小 熊 座 2020/6   №421 小熊座の好句
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    2020/6   №421 小熊座の好句  高野ムツオ



    隠栖と気どるほかなし花の昼      浪山 克彦

  新型コロナウイルス禍が終息しつつあるとのニュースが目につくようになった。安堵

 すべきところだが、少しも気が晴れない。いくつか理由があるが、一つにはこれから

 感染が増すと予測される国がいくつもあることがまず上げられる。これまでも飢餓や

 貧困に喘いでいた人々のこれからが思いやられる。この句はまずは疫病流行で外出

 を禁止された老人の自虐的心境と読むのが自然なのだろう。だが、そうした状況との

 関わりから離れて鑑賞した方が、作者の孤独感がいっそう深まって伝わるのではな

 いか。むろん陶淵明のように国を憂いる高踏的心境でも、漂泊に死んだ李杜西芭を

 特別に意識しているわけでもない。血縁や知己とも縁遠くなって、都会の隅に、ただ

 精一杯生き抜こうとする一老人の平凡な呟きなのだ。だが、そう読むとき、この開き

 なりとも思える生きる姿勢は、選ばれた詩人たちとはまた異なる暗く熱い詩の炎を上

 げ始める。無頼の逞しさ、無名ゆえの力というもの。

    煩悩は愉しく溜めよ蝶の昼        増田 陽一

  同じ隠栖でも、こちらは遊び心の色が濃い。煩悩には三毒がある。貪り求め、怒り

 恨み、そして苦悩する人間の根源悪のことだそうだ。だが、悟りの境地に至ることが

 不可能な俗人は、到底そこから抜け出すことはできない。せめて、その諸悪を他者

 に向けることなく、自家薬籠のものして飼い慣らすしかないとの逆説的諧謔の句であ

 る。蝶が飛び交う昼のまぶしさが宿業の暗さと表裏になっている。

    磯巾着さびしき手足解放す        上野まさい

  その孤独感を女性的な肉体感受で表現した。磯巾着は岩などに定着して動かない

 イメージがあるが、下部に足盤と呼ばれる突起があり、これを用いて移動することが

 可能なのだそうだ。もっとも時速数センチ、動きを目視するのは無理のようだ。磯巾

 着は触手に触れた小動物を毒で麻痺させてから口盤と呼ばれる口に運ぶ。その触

 手のさまを寂しさに手足を開いたかのように感情移入して表現した。ほとんど動けな

 いのだから、いかに解放しても範囲はたかが知れている。孤独という毒は薄まること

 はない。だが、自由を希求する作者の思いは遙かへと解放されている。  

    塵取りのここにも春日めぐり来ぬ     中井 洋子

    竹箒春日を集め膨れおり          髙橋  薫

    春光のはじまりにある蚤の市       千倉 由穂


  春の光は清浄そのものであるが、俳句においては塵芥、や古道具などが妙に似合

 う。落差あるイメージを一瞬にして繋ぎ、混融昇華してしまうのが俳句の力だ。かつて

 クーシューやエリュアールといったジャポニズム期のフランス詩人達が俳句に驚いた

 理由は、この辺にもあったに違いない。

    牛が星の泪を宿す雪解かな        山本  勲

    包まれるやうに包める木の芽雨      𠮷沢 美香


  俳句は感覚で作るもの。時代や情況を表現することは大切だが、批評や諧謔は、

 抒情の裏打ちがあってこそ本物となる。正木ゆう子が熊本日日新聞俳壇の選評で新

 型コロナウイルスを 「コロナ」 と省略して詠むのは無理と指摘していたが、同感であ

 る。





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