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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (84)      2017.vol.33 no.388



         空つぽの郵便受に蝸牛          鬼房

                                   『鳥食』 (昭和五十二年刊)


  郵便物を取り出すために郵便受けを開けたのに、郵便物は何も届いておらず郵便受け

 は空っぽであった。配達がいつもより遅いのか、それとも、家人が一足さきに取り出してし

 まったのか……。いや、やはり今日は全く郵便物が届かなかったのだ。

  俳句に深くかかわると、毎日何かしら手紙や雑誌、句集等が届くので、郵便受けを開け

 て何も届いていなかったときの、軽い落胆には共感できる。『今日は誰も私に用がないん

 だな』と心の中で呟きながら、そっと郵便受けを閉じる。あくまで私の場合である。

  一句は即物的に詠まれているので、「空つぽの郵便受」に対する心の動きは読者が想像

 するしかないのだが、鍵となるのは他でもない「蝸牛」だろう。

  葉陰から姿をあらわし、郵便受けをゆっくりと這う。雨の一日である。動きも遅く、外から

 の刺激があるとすぐ殻に閉じこもってしまう蝸牛は、他の生き物とは異なる時間を生きてい

 るようにも見える。殻を負ったその形はユーモラスであると同時に哀感が漂う。

  そんな蝸牛の姿が、空っぽの郵便受けを開けた人物の心のありように重なってくる。無

 理な取り合わせではなく、偶然の出会いによってもたらされた一句であろう。だから、すっと

 胸に染み入ってくる。

                                            (鶴岡加苗「狩」)



  車椅子の師とまみえたのは県の俳句大会で一度だけだった。体調が悪いのにもかかわ

 らず毅然として、名句をたくさん作られた。一度の出会いで多くの事を学んだ気がする。

  この句は親しみやすく心あたたまる感じだが、師は平凡な句にも深い意味を込めている

 と思う。

  どこにでもいる蝸牛は貝殻を背負い角を振り立てて這いまわる様子は、どこか明るく童

 心がよみがえって来る。じめじめした梅雨の時期、家を背負う蝸牛を見ると心に灯がともっ

 た様で思わず笑みがこぼれて来る。

  先人にも好まれた季語で例句もたくさんある。

   かたつぶり角ふりわけよ須磨明石      芭蕉

   蝸牛や雨雲さそふ角のさき          子規

   光陰は竹の一節蝸牛           みどり女

  師は郵便の来るのをとても楽しみにしており、今日も雨の中受取りに行った。恋文か?

 受賞の知らせか、自作の載った俳誌、戦時中に中国大陸で会って以来の朋友鈴木六林

 男氏や金子兜太氏の返書か新句集か……。この郵便受は今日は空っぽだった。代りに頑

 張り屋の蝸牛が鎮座していた。小さいながらも懸命に生きる蝸牛、志なかばで戦死した友

 への思いを重ねながら、いとおしく見守る鬼房師の姿が見えて来る。             

                                              (佐藤 みね)





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