白長須鯨たちとにこやかに対峙される模様を

 想像する。

    暖かな海が見ゆまた海が見ゆ           (『幻夢』)

  鬼房先生は、今も港に立ち海を見ておられるだろうか。暖かくなる日を待ちながら、句想

 を練っておられるだろうか。まるで夢の中の出来事のように感じる。

  この度、鬼房全句集の頁を幾たびも繰りつつ多くのことを学ばせて頂けたことに感謝致し

 ます。そして、今回の企画にご賛同、ご参加頂きました、鬼房夫人、佐藤ふじゑ様に心から

 お礼申し上げます。ありがとうございました。





     鬼房俳句の愛誦性
                               浪 山 克 彦


  「私の愛誦句」としてあげられた鬼房の作品は九十五句。69人が一人三句の枠で選ば

 れた句数にしては、想像していた範囲を超えた。鬼房俳句の幅の広さを語るものか、それ

 とも何を以て愛誦句としたのか、読み解く力の多様さが示されたものか。まず、愛誦句とし

 て選ばれた作品から多い順にベストテンをあげてみよう。


    切株があり愚直の斧があり

    縄とびの寒暮いたみし馬車通る

    やませ来るいたちのやうにしなやかに

    陰に生る麦尊けれ青山河

    馬の目に雪ふり湾をひたぬらす

    胆沢満月雪の精二三片

    女児の手に海の小石も睡りたる

    かまきりの貧しき天衣ひろげたり

    父の日の青空はあり山椒の木

    春蘭に木洩陽斯かる愛もあり



  冒頭の四句は、いずれも鬼房の代表句として知られた作品だが、〈やませ来る〉を別にし

 て「小熊座」創刊以前、鬼房の壮年期の作品である。鬼房が亡くなってから十四年の歳月

 が流れた。〈切株があり愚直の斧があり〉の第一句集『名もなき日夜』を上梓したのは昭和

 26年。64年前である。それが今なお愛誦句として口ずさまれている。なんと幸せな俳句で

 あろうか。そればかりではない。今回の愛誦句募集のなかには、まだ二十代の名前も見え

 た。「名前なんかいつかは消える。残るのは作品だけだよ。」と言っていた鬼房の言葉その

 ものである。

  それにしても、俳句の愛誦性とは何を指すのだろうか。「日本現代詩歌研究」第10号は

 「現代詩歌における愛誦性とは」と特集を組み、多くの詩人・歌人・俳人がそれぞれの分野

 で考察をこらしている。「俳句の愛誦性」については小川軽舟と仁平勝。


    柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺        正岡 子規


  小川は、愛誦される近代俳句のトップバッターとして子規の句を挙げて、「それにしても

 この句は、なぜこれほどまでに愛誦されることになったのだろう。それはひとえに、この句

 のざっくばらんな内容にいかにも似つかわしいざっくばらんな調べによるところが大きい。

 (略) とにかく朗誦していて気持ちがいい。口が、唇が、舌がよろこぶのだ。」


    流れ行く大根の葉の早さかな        高浜 虚子



  一方、仁平は虚子の句を挙げてこう分析している。

  「虚子が重視しているのは材料や配合ではなくて「いひ現はしやう」と「調子」である。大根

 の葉がながれていく「早さ」に焦点をしぼることで、一句は鮮明な像を手に入れている。まさ

 に「いひ現はしやう」で成り立っている句だ。 (略) 愛誦性が高いということは、同時に通俗

 性との距離が縮まることを意味している。なぜなら愛誦性とは、広く一般的な読者に受け入

 れられることであり、その条件において通俗性と一致するからだ。」

  だとすると、佐藤鬼房の作品は愛誦性からもっとも遠い存在にある。今回、愛誦句として

 あげた人が多かった 〈切株〉、〈縄とび〉、〈やませ〉、〈陰に〉 の作品が(鬼房ファンを別とし

 て)、多くの人の思わず口に上ってくる歌謡的口承性を持っているとは思えない。では、鬼

 房俳句の何が私たちの心にとどまり、胸を揺すってやまないのだろう。鬼房俳句の愛誦性

 を解く鍵はどこにあるのだろうか。鍵は、エッセイ集『片葉の葦』にあった。

  「俳句が韻文であり、韻文が韻律をもつものであることは当然であろうし、まして定型の

 俳句がリズムからのがれられないのも当然だろう。しかし五七五の音節がリズムというなら

 ば、私は、俳句をやめて歌謡俳句を作れといいたい。」

  なんとも小気味のいいものの言いようである。俳句形式の音律を重んじながらも、「俳句

 はそれからだ」と切って捨てている。それでは鬼房の考える俳句のリズムとは何か。

  「私は形象化され表現されたもの全体のイメージから切り離せないリズムを考える。言葉

 と言葉の断絶と飛躍のなかにリズムはある。別な言い方をすれば、俳句が終ったあとのイ

 メージと一体になってリズムは残るのではないか。」

  一部の抜粋であるためやや捉えにくい文意となってしまったが、要するにここで鬼房が言

 いたかったのは、作家ひとりひとりがオリジナルな一回きりの創造によってのみリズムは

 かちとられるもので、それは作家自身の「精神のリズム」と呼応するものだということだろ

 う。私たちが今なお鬼房俳句に感情を揺り動かされ、思わず口に乗せて愛誦するのは、佐

 藤鬼房という俳人の勁くやさしい「精神のリズム」に心から共鳴を覚えるからではないだろう

 か。





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