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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (74)      2016.vol.32 no.378



         菜の花を食ひすぎて脳毀れたる         鬼房

                                     『霜の聲』(平成七年刊)


  鬼房の句は、的がはっきりしている句が多い。比較的焦点が近いところに結ぶ。

  例えば

   海嶺はわが栖なり霜の聲           鬼房

  しかし、掲出句は、すぐには焦点が結ばない。先ず、俳句で「菜の花」とでたら、蕪村の

 〈菜の花や月は東に日は西に〉の一面に咲いた明るく美しい菜の花畑が眼前に現れるで

 あろう。

  次に、「食ひすぎて」という言葉に度肝を抜かされる。しかし、早春、蕾のころの菜の花を

 お浸しなどにして食べるのは、季節の伝統食の楽しみでもある。ほろ苦さと香りを楽しむ、

 ビタミンや鉄分の多い栄養価の高い野菜となる。血管を若返らせ、脳を鮮明にさせるであ

 ろう。ところが、「脳毀れたる」と、またここでどんでん返しをされる。「壊」でなく「毀」も良

 かった。全く、理屈に合わない言葉の斡旋である。みちのくの冬は長く厳しい。早春の喜び

 は一入であり、恍惚感さえ感じるであろう。その春の眩暈を表現しているのであろうか。

 「食ひすぎて」「毀れたる」の否定の言葉は、自ずとその肯定のかたちを浮かび上がらせ

 強調し、重層する構造を齎す。句に奥行を与える。

  「われとわが身の戦いのなかで、北方の血を詠みつづけて来た。」「束の間の華やぎや

 幸せは望まない。」と、鬼房は書いている。

  実は、私は、このような焦点の結びにくい句が好きなのである。読めばよむほどその謎

 に惹き込まれてゆく・・・

                                          (高橋比呂子「豈」)



  甘い物は別腹という人はいるが、鬼房は別脳で食べられる。食事が、闘いのようだ。

  食べることは、まず学習する。正しく箸を持ち、好き嫌いを言わず、友達と仲良く話をしな

 がら、早過ぎず遅くならず、皆と同じように時間内に食べ終える。そういうことは、小学校に

 あがる前にできなくてはならない。五歳とは一人前だ。しかし数年後には、ひとりご飯を怖

 れる人が出てくる。ひと昔前、トイレで食事をする便所飯の話をしたら、トイレ掃除の頭は、

 「食べられるでしょ。トイレ、きれいだもん。」

  何も問題はない口ぶりだった。私の担当するトイレでは、便所飯は少なくなっている。食

 べることが楽しくない人。太ってなどいないのにやせたがる病の心には、菜の花が少しは

 効くかもしれない。

  人は日々、物を食べる。お祝いで食べ、祭で食べ、とむらいでも食べる。非常時も、食べ

 る必要がある。食べて食べて食べ越す年月の果てに、湯豆腐の明かりがある。菜の花は

 湯豆腐の手前の明るさだ。

 「昨晩何を食べましたか。」

  とても優しく、そう問われた時、

 「菜の花ですよ。」

  静かに答えられるだろうか。

                                             (遅沢いづみ)






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