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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (129)      2021.vol.37 no.433



         卓袱台にのせかへてみる鉛玉        鬼房

                                 『幻 夢』(平成十六年刊)


  遺句集『幻夢』所収。無季の作品で、内容は極めてシンプルだが、「卓袱台」と「鉛玉」の

 取り合わせには、一種異様な緊張感がある。大きさの対比や、木材と金属という異質なも

 のの取り合わせ以外の所から来る、戦慄がある。

  掲句の「卓袱台」は当時の一般的調度で、家族の生活の記憶の象徴と言える。一方の

 「鉛玉」は、作者の戦争体験を思えば、自ずと鉛の弾を連想するが、そう表記する以上の

 おぞましさを感じる。混ぜ合わせてはいけない薬品があるように、近づけてはいけない言

 葉があるならばこの句の二語はまさにそれで、「鉛玉」の存在が次第に「卓袱台」を圧倒し

 ていくのを覚える。木製の丈夫な調度すら一瞬にして貫通する威力を与えられもすれば、

 外から何の力も加わらない時は間抜けなほど不安定でむしろ鈍重な存在である「鉛玉」。

 だが静かなほど、この人工物の恐ろしさは「卓袱台」の団欒性によってさらに増幅される。

  それともう一つ、この句の作品としての強さは「のせかへて」の一語にあるだろう。この二

 つを意志によって近づけた鬼房の心を思うとき、卓袱台の平面の上に置かれた「鉛玉」の

 浅ましさが、読者に共感的に理解される。鬼房は体験を重視した作家と言われる。この作

 品のもつメッセージ性や作品としての強さも、自らの切実な体験を素直な言葉で詩へと高

 めようとした姿勢がもたらしたものだろう。

                                     (今瀬 一博『対岸』)



  時は、昭和、平成を過ぎ、令和という時代へと移行してしまった。「卓袱台」という言葉は

 まだ電話というものが一家に一台だった懐かしい昭和の世界へと読者を誘う。怪しい探検

 家でもある椎名誠さんは、海外旅行をする時も卓袱台を持参し、税関でいつもひっかかっ

 ていたとかいないとか。「巨人の星」では星一徹が何かといえば卓袱台をひっくり返してい

 たものだ。苦手なシーンだったが、今となっては、何か、失われてしまった郷愁を感じるも

 のもある。

  そんな卓袱台の上にのっているのは、蜜柑でも飴玉でもなく、鉛玉である。鉛玉をのせる

 ところに、鬼房先生の情念を感じる。何故か、〈蟹と老人詩は毒をもて創るべし〉の句が胸

 をよぎった。

  本作品がおさめられている「幻夢」には、〈飴なめてしみじみ枯野歩きけり〉の句もある。

 口の中で飴玉をころがしながらも、胸の内なる弾丸は、いつも新しく錆びつかぬよう手入

 れしていたのであろうか。

  「愛痛きまで」(句集)の中に、〈またの世は旅の花火師命懸〉という句もあるが、俳句とい

 う最短詩形は、言葉の花火といってもいいのかもしれない。

  岡本太郎は、「芸術は爆発だ」とさけんでいた。決して癒えない傷が生の起爆力であると

 言う人もいた。鬼房先生の銃口は何に向かっていたのだろうか。

                                         (水月 りの)