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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (66)      2016.vol.32 no.370



         戦こばみ続けて眼窩だけ残る       鬼房

                                   『愛痛きまで』(平成十三年刊)


  この句、まず目につくのが上中下の二つの切れ目の句またがりである。句またがりには

 独自の韻律があり頭をくすぐる。しかし鬼房の場合、定型をしばしば外れるのは、韻律より

 も趣旨を大切にした結果であろう。詩であるかぎり即興による飛躍がないはずはないが、

 それよりも自分の本来抱えている感慨や認識を重視したように見える。

  何よりも「眼窩」は、彼の持論のリアリズムを離れて宙に浮いている。この語は奇怪だが

 俳句人頻用のものではある。鬼房の場合はむろん、徴兵により一兵卒として中国、南方に

 出征した実経験を想起する。第一句集『名もなき日夜』には、物として遇される一兵卒の実

 感がある。

  いや、出征前も復員後も、彼は生活の苦難に翻弄された。だが自身の苦労のうちにも、

 弱いものに対して、優しい眼差しを失わない。その自身の境遇と弱者への共感は、不条理

 への怒りとして自覚されてゆく。第二句集『夜の崖』にはその怒りがこもっている。したがっ

 て掲出句は、与えられた「戦」=不条理に抵抗することを意味せねばならない。

  「眼窩」はペシミスティックではない。光景となった「髑髏」などに比べると、持ち主のセン

 チメントと意思の強さが宿っている。そしてそれは戦地を「たまたま」生き延びた鬼房自身

 のものとして引き継がれる。腰が据わった鬼房の生涯総括の句といえようか。

                                          (北村 虻曳)



  戦とは鬼房の人生そのものである。この作品は死が見える極限の生命力から紡ぎ出さ

 れた最晩年の句である。病気のデパートと揶揄される程の健康上の問題をいつも抱えてい

 た。と同時に鬼房の俳句作りは自分が何者であるかという問いの旅のようでもある。そこ

 にはみちのくの人間風土や出自は切り離すことはできない。

  鬼房の生い立ちから歩みは苦難に満ちていた。きびしい生活の現実の底から詠み出さ

 れた社会性俳句には痛切な時代の証言者の目がいつもそこにはあった。それはいつも弱

 者の目線でときに優しく寄り添いときに悲痛な叫びとも受け取ることができる。鬼房の俳句

 作りは書物からの知識ではなく自分の目で見て潤色することはしなかったという。いつも自

 分で見た物だけを信じていた。逃げることなく…。

  そんな鬼房も不安や悩みを持っていなかった訳ではないだろう。「戦こばみ続けて…」敢

 えて抗うことを避けてきたとも取れる。鬼房にはいつも蝦夷の末裔であるという意識があっ

 たのであろう。首長アテルイは大和朝廷に抵抗し処刑されてしまう。自分は残党として惨め

 に生きるのではなく壮麗により高く生きたかったのだ。句を書くことだけに徹して詠わんとす

 る対象だけを見つめて。

  眼窩とは凄い言葉である、この眼窩に全ては集約されている。俳句によって髑髏とされた

 鬼房がいるように…。

                                           (大西  陽)





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