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東日本大震災 緊急特集


  作品20句

   安海 信幸  阿部 流水  阿部 菁女  池田 紀子  伊澤二三子  一條ますみ

   大澤 保子  太田サチコ  おとはすみ子  笠岩ひろし  神野礼モン  菊池 紀子

   菊池ゆう子  黒田 利男  越髙飛驒男  小柳いつ子  さがあとり  佐々木とみ子

   澤口 和子  志摩 陽子  須﨑 敏之  関根 かな  船場こけし  蘇武 啓子

   高野ムツオ  田坂名雅子  千葉 常子  土見敬志郎  土屋 遊蛍  中井 洋子

   中村  春  浪山 克彦  半澤 房枝  服部 奈美  俘  夷蘭  古山のぼる

   松本ちひろ  丸山みづほ  水戸 勇喜  宮崎  哲  森  黄耿  森  白樹

   村田斐路子  八島 岳洋  山口 賢治  山田 桃晃  山野井朝香  吉野 秀彦

   我妻 民雄  渡辺誠一郎  渡辺 智賀



  作品10句+エッセイ  

   遠藤 克子  加藤 文子  春日 石疼  鎌倉 道彦  千葉 百代  中鉢 陽子

   福田 葉子


  エッセイ 

   阿部 流水  宇津志勇三  大場鬼奴多  神野礼モン  佐々木とみ子  高野ムツオ

   土見敬志郎  筑紫 磐井  武良 竜彦  野田青玲子  馬場 民代


    



  寄せられた義援金は、全部で43万6千円となりました。この全額を日本赤十字社義援金

 並びにあしなが育英会の2か所に送ります。

  負担金のみの方や、規定より多く寄せてくださった方もおりました。氏名は挙げませんが、

 厚く御礼申し上げます。

 


