小 熊 座 2019/11   №414 小熊座の好句
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    2019/11   №414 小熊座の好句  高野ムツオ



  これまでも触れたが、小熊座は俳句技法の基本や手順についての指導に重きをお

 いた文章は掲載していない。添削講座も設けていない。「俳句に限らず創造の世界

 は教えたり教わったりするものではなく、自ら学び感得するものだと私は思うからだ。

 多少時間がかかり廻り道があっても、自立の磨きのかかった美しさは類いない。」と

 いう創刊の鬼房の言葉を大切にしてきたからだ。それでも小熊座作品の充実ぶりへ

 の評価の声も届いている。もっとも外交辞令もあろうから、叱咤の裏返しと受け止め

 てもいる。

  俳句の基本や手順に触れないということは、それをないがしろにしているということ

 ではけっしてない。むしろ、常に初心に立ち戻って基本を確認してほしいとさえ願って

 いる。私は無季の俳句も作るが、季語は俳句にとってかけがえない重要な詩を生む

 言葉と深く認識しているつもりだ。句を成す場合、そこに使われた季語はどんな意味

 を持ち、どんな働きをするのか、必ず歳時記や辞書にあたって確認するようにしてい

 る。例えば「冬日」という季語を用いて作句する際には「冬日」と「冬の日」はどう違う

 のか。同じ「冬日」でも太陽そのものを差す場合と日差しを差す場合があるが、仮に

 太陽を指すとすれば。どう表現すれば日差しとの混同を避けることができるのか。

 「冬日差」と「冬日影」はどうニュアンスが違ってくるのか等々。「冬日」という簡潔な季

 語一つについても難問はたくさん付いて回る。他の季語も同じである。一句の構成、

 切れ字、体言止め、それに形容詞や副詞などの用法にも常に意識して吟味するよう

 にしている。小熊座に拠る仲間は皆、日頃より同じように悩み砕心されていることと

 思うが、ふと気になったので、あえて自戒をこめて一言記した。

    これがかの地獄の門か小鳥来る        中村  春

  言葉に敬意を払うのは読み手である場合にも同様だ。この句の場合、「かの」が何

 を指すのか。まず思い浮かぶのは、ロダンがダンテの『神曲』を元にして制作した「地

 獄の門」である。上野の国立西洋美術館始め世界に七つのブロンズ像がある。ロダ

 ンの生前には鋳造されることがなかったそうだ。東北人には上野のものが身近なの

 で、その前に立った時の感慨が「かの」に込められているのだろう。そう鑑賞するの

 はそれで間違いではない。しかし、そこで想像を止めては、この句の魅力の一面をな

 ぞったに過ぎないだろう。やはり、ダンテの『神曲』地獄篇の架空された地獄の門に

 立っていると読むべきだ。『神曲』は若い時分、岩波文庫で読んだ記憶はある。しかし

 何が何だかよくわからなかった。たぶん、途中で放棄している。だから、鑑賞者として

 失格なのだが、邪悪に満ちた人間の生そのものが地獄であり、その入り口であると

 想像するぐらいは可能だ。すると、実際の場所はどこでもいいことになる。人は誰も

 が日々刻々、常に地獄の門の前に実際に立っているからだ。その時、空から福音と

 なって小鳥の声が降って来る。

    水葵あれは二万の涙壺          大久保和子

    コスモスは嵐と同化して自由        髙橋  薫

    被曝地や夏草の這ふ覆ふ蔽       佐藤 和子

    剝製の子熊の爪へ流れ星         小笠原祐子





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