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 小熊座・月刊  


   2019 VOL.35  NO.409   俳句時評



      新元号「令和」―天皇の白髪にこそ

                              武 良 竜 彦



  新元号は「令和」ですか……。

 「初春の令月にして、気淑く風和ぎ」と、奈良時代のエリート官僚歌人の大伴旅人が、730

 (天平二)年の春、九州は大宰府の公邸での宴で、梅の枝を手折って雪に譬えて酒杯に浮

 かべて、九州地区の官僚たちと歌を詠み合ったという優雅なエピソードから採った元号で

 すよ、などと説かれても、その言葉の後に続く、「天空を覆いとし、大地を敷物として、くつろ

 ぎ、ひざ寄せ合って酒杯を飛ばす、さあ園梅を歌に詠もうではないか」というその天地は荒

 れ涸き、野に愛でる梅など咲いているはずもなく、九州貧民大衆の存在には視線など届く

 筈もなく、エリート階級の言葉遊びにしか聞こえない。天平時代は政変と飢饉、疫病の蔓延

 などで人びとは餓死すれすれの日々を暮らしていた。南九州の民草の末裔の私には、「和

 であることを命令する」という御上目線の号令言葉にしか感じられない。選挙の街頭演説

 で日章旗林立する中で、自分を批判した声に対して「あんな人達には負けられない」と国

 民を分断するように声を荒げる首相は、新元号について「人々が美しく心を寄せ合う中で

 文化が生まれ育つという意味が込められております」と嘯き、近現代の政治的支配者たち

 がそうしたように、自分も都合よく「万葉集」を国民意識高揚に利用しようとしているように

 しか見えない。天皇を中心とした政の残滓を引き摺ったまま、政権主導で改変されるという

 元号制は民主主義から限りなく遠い制度だ。時代に御上が名を付けて、下々はそれに歓

 喜していなさいと? 民主主義が根付き損ねた国の私たちは、いつまでもそれでいいので

 しょうか。新しい年号が『万葉集』から採られたことを「新しい第一歩を踏み出した」と国粋

 主義的に喜んでいる人もいるそうだ。「海ゆかば」「おおきみのへにこそ死なめ」的、服従せ

 よとの詔的支配システム思考の復活である。万葉集で戦に駆り出される民草はこう詠まれ

 ている。

   防人に行くは誰が背と問ふ人を見るがともしさ物思ひもせず

  徴兵制導入はもうすぐです。

  困った時の先祖返り思考が道を誤らせた歴史的瑕疵を忘れたのだろうか。短歌はともか

 く、俳句は短歌の下七七の音数を捨てた時、伝統的因習とも決別して今がある。

  浮かれている場合ではない。昭和の戦争の後始末も、平成の大震災禍、原発事故禍も

 その疵はまだ癒えていない。

  元号制と天皇制は不可分にある。そのことが議論されていない。日本の天皇は世界の中

 でとても特異な「王権」である。藤原氏による摂関政治の開始以来、武家政治を経て幕末

 まで、ほとんど「権力」を行使していない。天皇の責務は第一に神道の祭祀であり、その次

 が和歌などの文化の伝承だった。政治的権力闘争の場から距離をおいて、百代を超える

 皇統を維持した歴史からして象徴的な「王権」であるとは言えるだろう。その千年を超える

 祭祀と文化の保持の後に、明治維新が起こり、ヨーロッパ式の君主制が接ぎ木された。こ

 の時この日本的な象徴的天皇のあり方が変質した。明治以降の戦争の歴史の中で、多数

 の「天皇研究書」が指摘するように、明治天皇も昭和天皇も本心は非戦派だったが、その

 思いを他所に、覇権主義的世界情勢の中で時の政権と国民的熱狂によって戦争が選択

 れた。その結果、百代を超える皇統の歴史の中で、昭和天皇は初めて「敗者」として、戦勝

 国アメリカのマッカーサー元帥の横に立たされることになった。その報道写真を見た国民

 の大半が、「おいたわしい」という思いを抱いたという。

  赤坂憲雄は著書『王と天皇』で次のように述べている。

     ※

  占領軍はこの写真を日本の大衆の脳裡に灼きつけることで、もっとも効果的な天皇の権

 威失墜を狙ったにちがいない。それはたしかに成功をおさめた。(略)占領軍は天皇を大き

 な〈王〉〈専制君主〉と見なしていた、だからこそ、それよりさらに巨大な権力者=マッカーサ

 ーによって隷従させられる天皇の姿のもつ絶大な効果を信じて疑わなかった。だが……も

 しかしたら、大方の日本人の心理の深いところでは、占領軍のまるで予期せざる、もうひと

 つの異質なドラマが秘めやかに演じられていたのかもしれない。つまり、日本の民衆のいく

 らかの部分はあの写真のうえに、巨大な専制権力=〈王〉によって犯され蹂躙される、あえ

 かにして美しく小さき天皇の面影を認めて、ひそかに悲劇感情を揺すぶられたにちがいな

 いということだ。

     ※

  宇多喜代子も著書『ひとたびの手紙から』で、この『王と天皇』について触れ、こう述べて

 いる。

     ※

  赤坂憲雄は、この著書で「文化概念としての天皇制をめぐって、日本人の美意識の陰微

 な昏がりに垂鉛を降ろしていったときに、ある人々が発見するにちがいない、純粋理念とし

 て結ばれた傷付きやすい像である」として、幼童天皇について語った上でかく述べている

 のである。暝目する思いでこれを読む。/かの写真を見たとき、祖母は「おいたわしい」と

 言って目をショボショボさせた。四年生であった私にしてなんとなくその感を抱いた。

     ※

  天皇の責務は神道の祭祀であり、和歌などの文化の伝承であり、千年を超える祭祀と文

 化の基盤に、稲作を主軸とした農耕文化がある。和歌の歴史につらなる俳句が大切にす

 る季語そのものが、この農耕文化で培われた日本的心性という文化であり、天皇が象徴

 するのはその季語を含む農耕文化と詩歌文化である。その稲作文化のど真ん中に象徴

 天皇制がある。稲作文化が消滅に向かうとき象徴天皇も歪められ、現政権のような「軽薄

 解釈改憲派」によって、再び軍服を着せられる日が来るかも知れない。象徴天皇に二度と

 軍服を着せてはならない。宇多喜代子は季語を伝統俳句派の形式主義的な慣用季語か

 ら、現代を生きる俳人の精神的営みの座に奪還しようと活動してきた。ならば現代俳句は

 そのど真ん中にある象徴天皇制の危うさにも敏感であるべきだ。宇多喜代子の次の句は

 そんな危うい響きを放つ。

   天皇の白髪にこそ夏の月        宇多喜代子




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