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 小熊座・月刊


   2024 VOL.40  NO.470   俳句時評


    実作と批評と
                         
樫 本 由 貴


  俳壇が待ちに待っていた句集ではなかろうか。阪西敦子『金魚』( ふらんす堂)

 が刊行された。1984年から2022年までの句を収めての第一句集(ただし、

 2017年から2018年の句は脱落)であり、第一句集とは思えぬ分厚さも、その

 句業の長さを思えば自然なことである。祖母の隣で、チラシの裏に書くことから始ま

 ったという阪西の句作は、教科書や俳句甲子園といった制度化された場で出会う俳

 句とはまた異なる豊かさを感じさせる。母が描いたという金魚の画を使った装丁も美

 しい。〈焼芋の大きな皮をはづしけり〉や〈みんな空見てナイターの帰り道〉などを

 代表に、「ホトトギス」のなかで育つ作家の軌跡が見られる一冊と思う。

  四月号の『俳句』の特集は「教育と俳句」で、中西亮太による小学校教科書に掲載

 された俳句一覧の資料が嬉しい。特集内では、国語科教員と俳人という二つの側

 面を持つ外山一機の懊悩と、立場を同じくする櫛部天思の俳句への信頼は対比的

 だ。しかし、国語科教員たちの葛藤とともになされる教育が、学習者の優れた「こと

 ば」へのアンテナを醸成することは疑いたくない。岩田奎をはじめとする現代俳句の

 先端を行く書き手が学んだ佐藤郁良の寄稿がないのが残念である。

  さて、実作の豊かさは改めて書くまでもないが、俳句評論はそうはいかないようで

 ある。『俳句界』5月号にて、第25回山本健吉賞は正賞の該当者なし、奨励賞がや

 まだようこ「芭蕉の『夢』『蝶』『鳥』」に決まったことが発表された。吉本隆明か

 ら荘子まで様々な作家の「夢」「蝶」「鳥」と、芭蕉のそれを比較し論じる。引き出

 される比較対象が実に縦横無尽であり、学ぶところの多い論考だった。

  一方で、17回以降は空白のなかった正賞だが、今回で5回目の該当者なしとなっ

 た。選考委員の角谷昌子は「引用でなく、自分の言葉で」論を展開することを期待

 し、坂口昌弘も「過去の評論の繰り返しではなく、自分の言葉で作品を語ってほし

 い」という。あくまで山本健吉賞は「評し」「論じる」ことに与えられる賞であると

 強調されている形だ。とはいえ、引用が多いことを指摘されたとしても、引用を行い

 持論に説得力を持たせるのはアカデミック・ライティングの基礎基本であり、評論

 でも同じである。肝要なのは引用からいかに論の射程を伸ばせるかなのだろうが、

 こうした技術を高めるには、ゼミ形式で志を同じくする人と読みあう場を持つなど

 他者の力を借りることも時に必要だ。そういう場は、俳句においては実作の場で

 ある「句会」で占められており、なかなか俳句評論の力を伸ばす場を得るのは現状

 難しいのではないか。短歌のような新刊が出ると有志による書評会が組まれる慣

 例も俳句にはない(ように思われる)。せいぜい、所属雑誌で特集が組まれる程度

 ではないか。筆者は、過去に現代俳句協会青年部の内部企画として「読書ゼミ」な

 るものを企画し、若手に俳句評論の書き方を伝え、実践の経験を積んでもらうこと

 を試みたが、力不足で頓挫してしまった。この企画で評論のノウハウを伝えることの

 難しさを痛感させられた。

  ところが最近「心の花」竹柏会所属の歌人、高良真美がこうした評論のノウハウを

 蓄積しているのを見つけた。那覇出身の高良は、安里琉太も所属する沖縄に問いを

 持つ同人誌『滸』や短歌史プロジェクト『Tri』を活動拠点としている。実作の発表

 も竹柏会の新人賞である群黎賞の受賞をはじめ精力的だが、現代短歌社主催の

 BR(ブックレビュー)賞の受賞をはじめとした評論の仕事の数々が目を引く。現在

 アクセスしやすいweb記事としては砂子屋書房の月のコラムに「夢からうろこ」

 を連載している。短歌史を繙き、現代歌人の仕事を短歌史に位置づけつつ現在

 的な価値を論じる姿勢には好感を持つ。書評や評論を内容、形式面の両方から、

 このレベルで書ける若手は現在の俳壇では失われて久しいのではないだろうか。

 何より、自己PRもかねてnoteにポートフォリオをまとめ、自身の仕事の一覧を掲

 載している(https://note.com/nukimidaru)。これを辿れば、既発表作品や評論

 が見られるばかりでなく、作成した短歌史の資料が閲覧でき、評論の書き手として

 身に着けておくべき基本的な書き方の型から、資料の構成や資料収集の方法などが

 わかる。短歌のみならず俳句評論の執筆に興味のある若手にも役立つので、ぜひ

 学んでほしい。

  書き手が一人ひとり育ったとしても、それを掲載する雑誌が良くなければ意味がな

 い。ということを『俳句界』5月号掲載の、井上泰至「俳句界の仕組みを作った男た

 ち」の第五回が指摘している。GHQの占領が終わった後「占領期に口を閉ざさざる

 を得なかった保守派の俳句言論の場として」出発した俳句総合雑誌『俳句』の創刊

 者、角川源義の「時代の潮目を読んで半歩先をリードする『論調』」づくりに慧眼を

 見出し「『論調』のない総合誌はルーティンの作業に過ぎない」と現俳壇をチクリと

 刺す。「ルーティンの作業」とは、実作のハウツーばかりを掲載することを意味して

 いるのではなかろう。総合誌として、戦前に刊行された『俳句研究』が反伝統・前衛

 の牙城となったように、戦後間もない『俳句』が保守の作家を抱えて出発したよう

 に、何を推して時代を作るのかを、総合誌自身が決めていたことがあった。その気

 概はもはやないことを、氏は指摘しているのである。現代では、俳句の何を推して

 ゆくかということをはっきりさせているのはむしろ現代詩のほうかもしれない。二月

 に、佐藤文香氏が中原中也賞を『渡す手』(思潮社)で受賞したが、以前から『現代

 詩手帳』は佐藤文香や福田若之といった口語や俳句形式そのものを再考する書き

 手や、生駒大佑や安里琉太などの俳句の蓄積に「参照する」という行為で目を向け

 る作家を多く誌上に招いてきた。例えば2021年の『現代詩手帳』10月号を見る

 とよい。ほとんど偏っているといっていいが、現代詩というフィールドが彼らを推す

 のは道理のように思う。いずれも俳句を内部はもちろん、佐藤の中也賞受賞や、福

 田若之の『自生地』が句集と銘打たれていないことが物語るように、彼らは俳句の

 やや外側を常に見ている。それは俳句を愛することと両立することは、生駒や安里

 が粘り強く『ねじまわし』 『Tri』などの同人誌であくまでも俳句を中心に活動して

 いることが示していよう。筆者は俳句が、コミュニティの不和を恐れて批評の言葉を

 持たないことを恐れる。研究という、俳壇とは別の住処を持つが故の傲慢な態度で

 あろうか。




 
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