  作品20句

         春の月         安 海 信 幸


  崩壊の町は沈黙春の月

  沈丁花津波の町は無言かな

  沈黙の町は無残や春の蝶

  津波あと街の瓦礫や冴返る

  生も死も瞬間にあり母子草

  寝返りの出来ぬ避難所春北斗

  貞観の津波見たるか海朧

  屋上に残さるる船春の月

  崩壊の港集落朝霞

  支援品車満載春疾風

  手話の人春の津波をいうてをり

  千年目の津波に震へ亀鳴けり

  余震なか生まれし赤子桃の花

  沈痛な町となりけり春の果

  行く春や余震恐怖を残ししまま

  泣くことを忘れて笑顔暮春かな

  被災地の子供に笑顔夏来たる

  震災の闇の深さに蟻地獄

  地震の痕残して夏の気仙沼

  号泣の家屋解体夏燕


         震災の春        阿部 流水


  鶯が間抜けて聞こえ大震災

  三月の心に及ぶ液状化

  春昼の目眩か余震か地割れ道

  雉鳴けり余震続きの藪の中

  蝋燭を点し春夜の震災孤児

  燕来る軒一つ無き震災地

  瓦礫から一家の写真薄霞

  春の蝶リュックを背負い買い出しへ

  震災の廃墟に青む柳の樹

  傷口に沁みるよ春の大潮が

  廃屋の浦島太郎弥生尽

  停電の信号渡る四月馬鹿

  津波禍の春も漁師は海に生く

  真向いて問えども無言春の海

  新卒の出端挫かれスーツ干す

  震災の瓦礫掻き分け水仙花

  陽炎の伏魔殿なり原発棟

  夜の梅放射線量測りおり

  原発の暴走に耐え余花一樹

  再興の夢膨らませ蕗の薹


         神隠し         阿 部 菁 女


  千万の命を呑んで竜天に

  芍薬の芽をつき上げる震度7

  青鮫の大群が去り夜の梅

  慟哭や津波跡地のランドセル

  火のごとき椿が咲いて激震地

  給水車待つ足下の落椿

  青饅の放つ酢の香や地震のあと

  初蝶の海より現れて海に消ゆ

  雉子歩む「トモコトモコ」と呼びながら

  引鴨のいちばんあとを知子仏  悼 大森知子さん

  しらたまの念珠を繰れば蜷の道

  手向けある白詰草の髪飾り

  たぶのきにたぶのきの花海嘯碑

  春遅き被災地へ発つ玩具箱

  何ごとも無かつたやうに春の海

  小包にまだやはらかき蓬餅

  人の世の修羅嘆きあふ農具市

  神隠しを君信ずるや目借時

  春蘭に憂国の色ありにけり

  燕来る津波の泥を嘴に


         永遠に忘れず       池 田 紀 子


  三月や永遠に忘れず十一日

  料峭や一本の水もとめ並ぶ

  避難所につきあぐ余震春の夜

  春暁や買出しの列に加はりて

  カセットコンロに点火する音春寒し

  強東風や給水を待つ行列に

  家具あまた寒さしのぎの焚火かな

  春の地震母に抱かるおびゆる子

  春潮や瓦礫の奥に水平線

  津波来て帰らざる子へ卒業証書

  三百の棺のしじま春の月

  人声も人影もなしおぼろ月

  鳥曇流浪の民となれる一家

  想ひ出を探す背中に木の芽風

  死者名簿に幼子の名や春霙

  大型船地に横たはる春の闇

  気が付けば目前に咲くさくらかな

  折れまがりし枝にも花や瓦礫なか

  花冷や泥まみれの写真すくふ

  養花天避難所いづこかに移り


         春の闇         伊澤 二三子


  黙祷に潮騒のあり春の午後

  春の地震仁王立ちなる鬼子母神

  三陸の潮鳴りはげし雲雀鳴く

  知子逝く岬にかかる春の虹 故 大森知子さん

  春潮に漂ふ赤きランドセル

  初霞晴るることなく受話器置く

  地震あとのライフラインは春の闇

  地震はげし春の鏡の曇りけり

  給水の列長々と花の冷

  春水の音高まり来子安神

  風光り日の道駆けり毘沙門天

  白蝶の去りしはいづこ水府かな

  霞み立つ花綵列島墨絵なり

  地震あとのレールの錆や春の潮

  春朧碁石海岸ゆきもどり

  縁石のゆるみし隙のすみれかな

  地震あとの瞬発のありチューリップ

  鎮魂の言葉を溜めて初桜

  地震あとの庭白梅の光りかな

  亡き人の魂濡らす春の雪


         浜若菜        一 條 ますみ


  被災者の見つむる土台浜若菜

  救助する隊員の背の春疾風

  救援の物資待つ町冴え返る

  想定を越えたる津波春は行く

  救出を待ちし少年春の雪

  避難所の鍋の煮え立つ白魚汁

  被災者へ捧げる折鶴春彼岸

  故郷の磯菜摘みたし子守唄

  花冷や瓦礫撤去の雇用列

  初つばめ離れ小島の地震の後

  春の海座礁の船の回旋塔

  春ならい瓦礫の中の赤い旗

  鈍行に乗り換えし駅春岬

  世渡りの術など知らず辛夷咲く

  ワカメ干す家族写真の笑顔かな

  復興へ花種蒔くや海の町

  ふるさとを離れし友や海女の笛

  被災地へ送るグローブ夏近し

  明日あると思う暮しや初桜

  菜の花や逆縁の子の墓洗う


         花を待つ        大澤 保 子


  縄跳びの途中の波にさらはれし

  地震あとの残雪黝む道帰る

  勤務せし三校流されたりと春

  先輩の制服しんに暖かし

  津波後のいのち芽を吹く葡萄棚

  松蟬をつひに聞かざる地震のあと

  虚深き樹の名は知らず鳥雲に

  一輌車着くに間のあり葱坊主

  萱草のそよげる丈も昭和の日

  一村の深霧とよもす雉子の声

  幼子に呼ばれほーほけきよと応ふ

  芝ざくら敷きつめとはに留守の家

  祖母の名はやすのひたすら花を待つ

  地震あとの宙へ連翹翼張る

  均したる耕しの地に地震隠る

  佐保姫や一本松を守り給へ

  らふそくの影の百塔寝釈迦なる

  朧夜の合掌のごと橋かかる

  縄跳びの端結ひしまゝ春の暮

  せんせんと西行ざくら思ふべし


         塩竈桜         太 田 サチコ


  竜神の怒りの坩堝春の地震

  魂を揺さぶる地震春の昼

  地震といふ凶器の潜む春愁

  棒立ちの他は術なし春激震

  鳴り止まぬ津波警報春の宵

  春田畑覆い尽くせし大津波

  一瞬に変わる人生春激震

  春の地震浪切り不動の旗の揺れ

  陸前の白蝶さらふ大津波

  黄水仙がれきの山の津波跡

  平凡といふ幸せや春激震

  振り上げる拳の行方春の地震

  地震など無かった如く花の雲

  眼裏に貼り付く津波目借時

  春地震の喪失といふ置土産

  踏み出せぬ最初の一歩朧の夜

  春の夜支援のくるみごはん食ぶ

  春月の地震の爪跡けものめく

  ぼつてりの塩竈櫻余震あり

  忘れまじ三月十一日の大津波


         新しき星       おとは すみ子


  蝋涙の三日目となり春の星

  どん底の無になるばかり春の闇

  汐水にはっと開けり黄水仙

  マフラーの虹色となる春の風

  三月の泥より醤油の一升瓶

  米軍の車と石割桜かな

  夕凪の球根二つ表札と

  桂島野々島寒風沢島花菜漬

  この家も蝋燭であり朧月

  きっとまた浦戸白魚卵とじ

  蝋燭の朧に灯る庭桜

  春深し星の増えたる地震闇

  ヘリコプター往き交う空へ紫木蓮

  川縁に名もなく立てり雪の果

