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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (73)      2016.vol.32 no.377



         かさぶたの戦後老いたる櫓のしきり         鬼房

                                     『鹹き手』(平成七年刊)


  太平洋戦争は日本人にとって頗る外傷的な出来事であった。戦後はまさにその傷が凝

 固した「かさぶた」で、「時代」に備わった自己治癒能力によるものだったが、どこかいびつ

 で自己撞着を孕んだ混沌としたものだった。傷がいつ完治するのかは誰にも予測すること

 ができず、ひとたび誰かが「かさぶた」を剥がそうとすれば、再び血が噴き出すであろうこと

 を人々は知ることもなく知っていたに違いない。戦争も戦後も人の手に負えない。そこで起

 こる出来事は意識では捕まえられない。流れる時間を人は操ることができない。

  「老いたる櫓」もまた「老い」という容赦ない時間を一身に引き受けている。それが、「しき

 り」に動いて船を前に進めていく姿は、「かさぶた」となり自己撞着を起こしている時代に抵

 抗しながら、その固有の命を全うしようとしているようにも見える。鬼房自身を象徴している

 のであろうか。

  人の営みとは、時代と〈個〉との間に横たわる果てしない谷間でいかに折り合いをつけて

 生きるかという努力に他ならない。鬼房俳句は、そうした鬼房自身のかけがえのない努力

 が随所に煌いていて、健気でたまらなく美しい。

                           (田島 健一「炎環」「豆の木」「オルガン」)



  鬼房俳句には戦争を直接詠んだものは少ないが、この句はその痕跡を焦点に真実の思

 いがはっきりと形象化されている。この時、作者は47歳、戦後21年が過ぎていた。

 掲句は「戦後」で一旦切れるが、嘆息のような沈黙がある。そして、そこから導かれた答

えのように下の句へと続くのだ。あの第二次世界大戦の終結からひとりの人間が成人する

ほどの歳月が流れても、悲惨な出来事の傷はまだ癒えるはずはなかった。スンバワ島で

終戦を迎え捕虜生活を送った青年にとっては今も生々しい現実として、わが身にじくじくと

痛み続けているのだ。乾いた皮一枚の下には膿が残っているのかも知れない。しかし、「

かさぶた」というにはあまりに過酷な体験も、成熟へと向かう壮年期にあっては大袈裟な表

現を選ぶことはしなかったのだろう。彼の目には、疑いもなく高度経済成長に浮かれる人

々の姿がやるせなく、もどかしく映ったに違いない。ともに苦難を乗り越え不安なまま前途

へ漕ぎ出した船の櫓は、もはや戦禍とともに忘れられ、力弱く虚しさを繰り返すだけだ。だ

が、戦火がすっかり冷めた71年後の今日も、あの8月15日から続く長い戦後の一日であ

ることに変わりはないのだ。

 なお、掲句の所載される『鹹き手』は昭和41年から約一年間の書下し句集だが、第四句

集『地楡』に抄録。四半世紀を経て、平成7年12月に単独句集として刊行された。

(佐藤 成之)






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