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 小熊座・月刊 
  


   2017 VOL.33  NO.384   俳句時評



      震災詠を問い直す(1)

                              千 倉 由 穂



  角川「俳句」2017年1月号の現代俳句時評に、外山一機氏が「僕らは3・11後にも俳句

 を書きたい」と題し、震災詠について述べている。

  正木ゆう子句集『羽羽』(春秋社、2016)において、


   真炎天原子炉に火も苦しむか

   ビニールシートこれをしも青といふか春

   核融合反応をもて初旭



 など、震災詠が入っていることについて次のように述べている。


  『羽羽』の作品世界を駆動させる時間にはふいに杭が打ち込まれるように「震災や原発

  事故、被災地詠」の時間が――いわば「悪い場所」(著者補足:活断層がある地質)を想

  起させる時間――が侵入する。



  さらに句集の「あとがき」において正木氏は、自身の故郷である熊本で震災が起こったこ

 とに言及しており(熊本地震・2016年4月14日)、外山氏は『あとがきにおいてすら「悪い

 場所」の時間が侵入してくる』と表現し、やりきれなさを感じていると述べている。

  私は、震災や原発事故を「時間の侵入」と捉えることに疑問を感じる。認識が穏やかすぎ

 るように思うのだ。

  さらに木村朗子氏の『震災後文学論 あたらしい日本文学のために』 (青土社、2013)に

 書かれている「何かをしなければならない」ということばを引用しつつ、このように述べてい

 る。


  この種の焦燥感は、たしかに俳句の世界にもあった。高野ムツオ『萬の翅』、照井翠『龍

  宮』などが少なからず話題になったのは――これからが実際に高野や照井の「何かをし

  なければならない」という感覚から生まれたものであるかどうかは問題ではない――、こ

  れらが僕ら読者の「何かしなければならない」という焦燥をとりあえずは落ちつかせてくれ

  るものとしての得がたさをもっていたからかもしれない。(中略)しかし同時に、木村の状

  況認識にどこか表層的なものであるような印象を受けるのは、俳句形式を介してこの「何

  かをしなければならない」という焦燥と対峙するということそのものが、今思えば、どうにも

  都合の悪いものであったように思われてならないからである。



  暮らしを揺るがす事態が起こり「何かしなければならない」という焦燥感が湧くのはよく分

 かる。だが、その心を落ちつかせてくれたものとは何だったのか。以前外山氏が執筆した

 ウェブサイト「俳句新空間」の『僕たちは「高野ムツオ」で感動したい』(2014年5月30日)

 に、その心理が詳しく書かれているように思うので、これも一部引用する。


  『萬の翅』を読んでいると、ふいに恐ろしいような気分になる。それはこの句集がとても見

  事に僕たちの「期待」に応えてくれているように見えるからだ。すなわち、この句集はかつ

  て東北にあって「食へざる詩」を書き続けた「佐藤鬼房」の志を継ぐ者が「被災」し、それで

  もなお東北で俳句を書き続けているというような、とても美しい「物語」を僕たちに与えてく

  れているものであるかのように思われる。



  期待する東北像というものに収束してしまうことで落ちつくということだと認識する。私は、

 ここにも疑問を感じる。震災詠を詠むとき、俳句の作り手は、読者の期待する読みを意識

 して、俳句を詠んではいない。俳句の「読み」の問題にも繫がってくる疑問である。また、外

 山氏の読みに感じるのは、作者と読者の距離の遠さである。

  大きな出来事があると、その出来事以前と以後に分断される。さらには、その出来事に

 直接影響を受けた者と受けなかった者に分かれてしまう。俳句形式はその大きな出来事、

 震災そして原発事故という出来事において、どのような意味を持ってくるのか。

  外山氏は角川「俳句」で、季語についても言及している。


  ある出来事を季語として認識するということは、極端にいえば、その出来事を円環的な時

  間に回収するということだろう。



  震災の後、「フクシマ忌」「福島忌」が季語として詠まれるようになった。季語はその後、ど

 う変化したか。震災詠の季語を考えるとき、2012年に開催されたシンポジウム「震災と詩

 歌」において、歌人・佐藤通雅氏の「季語が凌辱された」という発言も未だに強く印象に残っ

 ている。

  私は震災の日、大学生活を送っていた関東から故郷の宮城に帰省していて、北部の実

 家に戻ることができなくなり、仙台駅近くの五橋小学校にて二晩を過ごしたが、その間俳

 句を作ることができなかった。その後も、震災の句を作ることを試みてもできなかった。

  今回は問題提起のみになってしまうが、そのような自身の背景もあり、いま改めて震災詠

 と向き合ってみたいと思う。外山氏の時評に感じた二つの疑問に沿いつつ、次回より検討

 したい。





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