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   鬼房の秀作を読む (115)      2020.vol.36 no.419



         殺められたし空谷の桜どき
                       
          鬼房

                                   『枯 峠』(平成十年刊)


  あの日私は、一人電車に乗っていた。東京は桜の光に満ち、そのあかるさは電車の中

 の空間へもおしよせていた。新しい生活がはじまり、私は、自分が一人である、ということ

 を改めて感じていた。

  ――さくらどき、と言われて私は、そんな経験を思い出す。特別な誰かと見る桜、あるい

 は、いろんな仲間と見る桜、もあるけれど、桜、は時に、自分がたった一人である、という

 ことに思い至らせるように思う。

  空谷、とは誰もいない谷。だから、空谷の桜どきとは、まさに空間としても心象としても、

 私一人しかいない桜の場といえる。がらんとした大きな場として、私が桜であり、桜が私で

 ある、そういう心細くもあり厳かでもあるひろがり。

  殺められたし、とある。作者は誰に殺められたいのか。その誰かは、桜どきの眩しさで見

 えない。いや、むしろそれは眩しさそのものではないか。作者は眩しさそのものに殺められ

 たいように、私には思えるのだ。

  殺められたし、と思った刹那。その刹那においてはまだ、一人の私、がいるだろう。なぜ

 なら、その刹那において私は、……られたし、と欲求しているのだから。しかし殺められて

 しまえば、それがなくなる。一人の私、は解消され、あとは、桜どき、の眩しさばかり。

                                      (鴇田 智哉「オルガン」)



  まず、七・五・五のリズムがこの句の不安定な世界観を増長させているように思う一句。

 まるで救いようがない小説の一場面のような展開である。『山月記』の中でも登場する「空

 谷」という綺麗で馴染みのない言葉の効果でとても空虚さと切望が滲み出る。梶井基次郎

 の短編小説の冒頭「櫻の樹の下には屍体が埋まっている!」のように、美しく咲き誇り儚く

 散っていく桜と生きものの死は遠くで繋がっているのだろう。「殺められたし」には、きっとこ

 の人知れず見ごろを迎えた絶景の桜の前ならば自分自身が誰かに殺められてもよいとい

 うような意味合いがあるのでは……と、そのように考えたうえで私個人としては、人目に一

 度たりとも触れることなく寿命が尽きゆく空谷の桜の姿を思い描いた。空谷の桜は人を知

 らず、人に愛でられるために咲いているわけでもないのだ。しかし自然の中、もし奇跡的に

 見えたのならきっと優美な景に違いない。その桜自身に人を殺めてしまうような魅力、もし

 くは妖力が備わっているような空想に浸ってしまう奥深い秀句。

  昨今、日本各地のソメイヨシノが一斉に寿命を迎えはじめたらしい。同時期に開花するソ

 メイヨシノは同じ遺伝子をもつことと、伝染病の影響があるという。川沿いや公園、校庭の

 桜並木が伐られることは非常に耐え難いが、今度は桜側の「殺められたし」が聴こえてくる

 かもしれない。

                                         (一関なつみ)