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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (64)      2016.vol.32 no.368



         孤狼として死ぬほかはなし病む晩夏       鬼房

                                   『愛痛きまで』(平成十三年刊)


  この一句を読んで何故か芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」を思い浮かべた。

  室町から貞門、談林と続いた俳諧に境涯性を持ち込んだのは芭蕉だった。境涯性とは

 自分の存在そのものを俳諧の根底に置くことである。それは現代作家では楸邨や波郷の

 句群に顕著だった。「孤狼として」のこの一句を前にして、鬼房もその系譜につながるので

 はないかと思った。

  意味の上では「病む晩夏」を首五に置いても同じであろうが、それでは「病む晩夏」が状

 況の説明に終わる。座五に置き、「孤狼として死ぬほかはなし」の思いの一切を 「病む晩

 夏」に引き受けさせることで、「晩夏」が重層的に働く。

  現代の評者の多くは「孤狼として死ぬ」に過剰な自己表現を見るかもしれない。また「孤

 狼」「死ぬ」「病む」「晩夏」に同想の必要以上の繰り返しを指摘するかもしれない。しかし、

 この句の魅力は、波の後にまた波が来るように、重い響きが繰り返されることにある。そし

 て、この句の前に立つと、我々は俳句が上手くなりすぎ、上手くなろうとし過ぎ、「我、今ここ

 に在る」ことへの痛切な思いの不在に気づかなくなってしまっているのではないかと不安に

 なる。

  「孤狼」は群れを離れた一匹狼であるばかりでなく、中央から遠くに自らの生を位置づけ

 る辺境人の覚悟の自己確認であるのだろう。

                                         (髙野 公一「山河」)



  鬼房と出会ったのは、平成二十年一月十九日の句会の席での遺影であった。白髪は肩

 まで伸び、カサブランカの花が手向けられ、線香が立ち上る中に微笑んでいるように見え

 た。妙に鬼房とカサブランカの白が清々しかった。

  八十三歳で亡くなるまで胃の病気から始まり、数十年間闘病生活と共に作句活動をして

 いたと言う。晩年、奥様や娘さんに連れられて、お気に入りの七ヶ浜から海を眺めていたこ

 ともあったそうだ。

  亡くなる前年までの句が収められている中の一句。「頽齢多病であるが、せめて精神的

 に蒼樹でありたい」と言う願いを込めた俳句に「生」をかけた句集である。

  だが、この句は、恐れている死へ向かう生への無念ささえ感じる。「死ぬほかはなし」もそ

 うだが、「晩夏」にも鬼房全盛期からの衰えを隠し切れない心情が見えてくる。

  しかしながら、「孤狼」からは、気高い一匹の狼のごと頂点に立った鬼房の無意識な誇り

 すら感じる。

  翌年七月入退院を繰り返すも、常に俳句と向き合っていたと言う。句集装丁の赤い一筋

 は、まぎれもなく、生の晩夏の色であり、俳句への一途な思いを感じとることができる生と

 死を直視する一筋なのだ。

  遺影には、病から解き放たれ、浄化された鬼房がカサブランカと共にあった。

                                          (佐藤 レイ)






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