小 熊 座 2017/6   №385 小熊座の好句
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     2017/6   №385 小熊座の好句  高野ムツオ



    三月や座棺のごとく干潟岩        土見敬志郎

  鬼房顕彰俳句大会での作である。干潟岩は造語だろう。しかし、二語や三語を重

 ねて一語とする、いわゆる造語力は日本語本来の言葉の利点である、それは表現

 の凝縮という効率上の効用もさることながら、造語自体が、一つの別の新しい世界を

 立ち上がらせるという力も持っているからだ。この句の場合がそうで、干潟という平面

 性と岩という立体性が合体することによって、異形とも言える現場の映像を十分に伝

 える効果を担っている。その異形性は「座棺のごとく」という直喩によって更に増幅す

 る。加えて、季重なりを承知の上であえて「三月や」と強調することによって、その場

 所の特異性を際立たせている。この岩が以前からそこにあったものではなく、干潟の

 出現に伴って海の底から運ばれてきたもののように受け止めてしまうのは、たぶん私

 一人だけではないだろう。これは大震災の津波でいったん消えたはずの岩なのだ。

    住まふ屋根住まはぬ屋根や春の月        我妻 民雄

  山村集落としても鑑賞できるが、やはり都会の寸景だろう。ビルの上から眺めた下

 町、あるいは小高い丘下に広がる古い団地かもしれない。同じ形の屋根の並びをイ

 メージするなら後者。本来なら、どの屋根の下にも、それぞれ多様な人々の暮らしが

 存在していたはずだ。しかし、家督制度の消失と核家族化の定着によって一代限り

 で空家となる家が増え続けている。空家と空家の間にひっそりと高齢の夫婦が暮らし

 ている家も少なくはない。この句は、そうした時代を映し出している。人は死ぬと火葬

 され埋葬され、この世から姿を消す。しかし、建築技術が発達した昨今の家は、その

 形骸だけを人が不在になったのちも、ずっと保ち続けるのだ。少子化がそれに拍車

 をかける。やがて、限界集落と同じように人が誰も住まない団地が出現しない保証は

 どこにもない。春の月の光が穏やかな分、寂寥が深く広がる。

    薄霞木霊の返事遅くなる        佐藤 みね

  木霊は樹木に宿る精霊、山彦は山に宿る精霊である。山や谷の反響音をそれら精

 霊の声と古来聞き分けてきた。だから、木霊と書いた場合は山よりも木々のイメージ

 の方が濃くなる。ここでは霞の奥に挙る木々の姿を思い浮かべたい。木霊の返事が

 霞のせいで空気が澄んだ冬よりも遅くなったと感じたところに、この句の魅力がある。

 芽吹き直前の木々たちの生命がのりうつって重みを増した木霊である。

    傾斜する地軸のありて囀れる        柳  正子

  地軸と囀りには直接は何の関係もないはずだが、こう表現されると地軸が傾斜して

 いるからこそ春夏秋冬が生まれ、生命のさまざまな営みが展開されていることに改め

 て気づかされる。

    何人も乗せない決まり花筏        𠮷野 秀彦

  「なにびと」「なんぴと」と読む。如何なる人間も乗せないということ。人間以外は乗

 せるのである。






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