小 熊 座 2020/1   №416 小熊座の好句
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    2020/1   №416 小熊座の好句  高野ムツオ



    さざなみの砂に浸みゆく神迎へ      津髙里永子

  神迎え、神送りはもともと出雲に限らない。神が天から降臨するという原初的な考

 えに基づく祭祀の形態の一つである。現今の祭の多くもこれに基づいて行われてい

 る。十月に諸神が出雲に集まる行事の記録は古くは平安時代末期の『奥儀抄』に見

 られるようだ。出雲の稲佐の浜はもともと国譲りの舞台であったところ。武甕槌神と

 大国主命がここで対面した。国譲りといえば聞こえがいいが、降伏を迫られた訳だ。

 大国主命が国を譲る代わりに高い塔を作ってくれれば、そこで国を見守りましょうと

 述べたという。伝承では高さ130メートル、実際に発見された巨柱からも高さ50メー

 トルに及ぶであろう神殿が存在したとされる。大国主命は祀られたのではなく幽閉さ

 れたのだという説がある。こちらの方が説得力に富む。全国に散らばった八百万神

 を迎えるのも、この稲佐の浜である。夷神や竈神を留守神とする伝承も広く伝わる。

 それらの神は天孫族系列の神ではなく、それぞれの土地に古くから信仰されていた

 神であった。大国主命よりさらに異蔟の被支配者が招かれるはずはない。この句は

 稲佐の浜の情景とするのが自然だろう。砂に浸みるさざなみを神々を迎える喜びと

 取るか流竄の身となった神々への慰藉と取るか。それは読み手の自由である。「浸

 みゆく」という表現にこだわるなら、後者であろう。

    木枯や山越えて来し庄内麩        永野 シン

  麩は京都産が名高い。ことに生麩。精進料理には欠かせない。一般的なのは焼麩

 宮城県は油麩である。棒状の麩がなじみ深い。小熊座の同人だった郷古昭雄は確

 か麩作りを営んでいたはずだ。庄内麩は板麩である。北前船に積み易くしたのが、

 板麩の始まりと言われている。かつては行商人が正月用にと担いで運んで来たのか

 も知れない。木枯しに乗って奥羽山脈を越える姿が想像できる。

    秋風が連れてくる友晒飴          大久保和子

  こちらは年来の親友との出会いの一句。晒飴は水飴を引き飴という独特の技法で

 何度も引き延ばして白くした飴。絹糸が重なったような飴で、一見固そうだが、大変脆

 く舌先ですぐに溶けて口中に甘みが広がる。宮城県大河原町では「晒しよし飴」と呼

 ぶ。伊達正宗の家臣で角田臥牛城主石川から何か新しい菓子を作れと命令された

 菓子職人が創作したとの話が伝わる。だが、何度も工夫が重ねられているに違いな

 い。句中では秋風が連れてきたと表現されているが、晒し飴に誘われてきたとも鑑賞

 できる。晒しよし飴の製造は九月下旬から始まる。待ち兼ねてやってきたのだ。

    津波に消えし町と稔り田機窓より      丸山みづほ

  この情景は仙台空港への着陸時のもの。飛び立つときも見えるが、やはり、戻って

 来たときとしたい。津波に消えた町が見えるはずがない。見えるのは、津波に攫われ

 る以前に何度もかつての町並みを目にしていた人のみである。稔り田が共に見えた

 ところに復興への希望が重なる。

    泪壺とは龍胆の異名なり         あべあつこ

    海の声聞いて干し柿甘くなる      蘇武 啓子

    枯蟷螂放置自転車のやうに       佐藤 弘子






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