  道すがらみな泣いている夕桜

  星朧新しき星連れて来る

  葉牡丹の茎立ちもまた悲しけれ

  弁当に生味噌胡瓜学校へ

  見えて来しはあの星だろうか花の門

  聖五月祈りを胸に床磨く


         春の雪        笠 岩 ひろし


  逃げのびてお茶飲む大工桜餅

  闇深く悲鳴を消して春の雪

  春うらら人形ケース真っ二つ

  電柱のトビ消え去りて春異変

  かみ合わぬ会話は雪を見るばかり

  ゆらゆらと目まいの孤独春の雪

  この人も訳あり花に背を向けて

  待つだけの春の足音黒き土

  春寒や真暗闇にいる恐怖

  地獄絵をさらして津波春を呑む

  春よ来いいつもの春は待ちぼうけ

  鯉のぼり子供の姿見えません

  春泥を踏みしめている青春譜

  縄文の里浜貝塚生き残る

  遺伝子が津波の春を遊泳す

  鯉のぼり瓦礫の山に溺れるな

  桜貝闇の記憶の底の底

  生と死を分けて河原の糸柳

  目に青葉記憶に燃える石油基地

  初夏来たる全て振り出し仮の宿


         鰊 曇        神 野 礼モン


  鹿児島の春を頂く給水車

  停電の町に軋みて春の星

  避難所の微笑み痛き春の雨

  空へ向き光まといて浜昼顔

  無口など似合わぬ君よ青林檎

  瓦礫より息するように黄水仙

  遠くより手を振り来たる夏帽子

  夏帽子横っちょかぶりのアルルカン

  絶対に負けてはならぬ捩り花

  無気力な吾にエールを匂菫

  余震なき出窓の鰊曇かな

  遠郭公時間守らぬ人がいて

  栖むならば出羽の国なり岩燕

  竹林に黒猫がいる報国寺

  ハイボールにレモン浮べて薄暑光

  黄水仙擦り抜けてゆく猫の影

  留守の宮小さき躑躅に小さき蝶

  鳶尾草の影も紫留守の宮

  老鶯も青麻神楽の笛の中

  根本中堂若葉の雨にいのち湧く


         しやぼん玉       菊 池 紀 子


  空の青広げて風の黄水仙

  風音の激しさもまた春の宵

  水仙の真盛りという避難所

  母の死をメールで知らされ桜吹雪

  桜舞ふ母の人生そのものよ

  生き継げるものの哀しき桜散る

  安らかに天国に召されし花吹雪

  天国へ召されし母に桜舞ふ

  かなしみの数だけ消しぬ春の虹

  夫の病む重たき雨に夏の声

  天と地に眠る夫ありバラの夜

  震災の三ヶ月過ぎ夫退院

  鬼房の頑張れの声夏の雨

  震災の湾に降りつぐ春の雪

  濃く淡く震災の亡母に春の雨

  人生のどまんなか津波夏つばき

  終電車夫の看護夏の雨

  亡父と亡母しやぼん玉の中で会ふ


         余震なほ        菊池 ゆう子


  震災の避難所に夏きざしけり

  余震なほ梅の実日毎熟しをり

  避難所の母校に群るる四十雀

  夏寒し被災の人の強訛

  ジャスミンの風に揺るるを余震かと

  厨辺に傾ぐ杏の実の匂ふ

  石灯籠地震に倒れしまま夏に

  青時雨ブルーシートの屋根痛し

  夏風邪に地震後二ヶ月経ちにけり

  夏浅し話尽きざる被災の友

  作りものめき石楠花の玄関に

  母漬けし梅干しに癒ゆわが腹は

  介護する母の朗らか夜の薄暑

  リハビリ終へし母へゼリーのメロン味

  余震なほ赤十字デーの募金あり

  電話の友の津波の話汗引けり

  薄暑今も余震に犬も脅えをり

  地震に耐えし魯迅の旧居燕の子

  子雀つつく傾ぐ杏の枝太く

  夏の暁余震に目覚め眠られぬ


         震 災        黒 田 利 男


  わたつみの一撃春の昼を裂く

  三月や十日に続く大きな忌

  被災地を照らす春月真くれなゐ

  鎮魂のうたとなりけり卒業歌

  まなじりに復興の意志卒業子

  犬ふぐり瑠璃零しゐる地震の土手

  春寒し巨石残れる旧家跡

  春の地震懈怠を責めて百書落つ

  春風の頬をなでゆく貰ひ風呂

  国道に積まるる被災車春時雨

  三月の甘納豆支援品にあり

  春霰や土葬にされし友の父

  万人に万のドラマや春の地震

  津波禍の田を濡らしゆく穀雨かな

  地震の痕癒えぬ校舎に五月来る

  震災の庭に小手毬大手毬

  尻尾まで励ます言葉鯉のぼり

  軒下に津波の痕や燕来る

  損壊の裏の家消ゆ沙羅の花

  初郭公復旧すすむ臨港線


         知子よ        越 髙 飛驒男


  萌芽なし列車折れ曲り折れ曲り

  目借時借りるものなき荒蕪なり

  一湾は光の器知子の死

  初蝶や大森知子海に死す

  鏡から知子の海の潮の声

  大森知子春の虹より戻り来ず

  大森知子白蝶と化す春の浜

  朧の夜まだ見えている知子の背

  壮麗の白蝶となれ海へ飛べ

  雪を来た知子よ野蒜駅壊滅

  桜東風後ろ姿の朝の海

  潮はみな海に帰れり春木魂

  知子いま炎となれり春木魂

  春の虹黒板拭きに消されたり

  花片や生きる力を尽くさねば

  海渡り来よ東北大地震の精霊

  幾万の精霊の海笹子鳴く

  物の芽と海嘯を聞く日なりけり

  海嘯と死者の声々春の沖

  桜咲く淵々に水揺れうごき


         青葉木菟        小 柳 いつ子


  玫瑰の真くれない日の瑕遠く

  藤の花魂棲みて艶めいて

  フルートの一一(いちいち)の音が春の星

  富士に沁む茶の花野火を千切りおり

  赤富士の魂の夜遊び猫の恋

  春月に謝す地震なき日の野草

  冬帽子兵の匂いの野草かな

  ぼうたんのくしゃみ殺して骸であり

  片頬の悲愴の圧死さくら貝

  春月や酸素ボンベのおいおーい

  言霊の生きる国なり百合匂う

  みんなみな蘭虫が好きあの丘で

  かわほりが低し父の忌忘れいる

  たんぽぽの電車ごっこの別れかな

  野菫の暗澹の背に星降れり

  小さき手の小さき祈りの辛夷空

  薄闇をつつくあの声青葉木菟

  梅ひとつ弟生きよ魂よ

  藤の香の詞澄みゆく海辺かな

  葉桜の仲みなみんな此処で待つ


         半 旗         さ が あとり


  柩にも数の限りや春三日月

  死者の数不明者の数かぎろへる

  圏内に患者捨て置く鳥曇

  つるを折る人を増やして鶴引けり

  蝶の昼ここが玄関ここ厨

  日日の手書き新聞あたたかし

  息災や物種ならぶ種物屋

  見舞はれしきさいの宮へ黄水仙

  瓦礫山借景として桜かな

  母の持つ遺影卒業証書受く

  桜蘂ふるなり土饅頭のうへ

  鎮魂や百のブルーの鯉のぼり

  いくまいも黄色いハンカチ旗竿に

  母在れど今年のカーネーションは白

  病院もハンカチの木も半旗かな

  地は半旗海は卯浪を揚げにけり

  昼顔や明暗分けしものは何

  無事ですか木霊となりてやませ来る

  沈黙を押し通す神棕櫚の花

  九死には一生十死には浮葉


         鳥雲に         佐々木 とみ子


  三月十一日の津浪と胸に書き遺す

  春彼岸人を死なせて晴れわたる

  生き死にの底が抜けたり揚雲雀

  海に生くことしか知らず布海苔掻く

  啓蟄や無事を祈ると太い字で

  両の手に受くふきのとうひと(かたけ)

