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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (86)      2017.vol.33 no.390



         乱れなき囀よ飢透きとほり          鬼房

                                  『朝の日』(昭和五十五年刊)


  俳句における東北の雄としていつも出てくるのは、佐藤鬼房と成田千空であった。

  昭和三十年代、金沢市から出ていた「風」を拠点として社会性俳句運動がさかんな頃、記

 憶も不確かなところもあるが、沢木欣一、金子兜太、鈴木六林男、佐藤鬼房、原子公平、

 古澤太穂、堀葦男、林田紀音夫、八木三日女などなど、錚錚たるメンバーでわれわれ若

 手の憧がれの的であった。

  その佐藤鬼房の掲句をみて、青森県の「南部子守唄」を思いだした。

  〽ねんねろや ころころねんねこして おいたなら あんずきまんまさ ごごかけて

 もしもそれがいやならば 白いまんまに しゃけかけて

  という唄がある。

  南部地方は、かんがい水が不足のため水稲栽培ができなかった。そのために、粟めし、

 稗めしが主食で子守唄にあるように、白いまんまが唯一のご馳走であった。

  この句は、戦後間もない頃の作品だろうか。

  空高く飛び立つ雲雀の囀とひもじくてもじっと我慢する南部地方の農民の生活との取り合

 わせが詩を生み、社会性のある俳句ともなっている。

                                   (徳才子青良「海程・黒艦隊」)



  「余白の祭」(恩田侑布子著)に、桑原武夫「第二芸術論」に応う―極楽への十三階段の

 一文がある。学生の頃、桑原の「第二芸術」を読み、十七文字の限界に納得し、友人によ

 く受け売りをしていた。その自分が今、俳句を楽しんでいる。

  恩田は、桑原が当時の俳壇を「極楽」という衰弱死が控える十三階段に、すなわち絞首

 台に喩えているとし、それを軽くいなす。恩田はまた、「季語は俳句を作る人間にとっては、

 また味わう人間にとっては、本体でも本尊でもなく、はたらきなのだ」と言っているが、鬼房

 もエッセイの中で「私は、季語も一つの言葉として返上し、一つ一つの言葉の機能を大切

 にあつかいたいと思う。私には十七字のなかのすべての言葉がひとしく重要」と書き、従来

 の歳時記とは違った、事語集の編集にまで言及している。

  掲句は、鬼房が六十一歳の時に発刊した第6句集に掲載された。晦渋な句である。囀り

 は春の求愛の鳴き声だが、この句の囀りは乱れのない鳴き声である。飢えも透きとおって

 いる。空蝉に似た心象風景が広がるのは何故か。

  抜き差しならない戦争体験の影、鬼房にとって、「戦中も戦後も体中を走りまわる痛み」

 は、まさに不断の歯痛であり、死地をくぐり抜けてきた者に纏わりついている苦悩、失意そ

 のものだろう。戦後の長い日常生活の中で、ある種のカタルシスが生まれた。うっすらと虚

 無感が漂っている一句である。                          (坂下 遊馬)





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