小 熊 座 2019/12   №415 小熊座の好句
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    2019/12   №415 小熊座の好句  高野ムツオ



    苦瓜のような顔して否と言う      佐竹 伸一

  和名は正式には蔓茘枝で、苦瓜は古名であるそうだ。ムクロジ科の果樹レイシ別

 名ライチに似ているから付いた名である。言われてみると確かに似ている。沖縄では

 「ゴーヤー」とか「ゴーラ」と呼ぶ。奄美大島では「トーグリ」。九州地域で栽培されてき

 た細長く苦味が強いものを「ニガゴイ」または「ニガゴリ」と呼び、沖縄地域で栽培され

 てきた太く苦味が穏やかなものを「ゴーヤー」と呼び分けるとも聞く。今では「ゴーヤ」

 が一般的な呼び方となった。「苦瓜のような顔」は比喩だから、沖縄に住んでいる人

 に限ることはないのだろうが、どうしても沖縄の人。日焼けした顔が見える。沖縄はか

 つては琉球王国という独立国家であった。正式には琉球国、十五世紀頃から450年

 ほど続いた。「琉球王国」は初代沖縄県知事であった屋良朝苗が本土復帰と観光誘

 致のために普及させた俗称という。最盛期には奄美群島と沖縄諸島、先頭諸島まで

 を征服した。総人口12万ほどの小国で、隣接する大陸の明や日本との中継貿易の

 拠点として栄えたが、両国の圧力とその軋轢を凌ぐ忍従の歴史でもあった。「琉球」

 の表記は七世紀初頭の『隋書』に「琉求」とあるのが初出。この頃から大陸からの被

 虐の歴史は始まっていた。「琉球」は美称でもあるが随が名付けたもの。現地では古

 くから「沖縄」と呼称していたとの説がある。「沖縄」は八世紀の『唐大和上東征伝』に

 鑑真が島民にここはどこかと聞いた際に「あこなは」と答えたのが初出と伝わる。「沖

 縄」は漢字は当て字のようだ。いつものように脱線してきた。

  この句は具体的には不明だが、作者の要求もしくは願いなどに対して首を横に振っ

 た場面であろう。よほど受け入れ難い内容であることが、苦瓜に喩えられた表情から

 生々しく伝わる。比喩として用いられた季語は季語として認められるかとの質問をよく

 耳にするが、それはケースバイケースとしか答えようがない。季語でなくても俳句の

 中で詩の言葉として機能していれば、それでいいと思っている。「苦瓜根に連なって

 苦く甜瓜蔕に徹して甘し」ということわざがある。苦い瓜は根から苦く、甘い瓜はへた

 に至るまで甘い。性質はそのおおもとに根差しているとのことだが、人間に限るなら、

 そうとばかりは言えない。理不尽な被征服の歴史が、そこに住む人々の感情や意識

 に、さらに表情に苦々しさを蓄える。それは沖縄に限らず、この小さな列島の隅々で

 今もなお続いている事実だ。この句はそんなことまで思わせる。

    戦争に足音なくて鳳仙花        四戸美佐子

  冨沢赤黄男に〈戞戞とゆき戞戞と征くばかり〉という句がある。数知れぬ軍靴が砂

 利道などを踏みしめている場面である。足音のする戦争も怖いが足音のしない戦争

 はもっと怖い。知らないうちに正面に立っている〈戦争が廊下の奥に立つてゐた〉はも

 っと怖い。いやいや、怖さに差異はない。どれも鳥肌が立つほど怖いのだ。

    ひとりとは影も一つや小鳥来る     日下 節子

    十六夜の砂漠に眠る背美鯨      中村  春

    伊予和紙を指でめくれば秋の風    丸山みづほ






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