  昨日まで空があったぞてんぼ蟹

  春の地震あれは遠祖(とおおや)かもしれぬ

  原子炉の残骸それも春景色

  限界を越えてしまったしゃぼん玉

  困窮とうち魂泣と転換す

  地震のたびゆらゆら伸びるつくし原

  しずかなる憤怒しずかなまめこ蜂

  はんの花両手は抱くためにある

  海汚れ空も汚れて田植月

  放射能雨かもしれない田水張る

  なにもかも水に流して鳥雲に

  震災の瓦礫のままにこどもの日

  悲しみはかなしみとして黄砂吹く

  生きていてくだされ風邪をひかねよに


         桜 貝         澤 口 和 子


  たんぽぽの絮へ火の渦風の渦

  桜貝拾いしみぎわ知子の死

  水仙や日出づる国に生まれ来て

  千年も一瞬もみな春霙

  狂乱となれぬ淋しさ朧月

  凸凹の三宝柑に余震また

  地震つづく夢また夢やつくしんぼ

  春みぞれ力の限り立てと言う

  潮鳴りは海だけのもの種蒔す

  鶺鴒の歌うことなし瓦礫山

  うとうとと余震に疲れ目借時

  起上小法師を集め松の蕊

  桐の花正目を通す底力

  燕来る眼線に高し船いくつ

  乗り上げし船の舳綱紫木蓮

  辛夷にも故郷のあり太白星

  疲れたら何処で休もか花林檎

  椿落つ又一つ落つ墓の前

  母の日や頑丈な杖二つ三つ

  言うなれば花の盛りの瓦礫山


         春遅々と        志 摩 陽 子


  古稀にしてかくも激しき春のなゐ

  啓蟄の過ぎし列島地震に揺れ

  海風の生ぬるき午後春の地震

  春遅々と雨音ひびく震災地

  地震の跡なれど草々芽生へけり

  原発の安全神話春うれひ

  被災者の涙に宿る春灯

  津波禍の魂鎮めんと春の雪

  海の青戻らぬ湾に涅槃吹く

  津波来し湾にうつろな春の月

  被災地の希望となれや卒業子

  いかにせむ原発事故の春遅々と

  放射能被るなかれやつくづくし

  目借時なれど余震のつぎつぎと

  東北へ思ひ重ねて春深む

  遺児たちの声なき声や春北風

  被災者の黙して囲む春ストーブ

  復興へ希望を託す春の虹

  津波禍をつぶさに告げや揚雲雀

  幾多なるいのち還れや花の下


         声          須 﨑 敏 之


  裂震や我逆層のふきまんぶく

  地震底に草木瓜のごと覚め居たり

  春日遍き地上というは虚しかり

  ラジオ鳴る地震底もまた犇めく芽

  沈みようなき春二日月湾煮湯

  雲焼べて春山彦よ海彦よ

  春月死出あゝ愛憎の沖を背に

  声呑みたり野梅に赤い布吹くは

  宇野蒜春や無常の沖の藍

  土筆すつく慟哭に果て無けれども

  慟哭の果て初花の岸辺かな

  濁世には明日こそ在りうまごやし

  畦塗れよ塗れよ余震に筑波立つ

  砂噛んで春田や老いややりば無き

  はこべ噴く地震うち続く朝の光り

  取りたてて菠薐草に何のひかり

  こうなごの億万の眼の悲憤かな

  この岸の半旗の幟瀬懸けたる

  揺動大地我いつぴきの団子虫

  それでも芽吹く梢の声が屯より


         観覧車        関 根 か な


  地震の朝春空あまりにも透明

  崩れたる鳥居弔ふ春の雪

  たましひを乗せて近くに春の雲

  無理をして笑はないでと蝶々が

  みちのくのさくら悲しい色をして

  真つ白な心に染井吉野かな

  たましひを包んでおくれ白木蓮

  コンビニのシャッター風は光りをり

  うららかやイースト菌の売り切れし

  豆腐屋の水透き通る春の朝

  別人の顔の海あり春の暮

  蜃気楼なり南蒲生浄化センター

  春禽も泣いてゐましたみちのおく

  泣きたいのでも泣かないのしやぼん玉

  クローバー信じてゐるよ探してゐるよ

  ふらここを漕げばいたみの軽くなり

  ほんたうの涙も涸れて夏を待つ

  Tシャツの少年黙り込む瓦礫

  薄暑光止まつたままの観覧車

  夏の空仮設住宅待つ人と


        無音の街        船 場 こけし


  揺れ止まぬ机の下の余寒かな

  花辛夷見知らぬ人と抱き合ひて

  電柱も道路もうねり冴え返る

  いち早く神戸の車風光る

  音消えた余震の町や春の月

  春の月無音の街を歩きけり

  亀鳴くやきのふもけふも生きてゐる

  再会は余震の続く春の家

  降る雪や無言で歩く無音の地

  ありがとうさういふ人に春の雪

  早咲きの桜見上げて生きてゐる

  被災地に夫は残れり花辛夷

  被災地を離るる春の雨となり

  残雪の山越へ行けるところまで

  友の無事祈るロザリオ鳥雲に

  たんぽぽや原発はもういりません

  冴え返る白衣につける線量計

  瓦礫より天道虫の飛び立てり

  瓦礫にもいのちのありて春の土

  被災地の母被災地のカーネーション


         畑を打つ        蘇 武 啓 子


  再開のめどなき鉄路蓬摘む

  たんぽぽの黄色目にしむ地震の後

  少年の長きまつげや豆の花

  暮れ泥む余震の庭に黄水仙

  牛の背に小米花散る昼の村

  しぶとさは蝦夷の代より松の芯

  耕耘機高き音する燕来る

  安全神話崩れわたしは畑を打つ

  竹の秋だんだん部屋が広くなる

  風信子翼に夢と書いている

  鶯や日に三本のバスを待つ

  夜桜や父に呼び止められており

  墓石の肩をなでおり糸桜

  聞いて真似見て真似をして桜の実

  葉桜や村の生まれを伝え聞く

  裸婦像の髪すべりゆくリラの風

  無人駅植田の中に浮かびおり

  胸中に止った時計沙羅の花

  ガリ版の学級通信麦の秋

  民話みなどこか似ている烏の子


         聖五月        高 野 ムツオ


  触角のきらめく少女地震の夜

  列なせり帰雁は空に人は地に

  昨日ぼた雪今日月光の降る瓦礫

  春天より我らが生みし放射能

  晩春の潮の目死者が呼んでいる

  泥靴は泥靴のまま喪の四月

  口を開け眠り見るべし春の夢

  黙禱のまま土筆より杉菜へと

  八十八夜瓦礫の下の種籾も

  聖五月死者に翼は永遠になし

  親展の封書の中の五月かな

  泥中に開く目玉あり聖五月

  生者我初夏の朝日に抉られて

  魚虫草木それぞれに今日ありて夏

  白牡丹ただいま炉心溶融中

  蟻として顔を上げれば風薫る

  風薫る土の下にて待つものに

  新樹よ並べここは大川小学校

  朝寝して丸太となるも老いしゆえ

  メルトダウンメルトスルーと蠅来たり


        父祖の地に       田 坂 名雅子


  みちのくへ願ひ伝へよ帰る鳥

  みちのくへ群れ飛んでゆけ黄蝶たち

  みちのくの死者の数ほど春の星

  みちのくを思ふ春眠父祖の地に

  白梅を今年も供花に父の忌は

  老梅の側彎なでて倚りかかる

  久々の正調遅れ来し初音

  石鎚の覗く裏畑夕永し

  切株に声かけ昨年の夕櫻

  帰路暮れて林の中は著莪明かり

  母の忌や咲き遅れゐる花蜜柑

  食べ切れぬ蕗と三葉を配る日々

  猫来たよ烏来たよと夏鶯

  老鶯の応ふよ下手な口笛に

  青嵐大樹の底は憩ひ基地

  父の掌に乗りて啄む雀の子

  草笛や何でも鳴らしてしまふ父

  父の背に歯痛に聴きし青葉木菟

  蜘蛛に死蛾食べさせる技父との時

  行水や幼き日々にいつも父


         若葉風        千 葉 常 子


  振り向けば波に呑まるる春数多

  大津波背に轟く蝶の午後

  夜の明けて夢か現か春の雪

  馴染みある市名の消ゆる花椿

  お彼岸やいつか私も無縁仏

  田も今年限りと媼耕せり

  避難者のケアに勤しむ春の月

  炊きだしの指の弾力木の芽風

  生き延びて食卓囲む春灯下

  ふらここを漕いで幼児に戻りたし

  春疾風荒ぶ被災地踏ん張つて

  摑まんと孤児追ひかける石鹸玉

  避難者は川で洗たく桃の花

  母の日や足し算となるわが余生

  行く春や瓦礫の下の友いづこ

  短夜や怯える(はは)の手を握る

  瓦礫野を確め歩く晩き春

  百景の松原消えて東風の沖

  うららかや顔寄せお茶のタイムなる

  生き延びし四肢を貫けり若葉風


         震 災        土 見 敬志郎


  指先に喪の声となる春の風

  悲しみの形をなせり春の闇

  波音の喪の声となる春の月

  産土神に真昼を深く桜散る

  落椿瓦礫に波の音重ね

  知子いま竜宮の旅春の虹

  瓦礫より陽炎が立つ島の昼

  地震あとの漂うものに春の月

  白梅の闇を揺らして余震来る

  地震あとの白梅に身を預けゐる

  セシウムの溶け出してゆく春の闇

  3・11神も仏も居らぬ島

  鶯の声が瓦礫に籠りたる

  帰る雁水禍の島に声落し

  産土の悲しみとして春夕焼

  悲しみを解くすべなし帰る雁

  まぼろしの水禍の村の春障子

  声上げて喪の声となる白椿

  朧夜の海より死者の声あぐる

  涅槃西死者の遺言運び来る

  お彼岸を飲み込んで行く大津波

  陽炎が立つや水禍の土に声

  縄文に還れと春の津波かな

  原発の海を越え行く番蝶


         罹災の手        土 屋 遊 蛍


  一湾の魂の尾を引く雪雫

  わが額へ仏の額へ春の雪

  炊き出しの獣脂の匂い風花す

  春の雪補陀落渡海の船を出す

  困憊の東日本涅槃雪

  誰か呼ぶ冬青空の亀裂より

  魚の骨しゃぶる罹災の手を汚し

  明け初むる余震の町や梅三分

  風花か迷路の闇を掠めしは

  明日のため傷みし翅をたたみけり

  「連絡下さい」ビラに乾きし春の泥

  停電の町に雪積む音ばかり

  目に在れば涙は熱し竜の玉

  番号だけの亡骸埋め雪の果

  避難所のアンパン百個冴返る

  蕗の薹津波の記事に包まれて

  花冷えの地鳴りの町となりにけり

  水平線までの陽炎七七日(なななぬか)

