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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (112)      2020.vol.36 no.416



         打撲痣身に覚えあり螢沢
                       
          鬼房

                                   『枯 峠』(平成十年刊)


  「打撲痣」という言葉が、これほど生き生きと俳句に使われたことがあるだろうか。おそ

 らく「打撲痣」と「螢沢」との関係性を、想像力で読み解くことが読者に与えられた課題で

 あろう。

  「打撲痣身に覚えあり」から、この「打撲痣」はもう消えているものかもしれない。だが、

 「螢沢」を見てそのような詩的断定に至ったのである。つまり昔「螢沢」をみていた時は

 「打撲痣」があったことが容易に想像できる。

  ここでは「螢沢」は、単なる季語を越えて身体性を回復するトポスとして働いているので

 ある。

  私は掲句を一読したとき、「物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見

 る 和泉式部」(『後拾遺集』)の和歌を思い起こした。この和歌は、蛍の伝統的な情趣を

 通して恋を詠んだものである。当時は、ひどく思い悩むと魂が身体から遊離すると考え

 られていた。蛍火をその魂とみたのである。

  一方で鬼房の句は、身体性が濃密な「打撲痣」という言葉によって、先の和歌の伝統

 的な情趣を乗り越えている。ここにこの俳句の新しさがある。またこの「打撲痣」は、一

 体どのような理由で、できたのだろうかと一瞬、読者に考えさせるところもユニークであ

 る。

                                      (涼野 海音「晨」)



  鬼房七十七歳の時の句である。

  この年齢になると身に覚えの無い痣が、特に手足にできることが多くなる。思いあたる

 人もあると思う。

  老化で毛細血管が脆くなり、少しの刺激でも内出血を起こしそれが痣になる。その時

 は痛みも少なく、何かに夢中になったりしていて、殆ど気付かずにいることが多い。

  しかし、作者はここで「身に覚えあり」と断固言い切っている。きっと打撲による痛みが

 強かったのだろう。と同時に仕舞った、不覚だったと集中力を欠いた自分自身に衝撃を

 受けたことが感じられ、その時の表情や、感情の揺れが一句に投影されている。

  何でもない日常を詠んだ句ではあるが、どのような状態で身体の何処を打ったのだろ

 う。程度はどのくらいだったのだろう。螢沢は打撲の原因に関係しているのだろうかと、

 この句から色々想像出来ることも興味深い。

  日々の暮らしの中で、身体にも心にも傷や痣が出来ては治療する。なかでも、心に受

 けた傷は消し難く、深く澱のようになって身を苛む。誰にでも人には語らない、話せない

 ことがある。それが生きると言うことと思っている。

  この句にはそう言う暗さはなく、毅然としていてそれ故に爽やかさを感じる。

                                         (柳  正子)