小 熊 座 俳誌 小熊座
高野ムツオ 佐藤鬼房 俳誌・小熊座 句集銀河星雲  小熊座行事 お知らせ リンク TOPへ戻る
 

 小熊座・月刊


   2021 VOL.37  NO.428   俳句時評



            75年目の「貧困」に俳句は今

                           渡 辺 誠一郎



  前号で、戦後75年を過ぎた現在の俳人たちの戦争詠についてふれた。同じ『俳壇』(8月

 号)の特集では、「戦争」のテーマと合わせ鏡のようにして、「貧困」を取り上げている。編集

 者はその意図を次のよう述べる。

  「・・現在、新型コロナウイルスの感染が拡大。経済活動の停滞で雇用も減り、ますます

 格差も広がるなど、世界的な社会問題が深刻化している。」。その上で、この状況を俳句

 がどう詠めるのかと問う。


  新型コロナウイルスによる影響は、社会の隅々まで及んでいる。これをきっかけに、従来

  から大きな課題であった経済格差や貧困の問題が一層顕在化したのは確かなことだ。

  この問題は一国で終わらない。全世界に及ぶ。深刻な東西対立が解消されたが、これと

  すり替わるようにして全世界に拡がった。経済のグローバル化がさらに後押しした。今

  やむき出しの資本主義経済が世界を覆う。と同時に新たな動きも現れた。アメリカに迫ろ

  うとして頭を擡げた中国であり、いわゆるビックデータを握り、地球の隅々までも影響を及

  ぼしつつあるGAHA の存在である。

  わが国の貧困いえば、その象徴的な指標のひとつとして、非正規労働者の増加に見るこ

 とができる。2018年の統計では、就業者全体のなかで、非正規労働者の数は38.3%を

 占め、増加傾向が止まらず、社会生活に深刻な事態を招きつつある。

  今回の特集の中で、筑紫磐井は、厳しさを増す社会環境にあって、改めて自死の問題に

 目を向ける。

   自死・憤死 さまざまな死の万華鏡

   「令和」といふ暗き時代が今をおほふ

   紫陽花や明日死んでゆく人の数

  筑紫は、アンダー40の俳人を取り上げた『新撰21』を企画した時に、取り上げられなかっ

 た一人の俳人の自死を例に、若い俳人の心の闇にふれる。新型コロナウイルスによる自

 粛の奨励や社会的な関係が切断されることによって、心の病を抱える若者が増えているこ

 とを危惧する。

  わが国の自殺者の数は、2019年には2万169人と、近年は減少傾向にある。ただ二

 十歳未満の数は増加し、自殺率も高い。その主な原因は学校問題で、健康問題がこれに

 続く。

  一方俳句の世界に目を向けると、俳句甲子園の世代が確実に育っているものの、やは

 り老成の文学の中の窮屈な世界にいることには変わりない。闇を抱えているかはわからな

 い。

  しかし、今回の新型コロナウイルスの感染を避けるために、従来の対面の句会が、軒並

 み中止になった時、新たに、リモート等によるネット句会が一気に拡がりを見せた。その主

 役は若い世代である。今後の新たな俳句表現の場として定着していくだろう。新たな表現

 の場は、新たな表現へと直線的繋がっていく訳ではないだろうが、今までの枠組みを少し

 は変えてくれる可能性はある。

  谷口慎也は、「中流意識」・「中間層」が解体され、「貧困層」へと組みこまれていく現実に

 危機を覚える。

   ひんこんの木あればすぐ来い肩を組む

   退職転職解雇掻き混ぜ闇汁や

   凩や磔刑はなしキリストのみ


  「ひんこんの木」とは、生々しくも切ない言葉である。谷口は「現実を見つめ直す、人間の

 想像力」が今こそ問われているとする。だが現況は、なお闇汁の闇に近づくように暗くなる

 ばかりで、救いの光りを探り当てところまでは遠い。谷口は、俳人にはこの「現実を呼び止

 め、どう対話していく」かが問われると言う。

  一方、この暗い現実に、先の東日本大震災にあって、地域のなかで互いに支え合った経

 験から、明るい未来を信じると述べるのは、照井翠。

   派遣切られ夕虹を切り刻む

   水のごと派遣切られし海月かな


  「水のごと」切られる派遣労働者の厳しい状況を直視する。しかし現実には、互いに助け

 合う十分な仕組みが、地域から国、そして世界へといまだに作り上げられていない。照井

 はそれでも「明るい未来を信じる」べきと述べる。

  新型コロナウイルスの収束が、先進国から途上国まで及ぶにはかなり時間がかかる。世

 界の軍事費の一割でも各国が削減して、医療費や生活支援に充てればと強く思う。

  「カネを使うと心臓が絞めつけられる。残高が余命に直結するからである。」。この悲痛な

 叫びを上げるのは関悦史。

   身心の樹木化に夏来たりけり

   見つめあひ野良猫に素麺はやれぬ

   空蟬らが背開きに世界を支へ

   夏草に呑まるる未来ありにけり


  いずれの句からは、厳しいな現実が浮かび上がる。〈樹木化〉は、我々の置かれている

 閉塞感の身体化。夏草の生い茂る未来になおも夢を抱き続けることは不可なのかの自

 問が続く。関はまた、カフカの「虫」に、現代人の我々の姿を重ねる。虫の姿に違和感を抱

 くことなく、なお現実の身を寄せることの不条理を抉る。

  関のメッセージは、自らが現在置かれたぎりぎりのところで発せられたものだ。関を見つ

 める野良猫も悲しげだ。関はまた、「100円使えばギロチンの刃が110ミリ下りてくる。消

 費税は幼児にも病人にも容赦がない。」と切迫感を露わにする。関は〈人類に空爆のある

 雑煮かな〉とも詠んでいるが、時代の軋みは戦争あるいは貧困の姿となって我々を分厚く

 取り囲む。これにウイルスが輪をかけた。

  非正規労働者の未来に、表現の場はどのように切り結ぶのか。低成長と少子化傾向が

 止まない社会そのものに、明るい未来はなかなか見えてこない。このままでは非正規労

 働者には、年金すら覚束ない。従って、現在の句集文化の終焉は明らかである。筑紫が述

 べた若い俳人の自死の状況は、そのまま関の置かれた生活の現実にも重なる。新型コ

 ロナウイルスによって、負の連鎖には一層拍車がかかっている。もはやは俳句どころでは

 ない瀬戸際の状況にあるのかも知れない。しかし心の闇を撃たなければ詩でない。極楽

 は地獄と表裏である。そこに新たな可能性を見出す以外はない。いやそれゆえ、その闇に

 表現の根拠を問う意味があり、俳句によって、自己を現在から解き放つ可能性があるとも

 思えるのだが。




                                        パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
                            copyright(C) kogumaza All rights reserved