  泥の手で泥をぬぐいて四月尽

  水温む瓦礫の下の泥写真


         春の氷点下        中 井 洋 子


  びしよぬれの涙を蔵す芽吹山

  激震の夜が呼ぶ春の氷点下

  フリージアの水を毀しに来たる地震

  地震のあと急に蒼増す春の星

  卒然と原子炉の怪春の昼

  地震あとを立て直しゐる黄水仙

  木の芽雨てふ語に気づく地震のあと

  寒むや春恥づかしきまで原子炉図

  春昼の影が先立つ余震中

  夜の停電芽出しの雨にして激し

  ぜつたいの蠟燭明り春闌けぬ

  対岸の花を眺める花の下

  身のどこか痛くなるまで花吹雪

  子の声がこの世にもどす飛花落花

  空白をひとつづつ裂き山萌ゆる

  たましひを見透かされさうリラの夜

  かたつむり生まるも死すもどんよりと

  あめつちの柱となりぬ白菖蒲

  美少女を待たず暮れゆく花あせび

  手のひらの闇とゆきあふ余花の闇


         十万億土        中 村  春


  道連れのはたと一人や雪の果

  三、一一子の星の揺れやまず

  春寒の水にたゆたふ絵蝋燭

  万の屍はるかに蔵王うすがすみ

  千年の膿を出したる春の海

  海東風の瓦礫にもある水惑星

  春光の仙台平野化学臭

  清き水一滴陸奥の春彼岸

  薔薇の芽や耳底にいつも春の揺れ

  春の月どろ靴洗ふ娘ゐて

  蛇穴を出て人の世を見失ふ

  二〇一一年闇奥にある春

  汚泥の地息透きとほる黄水仙

  黄水仙ゆらゆら人は息潜め

  海底のグランドピアノ春の雷

  瓦礫縫ふ郵便バイクかぎろへり

  いつの間にさくらももなし陸奥は

  野々島の菜の花化して蝶となれ

  空っぽのゆりかごの揺れ飛花落花

  きみはまだ十万億土春の蝶


         国震ふ        浪 山 克 彦


  神死すと思へり三月十一日

  空泣くか春の吹雪の止まざるは

  寂光の星降りてくる春の闇

  避難所の土偶の目にも花の闇

  消灯九時春満月に抱かれ寝る

  家のなき子の息強ししやぼん玉

  行方なきいかのぼり噫々いかのぼり

  空白の罹災証明蝶生る

  春の鳶廻れりそこは死者の海

  鳥雲に瓦礫のなかの砂時計

  追憶を瓦礫と言ふな野水仙

  礎に四十九日の春の雨

  血を噴いて咲けり塩竈朝桜

  傾ぎたる地軸のままに草青む

  地震の街百円バスと蝶めぐる

  声上げて走る子となり五月鯉

  せめて尾は渚に下ろせ春の虹

  暖かや高野ムツオの握り飯

  泥土払へば鬼房の句碑ひこばゆる

  口結ぶことも詩なり花萱草


         犬ふぐり        半 澤 房 枝


  連翹の花の明りの谷戸かな

  榛の花農事せわしくなるばかり

  渓なりに山吹枝垂れ崖醒ます

  初河鹿俄に水の匂ひ立つ

  祠みな苔むし杉の花粉とぶ

  楢山に一禽の声山桜

  渓石を抱きては離れ花筏

  飛花落花紋様となる露天風呂

  若竹や藪の深さを明るくし

  むらさきは母の彩なり藤の花

  梨の花斜め大地の斜かな

  花大根段畑へ日のすべり落つ

  地震のあと五右衛門風呂の春寒し

  葬送の野面の余寒津波あと

  犬ふぐり張りつき咲きし地震のあと

  春耕や液状化した田と畑

  地震のあと朴の花芽のたくましく

  春灯の沖に消え去り瓦礫山

  鳥引くや追慕の一語津波あと

  春陰や津波のあとの修羅場なり


         朝 凪         服 部 奈 美


  朝凪や波呑みしもの底に積み

  折れしまま青き実つける桜かな

  白魚を父と食べたる宿もなし

  ぬかるみを避難所通ひ斑雪

  春の海友呑みし事忘れまい

  友からのワイン一本春の宵

  泥浚うシャベルの重さ犬ふぐり

  湯治場に避難の人や豆御飯

  流れ来る家や車や春寒し

  山藤や瓦礫まだ積む崖の下

  石段の落花に季節移り知る

  鯉幟ブルーシートとはためけり

  泥被る品を並べて彼岸入り

  春塵や倒れし街路樹続きたる

  日永し津波の抜けし家二軒

  早朝の夫との水汲み沈丁花

  新調の春服泥に重たけれ

  停電の厨に一人朧月

  一本の蝋燭囲み饒舌に

  落石の隅に輝く水芭蕉


         平成大地震        俘  夷 蘭


  地が動きよろめき出れば大震災

  防潮堤越えて橋呑む大津波

  津波押す船はビルへと突進す

  津波迫り命からがら山登る

  湾燃える漁船が燃える春地獄

  浜ごとに遺体が浮いて津波ひく

  雪降りに遺体みつけず立ちつくす

  春泥や体育館の白柩

  松原も市街も廃墟花の冷え

  瓦礫に船見上げる少女五月闇

  瓦礫から位牌と写真春の泥

  花曇り家族不明の虚脱かな

  望遠のみえざる炎炉心溶融(メルトダウン)

