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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (76)      2017.vol.33 no.380



         日向ぼこしてをり夢の靺鞨で         鬼房

                                    『瀬 頭』 (平成四年刊)


  靺鞨(まっかつ)という意味を理解できなかった。よく調べてみると、ツングース族の総称

 で、6世紀後半7部族の一つが靺鞨族の酋長大祚栄(だいそえい)が建てたとある。所在

 地不明である。朧げに理解できたのは、6〜7世紀に、満州の北東部から朝鮮半島の北

 部に住んでいたトウングス系民族の地域であると分かってきた。

  私は、鬼房先生の作品というとまず、【切株があり愚直のおのがあり】【陰に生る麦尊け

 れ青山河】【やませ来るいたちのやうにしなやかに】など、東北に根ざした風土性のある作

 品より思い浮かばなかった。

  日向ぼこしてをりの作品に触れ、実際に日向ぼこをしているのかも知れないが、そんな

 温雅なものではないような気がする。「夢の靺鞨で」により語らぬ部分が映し出されてくる。

 鬼房先生は、昭和15年に兵役つき朝鮮半島の北部鏡城(きょうじょう)に入営し中国の最

 前線部隊に物資を運送している。日中戦争の真っ只中に居り「死」と背中合わせにしてい

 たと思われる。戦争という愚行を目の当たりに見てきた者でしか見ることの出来ない「夢」

 が虚しさ、惨めさ、悲しさ、怒り、憎しみまでも後世に伝えていると読み取ることができる。

 戦時の中で鈴木六林男との出会いもあった。

                                                (後藤 岑生「海程」「黒艦隊」 



  宮城県多賀城市市川にある多賀城碑には、西暦七六二年の多賀城の修造(修理)につ

 いての碑文と供に、「去靺鞨国界三千里(靺鞨国を去ること三千里)」の一文が刻まれてい

 る。この一文を前提とし、鬼房も訪れた碑を思いながら、三千里の距離、千三百年の時に

 想像を馳せて読むこともできよう。だが、今回はもう少し文献を紐解いてみることとする。靺

 鞨とはどこにあるのか。

  辞書に拠れば、靺鞨は「ツングース系諸族の総称」であり、その名は民族を指す。もとは

 中国大陸の東北部にあり、七〜八の部族からなっていた。碑にある七六二年には唐王朝

 の辺境支配を受け、粟末部が東北部で渤海を建国、黒水部が北部にあり、それぞれ唐の

 都督府が置かれたが、どちらにも靺鞨国の名称はない。多賀城碑のほかには『続紀』七二

 〇年に、渡嶋津軽津司ら六人を「靺鞨国に遣して」という一文を見ることができるが、靺鞨

 国の所在もその視察内容も明らかではない。多賀城碑文にある「去ること三千里」の距離

 も、実数ではなく遠距離を示す表現とされている。八世紀の日本での認識が正確でなく、

 当時の中国のいずれかの国を指しているのか、本当に靺鞨なる国が存在したのか、真偽

 は時の奔流の中にある。

  靺鞨とはどこにあるのか。鬼房に拠ればそれは夢の中である。掲句を読む者は皆、じっ

 と日だまりの暖かさを受けることだろう。場所は夢の中、中国東北部。中央支配に抵抗し

 た靺鞨民族の在りしその地なのである。


                                          (及川真梨子)




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