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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (99)      2018.vol.34 no.403



         蝦夷以前より日向谷猫柳          鬼房

                                『鳥食』(昭和五十二年刊)


  蝦夷の民が暮らしていた時代、さらにはそれよりも前の時代から、この場所は日の当た

 る谷地であり、谷川の側には猫柳があったという句意と読んだ。

  掲出句が生まれたとき、鬼房が実際に見ていたものは、恐らく、春の陽射しがあたった東

 北地方の谷川とそこに咲いていた白い猫柳だけだったと思う。

  しかし、自らを「もっぱら、われとわが身の戦いのなかで、北方の血を詠みつづけて来た」

 と語る鬼房は、日のあたる谷に猫柳が咲いている東北の春の風景を目の前にしたとき、そ

 の風景は「蝦夷以前より」続くものであると確信したのだ。

  古代の蝦夷は、本州東部とそれ以北に居住し、政治的・文化的に、大和朝廷やその支

 配下に入った地域への帰属や同化を拒否していた集団を指したが、次第に影響力を増大

 させていく大和朝廷により、征服・吸収されていったといわれている。

  この句で着目したいのは「猫柳」である。春の谷には、天文、生活、動物、植物等の季語

 になり得る様々なものがあったはずだが、「春の風」「百千鳥」「山桜」等の季語と入れ変え

 たら、この句は説得力を失う。「猫柳」だからこそ、読者は「蝦夷以前より日向谷」に納得す

 るのだろう。

                                   (佐藤 涼子「澤俳句会」)



  「鳥食・とりばみ」とは、広辞苑によると、「大饗(たいきょう)の時の料理の残り物を、庭に

 投げて下衆(身分の低いもの)などに拾い取らせたもの。また、その下衆、鳥などにあたえ

 るものの意ともいう。」とある。

  掲句は、第五句集「鳥食」(昭和四十八年から昭和五十一年)からの句で、昭和五十二

 年、鬼房五十六歳の刊行です。

  昭和四十九年ごろより肺気腫の影響か激しい咳に身体の衰弱が激しく、翌五十年には、

 過労のため心臓衰弱により入院。東北に「鬼房」在りの機運がようやく見えて来た最中の

 身体の病魔は、おのずからを「鳥食」にたとえ、すべからく、卑しい流人の思いに駆られて

 ゆく。

  此の刊のあとがきに書く「収斂の時期、身軽にやさしくなりたい」とはなにを伝えようとした

 のか、鬼房のこの時期、或は中央俳壇への距離感、地域性も、距離をも含めた「距離感」

 の中で喘ぐ姿が有ったのだろうか。

  先ごろ、秋田県の金足農業高校が甲子園を沸かし、東北を沸かした。この快挙は東北と

 いう地域の「魂」を奮い立たせ一丸となった「東北魂」を彷彿させたことは、復興への力強

 い応援歌となったことに違いない。

  然し、ここにも底辺に中央への「距離感」を感じるのだ。「蝦夷(東北)」という地に在り、そ

 の地を離れぬという鬼房のさだめが「鳥食」の思想を根強くさせたのだろうか。

  ともあれ烈寒のなかに銀色に輝く猫柳が印象的。

                                          (牛丸 幸彦)





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