  原子炉に作業員入る春の憂

  放射能太平洋へと流れけり

  葉桜や避難の母の抱く赤子

  避難の子家族語らず水仙花

  死者涅槃生者もいつか春の霧

  わだつみの怒り鎮めて若布取る

  生きるべし月に海溝しずまれり


         晩年の記憶に      古 山 のぼる


  地の霍乱春三日月の優しき瞳

  晩年の記憶に三月十一日

  木の芽山学童星は手を繋ぎ 悼 大川小学校

  春の風邪癒えず戦は海より来

  蝋燭の夜は童話など星寒し

  混沌の世や満月の朧なり

  曲り葱売場無人の義援金箱

  種蒔を終へて家族の会話かな

  やませ濃し老のいのちの使ひやう

  真菰の芽遡上の波の運びしもの

  花の下呼べば微笑だけ残る 悼 大森知子

  四月の雪呟きとして海膨る

  葱の花摘む晩年の余徳なる

  産土神は蹂躙に堪へ花菜照る

  菜の花に埋もれり死者と語るため

  咲くちから散る男気の山桜

  新樹光零れて散歩圏の外

  歳月は重し花粉症もまた

  ことばにも疲れが溜まり蜥蜴出る

  蝶が湧き出づる余生の雑事なる


         海よ地よ        松 本 ちひろ


  一瞬の覚醒であり花の乱

  この先に何が見えるの春疾風

  海を地を睨む総身新社員

  方舟の流されゆくか春の潮

  億年の化石の目覚め春の地震

  春曙ふるさとの家ふるさとの海

  菜の花の一山ありしこの湾に

  生きることただそれだけのつくしんぼ

  来世のあるを信じて初桜

  二〇一一年桜愛しき句碑七ッ

  現世の祈りのかたちチューリップ

  海に生れ海に還りぬ桜貝

  さくら貝ここに残して友逝きぬ

  木蓮の抱く月光鎮魂歌

  初蝶をいくつも呑んで光る海

  黙礼を二度被災地の蝶生まれ

  津波痕残る酒蔵燕来る

  ふるさとの憲法記念日波白し

  被災地の餅つく音や子どもの日

  風薫るここはふるさと海よ地よ


         泥分けて        丸 山 みづほ


  夢ならば醒めよ三月十一日

  泥に塗れ炎に塗れ梅真白

  春北斗発し続ける無事の報

  嘆くほか術なき陸奥の日永かな

  地震の街宥めむとして春の雨

  揺れ止めば赤い風船転がりぬ

  切れ切れの架線を飛べり初つばめ

  槌音は仮設住宅つばめ来る

  瓦礫原つばめ幾度も切り返し

  見はるかす瓦礫の土手や犬ふぐり

  忠魂碑三つ横たふ花なづな

  閖上の色なき春や朝の風

  海見ゆる丘に合掌大南風

  春暁の閖上漁港音のなく

  罹災地へけふは広げむ花筵

  魂の通ひ路として夕桜

  被災地の桜のどこか余所余所し

  暮らし皆攫ひて碧し春の海

  白魚の眼あつめて明日を見む

  夏燕駅の賑はひ戻りたる


         向日葵        水 戸 勇 喜


  置き去りのあんなこんなや鳥雲に

  誰彼もなき避難所の卒業歌

  つばくろの庇失ふ海の町

  少年の脳死報道夕ざくら

  鮎の子にふるさとの川破れけり

  徒ならぬ天命を知る残り鴨

  花菜道昭子と知子会へしやと

  M9の子らのスケッチ春行きぬ

  鶯の初音朝からいい天気

  津波禍の下り処なき雲雀かな

  乙猪子の海ことも無げ浜防風

  幾万のがうな未曾有の声吐けり

  大津波苺のハウスごと攫ふ

  朝なさな未必の故意の行々子

  原発の噂のそとの夏蓬

  葭切に溜飲下がる時あるや

  夏霧に過疎と呼ばれて息詰まる

  陸封の歳月はるか山女来よ

  向日葵に金の夕映え明日見ゆ

  渚まで続く針山夏つばめ


         春の闇        宮 崎  哲


  大津波千年前の余寒かな

  春の雲瓦礫の町を彷徨て

  さくらどき行方不明者捜す日々

  安置所のテント怺えて春嵐

  安置所に搬送車来て花の冷

  春陰や流失遺品影も無し

  避難所の姉妹再会春日向

  被災の子大空伸びる青き蘆

  救援車ヘドロ掻き分け春暑し

  春暑しヘドロの畳ただ重し

  遺品靴小さきままの新学期

  学童の靴の数だけ春光る

  満開の奥に瓦礫の港町

  卒業生瞳の奥に誓いあり

  不毛の地春燦燦と案山子立つ

  復興の音楽会場風光る

  被災地の青空すべて子供の日

  全壊の屋根に触れたし鯉のぼり

  被災ビル見え隠れして緑さす

  初夏の紙面復興の文字太し


         くろがね羊歯        森  黄 耿


  三月の挘りとられし頁かな

  脳髄のキィーンと冷えて深夜のラジオ

  フラスコを揺らす余寒の余震あり

  照る海を信じられるか苦蓬

  暮春なり寄添ふ身一つの孤りづつ

  使はねば声は減るもの花の屑

  春雷を怖づ白犬と白媼

  撫で牛の艶や降りつぐ桜蘂

  逃水や背に重たきは面影か

  余震来るたび黒竹の子が伸びる

  フクシマを嘆くヒロシマ立夏かな

  艦影の近き街並霾曇り

  男来て運河へ抛る小鳥の巣

  中天の日へ蟻塚の噴火口

  泪湧くくろがね羊歯の根元より

  幼な等の声のごとくに虹立てり

  赤べこのうなづく日和雪林檎

  廃れたる家の家霊の春じよおん

  掌に受けし玉子ぼうろや蝶生まれ

  消息の知れたる日なり夏鶯


         神話崩壊        森  白 樹


  雁帰る地震ふところを鈍行で

  壊死の町主役失う糸桜

  マイク叫喚津波百段匍って来る

  待たさるる桜や余震北枕

  地震津波桜の中にいて枯野

  屋根に船津波につぐ雪安達太良よ

  雪も欠け原発神話海・田地

  壊死街衢海を鎮めし糸桜

  よろめける群衆移動花の鳶

  神話崩壊沖ツ春風馬の貌

  神話削るどんぐりごろん仮設小屋

  地に伏す歎・土筆津波の指定席

  春日影ガイガー図中の浜の牛

  一本の鉛筆軽し地震さくら

  炊き出しの土間の釜鳴り三月忌

  省略の東北年月八重桜

  天と地の桜狂わず禁漁樵

  町移動鷗漁場の羽繕い

  鷗群る沈下荏苒津波跡

  葉桜や瓦礫のブルの呪詛(ジュソ)()めり


         東日本大震災      村 田 斐路子


  地球身じろぎ幾万の春逝けり

  太古より地球の鼓動春の潮

  陸奥の海辺星殖ゆ涅槃西風

  湧き上る囀迫る大津波

  春の闇呼び合う魂の犇きて

  大地震の傷痕に舞う紋黄蝶

  大地震残りしものに花の種

  地震の後友は病に春霙

  やかん・なべ・バケツの水に朧月

  水汲みや少女の頃の春の風

  海は今無念の青さ桜咲く

  粛粛と人の行き交う花の雲

  酌み交す声のひそやか花筵

  絢爛の花なればこそ鎮魂歌

  塩竈の瓦礫に烟る花の雨

  大津波尽きし辺りに勿忘草

  春の虹地震の海より立上る

  今日ありて仰ぐ欅の芽吹かな

  花の雨地震に崩れし句碑数多

  復興を胸に瓦礫の桜かな


         花の闇        八 島 岳 洋


  活断層ひそかにスパークしたりけり

  プレートの跳ねたる海が起ち上がる

  日本列島裂けるか巨大地溝帯

  大津波見つつ飯食ふ人非人

  瓦礫覆ふ降りつむ雪の白さかな

  給水に魂抜けの列鳥雲に

  亡骸に逢ひたくて来る霞む街

  笹鳴くや瓦礫の陰の石仏

  はらからの遺影芒然鳥雲に

  春泥の靴履き捨てて足湯せる

  津波跡ひとにぎりほど蓬草

  瓦礫中血の色の濃き桜草

  死なせたくなかりし遺体先に出づ

  渦巻ける遺体安置所囀れり

  入学式ブル来て土葬の穴を掘る

  麗らかな空や土葬の穴四角

  立ちならぶ遺体番号小鳥引く

  肌刺して瓦礫の臭ふ花の闇

  目を瞑れば瓦礫の中やさくら花

  無情とも美しいとも花ふぶく



         一 花        山 口 賢 治


  下萌は地震の後なる裂目にも

  被災地の鎮魂の祈り野路スミレ

  祈りたし三重災害花活けて

  漁師等の決意は堅し海還す

  膝を付き冷き大地に何故と聞く

  折り裂けし桜の蕾守らんと

  弱くとも雪割り一花の祈りあり

  原発の言分け重く雁帰る

  背も丸め身内さがして春遠し

  汚泥割り人の真心咲かすかな

  人の和は山に祈り海に祈る

  地震津波原発の余波は風岬

  故郷は必ず還る労苦積み

  地震あとの海に祈り田に祈る

