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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (106)      2019.vol.35 no.410



         生き死にの死の側ともす落蛍
                       
          鬼房

                                   『地 楡』(昭和五十年刊)


  上五の「生き死にの」にいきなり胸ぐらをつかまれる。これが「生と死の」であったなら

 読み流してしまうかもしれない。「生き死にの」には、人間の現実を凝視してきた者だけ

 が知る優しさが表れているのではないか。イ音の連続による韻律も効果的だ。中七で

 場面は展開し、「死の側ともす」という心象的な情景が描かれる。

  圧巻は下五の「落蛍」。芭蕉の句に「草の葉を落つるより飛ぶほたるかな」があるが、

 これとは蛍の置かれた状況は全く異なる。芭蕉の蛍にはまだ飛ぶ力があって生の輝き

 を放っているのに対し、鬼房の蛍はまさに生き死にの境目にあって緊張感が漂う。弱々

 しく明滅する「落蛍」は此岸にいながら、視界に彼岸が広がっているのである。

  では、鬼房に「死の側」は一体どう見えたのであろうか。同じ句集に次の句がある。

   月光とあり死ぬならばシベリアで

  鬼房は27歳のとき、インドネシアのスンバワ島で終戦を迎えた。中国から南方に転進

 したためで、ソ連の捕虜となりシベリアの強制収容所へ送られて命を落とした多くの若

 者たちとは生死を分けた。そんな同世代の若者たちへの哀惜の念を、鬼房は生涯抱き

 続けていたという。

  「落蛍」がともした「死の側」に月光が照らすシベリアの情景を見たとしても不思議では

 ない。

                                     (山本  潔「花暦」)



  沖縄に「じんじん、じんじん、さたやぬ水くぁてぃ、うてぃりよーじんじん、さがりよーじん

 じん」の童唄がある。「蛍よ蛍、製糖小屋の水飲んで落ちろよ蛍、下がれよ蛍」の意味で

 ある。幼い頃、明るそうな唄の向こうに不気味な何かを漠然と感じていたのをこの句で

 思い出した。

  横山白虹に、 〈よろけやみあの世の蛍手にともす〉 の句がある。「よろけやみ」とは肺

 疾患の俗称であり、あの時代は死の病であった。患者の命が長くないことを知っていた

 医師の白虹は、患者の手に青白く明滅する蛍の光をあの世のものと見てとったのであ

 ろう。

  掲句も白虹のように蛍にあの世を見ているが、「病臥つづく二句」の前書があり〈薬臭

 の廊幾曲り梅雨荒し〉の句が次にある。鬼房は昭和37年に胆嚢の、昭和61年に胃、

 膵臓、脾臓の手術をしている。病魔との闘いの人生だったと言えるだろう。闇と病みの

 ただ中にいて、明滅する妖しい静かな光に自らの死を見たのであろうか。

  死といえば、鬼房の〈月光とあり死ぬならばシベリアで〉の句について氏は 「死を言い

 ながら死そのものを書いては居ない」 「解放感覚、あるいは救済的願望とでもいうべき

 もの」 と言っている。しかし掲句のこの世の蛍はあの世の蛍に姿を変え、病臥の続く鬼

 房に現実的な死を思わせる「落蛍」となったのである。

                                             (中村  春)