小 熊 座 2021/10   №437 小熊座の好句
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    2021/10  №437 小熊座の好句  高野ムツオ



    相識らず今年の蟬と去年の蟬        増田 陽一

  地上に出た蟬が互いに相知ることがないのはいうまでもない。まして、年を異

 にすればなおのことだ。土中で出会うこともあり得るという奇想は俳諧的だが、

 それはまた別の話題。しかし、わざわざこう表現されると、死後、時間を超えた

 世界で、もしかしたら「相識る」ことがあり得るかと想像させられてしまう。言葉

 とは不思議である。

  「識」は字通によれば戈(ほこ)に呪飾りを組み合わせた字で、標識のこと。戈

 に括り付けた幟を思い浮かべればよい。「知」の旁は祝詞を収める器を表し、神

 かけて誓うこと。矢は誓約の印に用いた。後に「識」も「知」も同義となった。

    おはぐろに案内されたる鬼子母神      永野 シン

  鬼子母神といえば東京の入谷や雑司ヶ谷の鬼子母神堂が有名だが、そこに

 案内するのが歯黒蜻蛉だという。かつて女性が歯を染めていたお歯黒に由来す

 る名である。水辺の木陰にひらひら舞う姿は封建制の蔑視に耐えて生き抜いた

 あまたの女性に重なってくる。お歯黒は引眉とともに女性を妻や母の座に縛り

 付ける象徴でもあった。鬼子母神の由来はよく知られている。我が子を育てる

 ため他人の子を食べていた鬼子母を戒めようと仏が鬼子母の一万人もいたと

 いう子の一子を隠し、悲嘆を味わわせることで改心させたという話だ。以来、鬼

 子母神は安産、子育ての神となった。だが、このエピソードの背後には、有史以

 前からの陰惨な子殺しの歴史が隠れているのではないか。そこに思いが及ぶと

 き、どこからともなく案内に現れたお歯黒蜻蛉がこのうえない妖艶さを漂わす。

    消しゴムのぼろりと欠ける広島忌        奥村 俊哉

 この句は例会では

    消しゴムのぼろと欠けたる広島忌        奥村 俊哉

 で提出された。小熊座集の投句通信欄によれば、元々は

    消しゴムのぼろりと崩れ広島忌

 だった。広島忌の言葉の固さにひかれて「たる」を用いたのだが、句会での講

 評を聞いて「ぼろりと欠ける」が良いように感じたので、投句にはこちらを採用

 したという。指摘したのは「欠けたる」の完了表現についてのみである。「アドバ

 イスをいただいたあとで出すのは良くないですが、作者が僕でなかった時、作品

 としては「欠ける」の方が出来が良く、僕はこの俳句に良さを生かし切れない表

 現をしたという意味で申し訳ないなと思います」ともある。さらに「俳句に対し

 て申し訳ないので苦肉の策をとりました」ともある。この俳句に対する謙虚で敬

 意に満ちた二十二歳の若者の姿勢に感銘したので、ここにあえて紹介した。た

 だし、講評が必ずしも正しいと限らない。的外れな失言も多い。表現はつまると

 ころ作者自身が決めるべきと付け加えておく。

    日が昇る伸び縮みする蚯蚓にも        我妻 民雄

    ライオンが檻に嚙み付く終戦日         佐野 久乃

    ホームレス五輪を嗤いバナナ喰        岡本 行人






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