  津波あと老婆つぶやく何故何故と

  地震にも生きて幸せ一花かな

  地震津波ナムアミダ仏と三重災

  子は親を親は子供と避難所へ

  早春の恐怖一瞬の大津波

  根こそぎに浚う映像大津波



         祈りと希み        山 田 桃 晃


  生と死と瓦礫三月十一日

  菜の花の島をのみ込む黒い波

  黒い波が角組む萩を根刮ぎに

  震災の核きさらぎの海の底

  防潮堤の過信があだか手なし蟹

  燕来る余震の夕餉何にせむ

  給水車待つ春泥を踏みしめて

  春泥をどろんこと言ふ避難民

  庭肌の亀裂土筆が震へてる

  頑張つて生きやう土筆の絆もて

  生き延びし金魚を襲ふ夜の強震

  復興の息吹き陽炎とランドセル

  花の幼霊行方不明の瓦礫山

  幼霊のあまた待ち侘ぶ春の海

  淡雪を被て幼霊のさまよへる

  蘆の角幼霊遊ぶ川の声

  艱難辛苦乗り越え生きる桜かな

  花見て泣くひとりぼつちのおばあさん

  夕(ぐれ)の余震桜に励まされ

  励ましの祈りと希み鯉のぼり


         地震の村        山野井 朝 香


  満天星の花の日暮の余震かな

  ゆびきりの形に昏れる初蕨

  母を想えばおだまきになれるよう

  まんさくの闇のむこうの余震かな

  透蚕やすこし足りない電子音

  踝に地震の予感や桜の夜

  語り継ぐ地震の話や花豌豆

  春竜胆今日の私は毀れない

  老いという自由時間の沈丁香

  春宵の童話の色に地震の村

  余震またげんげ明りの洗面器

  刃こぼれの谺となれり春霞

  樺の花よりも遠くに地震の街

  花冷えの唇それもピカソ風

  液状の駅のま昼のいたちぐさ

  春はゆうぐれ箪笥の上の薬箱

  残像は木綿ざわりの杉菜原

  鳥曇り身を引き締めてオムライス

  地震後の歯磨く時の蟇の顔

  本籍にもどろう泰山木の花


         万 緑          吉 野 秀 彦


  まず無事の笑顔たしかめ花の道

  黙するは三月十日も十一日も

  さくら葉ざくら救援物資受付所

  雪残る山に波音残るとや

  中継の少年清し避難所余寒

  太古より白銀の月満ちて春

  波が呑む寒風沢島を故郷とす

  三角波をくだれば漁師に花明り

  破壊の街なれば徐かに春の雪

  靖国の誰に伝えん初桜

  佐保姫や金子みすゞの海黒し

  安達太良の警官居並ぶトイレかな

  阿武隈の宮城に続く山桜

  詩魂ひょうひょう阿武隈の夕桜

  桜ひかる峠の向こうに波がある

  馬追の馬の墓あり海近し

  葉桜の車列百キロ被災地へ

  万緑に自衛隊車両の車幅かな

  蒲公英や自衛隊車両を仰ぎ見る

  いざ進まん瓦礫の山河万緑ぞ


         それから夏          我 妻 民 雄


  小田急の見知らぬ駅に降ろされて帰宅困難者の群れに入る

  揺れてゐるゐないゐるゐない揺れてゐる船酔ひのやう余震つづけり

  望遠レンズ(ながたま)で撮りし画像のゆらゆらとあれは原子炉 海市にあらず

  「春の虹伯母が私を守るよと」あはれ大森知子の絶句

  津波過ぎあとに残れるいつぽんの丈高き松 囀りをらむ

  越喜来(おきらい)の肉厚若布買ひに行き無いと云はれて津波おもほゆ

  ヒロといふ布哇(ハワイ)の街に津波来しむかしありたりいま合歓の花

  はげ山にぶなを植えては(うま)し牡蠣はぐくむ海の(をとこ) 元気か

  多賀城に瓦礫の山はありやなしや高野ムツオといふ夏男(なつお)来る

  「浜岡原発・すぐに止めろ!」と大書した愛車を駆つて宮崎駿

  朝まだき余震・雷鳴こきまぜて老いたるわれに五月は来たり

  山猫森・竹の子森は隣りあふ森といふ山滴りにけり


         盗 汗          渡 辺 誠一郎


  生き死には過ぎゆくばかり花の闇

  怨霊死霊消えみちのくの忌日なり

  塩辛き草木眠る聖五月

  春光の天児こそは波に乗れ

  写真師は地割れの虻を撮りたがる

  赤子みな新しきもの青葉騒

  瓦礫から手を振る友の誕生日

  余震来るわが心臓の擦過傷

  盗汗かくメルトダウンの地続きに

  泣くために海をみており萱草

  奥州一之宮津波の前の水羊羹

  大地震の箱庭縮む日なりけり

  みちのくの水漬く影から黒揚羽

  夢の間の貞観千年菫咲く

  草木成仏セシウムのががんぼは

  引き波に言の葉取られ夏の鴨

  動かざるみちのくのあり梅雨鯰

  フクシマの牛の咀嚼の夏野かな

  地も水も暴れし後の扇風機

  しずけさは死者のものなり稲の花


         悲しみのあたりで      渡 辺 智 賀


  鎮魂の雨の朝市鹿尾菜篭

  昼過ぎの瓦礫の雪に雀くる

  余震あり空の傾く椎若葉

  雀隠れ断層ふかく地震のあと

  地震あとの畦やわらかく筆の花

  悲しみのあたりで余震白椿

  廃校の瓦礫の裾に筆の花

  余震あり夢見の椿白椿

  海坂や寄りては別る春の鳶

  津波あと川の自在や芦の角

  津波あと大きく降るや春のゆき

  潰えたる壁の守宮の影動く

  石垣のうすき光に咲くすみれ

  砂浜に同じ翳もつ紋白蝶

  咲きみちて風と光のシクラメン

  はこべらや津波のいろの雀どち

  沢風や声をふたつの河鹿笛

  だんまりを決めて足寄す雨蛙

  葉桜のぶつかりあいて修羅のぞく



  作品10句+エッセイ

         写真帖        遠 藤 克 子


  千年の時のひずみか伏すはこべ

  大津波あしたの土手のはこべ消ゆ

  大なゐのあしたの梅の仄明り

  大津波旧道の春残しけり

  花冷えや瓦礫の街のチェロの音

  大なゐの街の鎮魂白木蓮

  四月尽瓦礫の陰の写真帖

  薫風の大津波跡死の気配

  大なゐの爪痕めぐる青嵐

  大なゐの街の無心のからすの子

  
     時間を掛けて受け止めたい

   東日本大震災後約二ヶ月、大方の人が云っているように日本も世界も、はたまた個人的にも来し方を振り返り

  行く末のあり方を再編成する状況に否応無く直面していると考えてはいる。そう考えつつ、実は事の重大さをじっ

  くりと真正面に受けとめているかははなはだ疑問である。頭の中は大忙しの割に空まわりが多く、草臥れており

  心も身体も同様である。

   しかし、季節は白々しくも美しく変容していき、その美しさについて行き難い気持があり、このずれにこの頃は腹

  立しささえ覚える。この腹立しさは意欲の回復のきざしかと期待している。そして、大震災の全貌は知らぬまま、

  片隅に佇み、よろよろ歩いている私にとってはいわば「強いられた大吟行」に参加し、言葉を探しあぐねつつ、言

  葉を形にする作業が必要と自分に言い聞かせている。私も在宅被災者の一人ですから。        
(克子)



         鳥帰る        加 藤 文 子


  瓦飛ぶ地震の庭の水仙花

  初蝶やゆらりと地震の庭に舞ひ

  春浅きライフラインを絶ちし地震

  原発の雨の来ぬ間に蕗の薹

  桜貝待ち人遠き彼方かな

  大地震花のたよりの変りなき

  漂流の犬抱かれて鳥帰る

  産院に高きうぶ声地震の春

  突き上げし地震の道の踊子草

  囀りの震災悪夢払ひけり


   あの時、私は庭石にしがみつき腹這いのまま近所の悲鳴を聞き大きく揺れ軋む家、サッシ戸が外れ硝子の割

  れる音、屋根瓦の飛んで来るのを眺めていた。足元に日本水仙が匂い初蝶が現れ、我身の無様な恰好を癒し

  た。地震雷火事親父(人間) の譬は正にその通りで自然の脅威と人間の弱さと脆さを見せつけられた。幸いにも

  東部道路が防波堤となり津波の被害から免れたが
大災害に遭遇された方々の証言から、踏まれても痛めつ

  けられても立ち上がろうとする生命力の強さが伝って来て勇気づけられた。それにつけても最後まで戦い命尽き

  た方々を思うといたたまれない。合掌。

   余震の続くなか何事もなかったように牡丹の芽が成長し、自然の恵みが訪れている。五七五の記録に留って

  いた私は古希を過ぎて高野主宰の講義に接し、俳句の奥深さに戸惑い、遥か遠い道程ですが、主宰はじめ小

  熊座の先輩諸士に学び、ご助言ご指導を賜りたいと願っております。
                  (文子)



