小 熊 座 2025/3   №478  特別作品
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     2025/3    №478   特別作品



      つぐみの目      仁 藤 さくら


    或る昼のこの世を攫ふ引き潮よ

    つぐみの目閉じても海の蒼消えず

    ひかり生む種子欲し氾濫原の街

    咲きのぼりもう退路なきジギタリス

    死を怖ぢるこころ大鷲見逃さず

    高熱や滞空時間蝶とわかち

    病窓を帰巣のつばめ過ぎてゆく

    海に向く図書室少女に土用波

    野球少年飛球享けたり天餌のごとく

    棺しづかに羽化せり夏の底ひにて

    棺車追ふ蝶黙契のごとく追ふ

    飛魚に虹のかたちのうれひかな

    紫陽花の蒼き花球に死あまた

    大鷲の頭蓋さみしき城育つ

    灯が点りたましひもどる夜汽車かな

    さびしんばう帰る暮秋の川つぷち

    春風駘蕩死は押し入れにかくまはれ

    世紀末の空にあさがほゆきわたり

    輪唱のはじめ晩夏の波ひとつ

    花市に雨のごとくに待たれをり【特別作品】



      豆を煮る      永 野 シ ン


    鐘楼のさらに高きに冬木の芽

    韮神山は雲を放さず冬の川

    数え日を友の二人に支えられ

    裸木の街路樹を抜け町を抜け

    熱きピザ分け合っており冬帽子

    磬石を打てば黄泉より父母の声

    寒波来る音も立てずにやつて来る

    冬麗や寺に訪う人もなく

    八十五年生きて一人の豆を煮る

    何をしてもせずとも年は暮るるなり

    露地裏にカレーの匂い日脚伸ぶ

    初春や幼き頃の川の音

    グランドに人影のなし雪の朝

    まんさくのもう咲いたのかちりちりと

    ストーブの前を動けず小半日

    栴檀の実たわわなり鈴の音

    松とれてでん六豆を音立てて

    臘梅のもう咲く頃か朱唇仏

    住み馴れしこのあばら家に注連飾

    枯蓮や立って転んで寝そべって



      寒 椿      郡 山 やゑ子


    掌に社の水と冬日かな

    エンジンと氷搔く音朝始まる

    本堂にストーブひとつ遺族の輪

    葉牡丹の笑ひの渦の広まれり

    母と兄一日違ひの寒命日

    初生けや師と呼ばれゐて師を想ふ

    初生けの正中線を大切に

    鳥は空に松は緑や氷面鏡

    不覚にも顔面着地寒椿

    水仙や看護士の声飛び交ひし

    救急車寒夕焼に吸ひ込まる

    悩みひとつ消えふたつ増えシクラメン

    身を入れし炬燵の中の平和かな

    我が吾を追ひつめてゆく寒灯

    着ぶくれて待合室の狭かりし

    保険証は持ち歩くべし冬の蝶

    砂時計落ち始む風邪心地

    世の中に追いて行こう冬蒲公英

    顔腫れてこれも吾なり寒の水

    優柔不断な凧を懐かしむ



      ラストオーダー    岡 本 行 人


    視力なき世界で人は殺すのか

    恐らくは唯我独尊蓮の花

    ラーメンの汁あの豚の涙なら

    馬鹿言うなパイナップルの自傷痕

    殺戮し笑う門には福来る

    灼熱の砂漠を揺らす恋の雨

    冬の死者運べよ京浜東北線

    この世界焼け石に水熊穴を出づ

    死者の声生者の欲と糞まみれ

    左目も潰せばもはや終戦か


    発狂したパイナップルが自分の顔にナイフで傷をつけていた頃、二丁目

    で飼われていた豚は首を絞められ、ラーメンのスープになった。豚が発し

    た最後の言葉は「ずっと家族だと思っていたのに」だった。「このスープで

    みんなが幸せになるんだ」主人はビールの空き瓶に真っ赤に輝く蓮の花

    を挿した。

      一方、冬の駅のホームは京浜東北線を待つ死者で溢れていた。目的地

    はない。それでもどこかに向かわなくてはと、死者たちは電車に乗った。そ

    してスマホを見た。兵士が殺した子供を丸焼きにする動画を見た。

     それからしばらくして、冬眠から目覚めた熊が欠伸をしながら言った。「僕た

    ちは何のために生きているのか」と。

     銃声が鳴った。爆弾が落ちた。血の噴水が上がった。砂漠では人がサソリ

    に恋をしていた。片目しか見えない兵士はナイフを握った。迷わず自分の左

    目を刺した。子供が死んだ。豚がラーメンになった。兵士が笑った。 (行人)






 
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