         犬の眼        春 日 石 疼



  乾坤のおらびか魂の佇ち尽す

  鎮もりて窓は明るき春の雪

  陸海のあはひ失なひ彼岸かな

  生きたやうに死ぬと言はせじ春怒濤

  陽炎や歩めば喉詰まる街

  弥生月無きが如くに終はりけり

  犬の眼につねと変はらぬ朝ざくら

  茎立や風向き悪き今朝の空

  この春は韻忘じたり原発禍

  農夫ひとり業のごとくに田を返す


   それは突然やってきた。そこにいる誰もが経験したことのない、大きな、長い揺れ。私はたまたま隣接の老人

  保健施設にいた。若い職員の絶叫が轟音にかき消される。利用者の方々は声も出せないでいた。

   海べりに暮らす人たちの地獄を相馬の避難所への援助の際にこの目で見るのは少しのちだが、私たちも人工

  呼吸器の在宅患者さんの死亡や、心臓病・高血圧症などの悪化する患者さんをたくさん経験した。

   いま、福島は放射線の恐怖に怯える毎日だ。福島市は原発から六十キロ離れているので避難指示などはな

  い。 しかし町は静かだ。久しく子供の遊び声を聞かない。歩く人も少ない。洗濯物が干されていない。「どうなん

  ですか?」と診察室で尋ねられるが、私も含め医師の多くは放射線医学の知識をネットなどから得る程度。一

  般の方々とさして違わない。国や東電の発表もどこまで信じて良いものか。

   原発事故という人災のために、福島に住む私たちは「よし、やろう」という気力をどこか持ちきれないでいる。い

  つまでこの状態が続くのか誰にもわからない。その不安。


   知らぬうちに春が過ぎ、夏が来ようとしている。                                  (石疼)



         三月十一日      鎌 倉 道 彦


  三月十一日地球崩れる音を聞く

  大地震四方八方向く机

  揺れ続く街は暗闇梅の花

  囀りの途絶えて余震また余震

  春の月余震にねむる赤子かな

  春泥に立ちつくす母の手赤子泣く

  卒業す教室の泥を掻き出して

  悲しみを鎖ざした顔や新学期

  春耕や大地の傷を埋めるごと

  悲しみを振り払う汗被災の子


   三月十一日、突然不気味な音とともに、校舎が大きく揺れ始めた。何かに縋らなければ身体を保つことが出来

  ない。校舎のあちこちで大きな音がする。本が崩れ、ガラスが飛び散る。電気が止まった。窓から、木々や街の

  建物、電柱が撓るように揺れ、歪んで見える。これは、大地が崩れゆく音なのか。日常が壊れる揺れなのか。恐

  怖と不安に胸が締め付けられた。それから数日、暗闇の生活が続いた。


   私の苦痛など取るに足らない。嘗て住んでいた海辺の街の惨状は目を覆うばかりである。余震でおろおろする

  自分が情けない。あの人はどうしたのだろうと、思うばかりである。

  五月の連休に、被害の大きかった沿岸の学校のバレーボール部を招待した。多くは、家を失い避難所から登校

  する生徒、親族を失った生徒達である。その生徒達の明るく必死にボールを追う姿に、逆に勇気づけられた。ま

  だまだ、何が出来るか考え行動しなければ。                                    (道彦)



         地震の国       千 葉 百 代


  ふるさとは瓦礫と化せり椿燃ゆ

  地震の国振り返りつつ鳥雲に

  地震痕に噴きだしてゐる犬ふぐり

  津波痕瓦礫を隠す春の雪

  津波痕瓦礫に魚網の束遺る

  泥を吸ふ梅は静かに開きけり

  連翹燃ゆ解体二文字の家・車

  涅槃西風白砂青松消え去りぬ

  惨状の夢でありしか絮たんぽぽ

  桜満開感動なくば彩見えず


   私の故郷は大船渡市三陸町越喜来崎浜という、小さな漁村だ。かつては日本の三大漁場の一つで、鰤漁の盛

  んな所であった。

   今は、大漁船を抱える船主が二、三とわかめ、帆立などの海の資源での生活者が大半であった。

   今回の大震災の大津波は、間違いなく私のふるさとも、根こそぎ攫っていった。

   私はこの震災の前後二ヶ月間、奇しくも神経内科クリニックの看護師として、患者と向き合うこととなった。

   津波で職場・住居を失った方。会社の工場も家も流失した社長。地震や津波に慄き不眠となる人達。

   これらの人達の心的外傷を聞きながら、共に悲しみ、苦しみ、泣いた。

   自己解決出来そうで出来ない、人間の心は時には脆く、微妙なものであること、病院と違うクリニックの確かな

  存在を知った。

   避難生活の長くなった被災者に「心のケア」を、ボランティアの一員として踏み出そうと思う。      (百代)



         海          中 鉢 陽 子


  海愛す永遠の眠りの桜貝

  春昼の海が恋しいあの人も

  雁帰る海の嘆きを両翼に

  藪椿津波の海を憎めない

  口づさむ「ふるさと」悲し葱の花

  菜の花を束ねて君を抱くごと

  草餅や生まれし村を海が飲む

  精一杯生きた証しや花大根

  余震なおろうそく一本春の夜


     
非常持出し袋と大切なもの

   宮城県沖地震への警戒が叫び続けられ必需品を用意しておくようにと。それが非常持出し袋として、アイディ

  アの宝庫である。

   我家に非常持出し袋の用意はなかった。そこへこの地震、津波、原発とまさかが現実となって起きてしまった。

  生活の不便はあったが非常袋がなくても暮らせるという話ではない。用意すべき物がますます難しくなったので

  ある。非常事態は様々な顔でやって来る。安全神話の原発は便利と不便は紙一重だと心が重い。地球が痛いと

  悲鳴をあげている。

   映像に見る被災地は地獄である。がれきの中から見つけた物を胸に抱く姿。物があふれるこの時代、非常持

  出し袋にみな入れたい。

   言うまでもなく命が一番大切なのである。命さえあればと言える社会保障があれば、それを袋に入れておけば

  いい社会が実現してほしい。


   緒絶川日和とおもふ藤の花   大森知子

                          合掌                                    (陽子)



         みちのくに       福 田 葉 子


  北国の三月海嘯の野獣めき

  地震つづく不眠の町に春の雪

  たまわりし命抱きしむ春の潮

  余震なお口中渇く寒き春

  春夕べ(かし)ぎの煙避難所に

  みちのくの友よ幸あれ啄木忌

  北国に青き鳥来よ燕来よ

  鎮魂の桜吹雪となりなんと

  泪脆き日々みちのくにさくらさくら

  弟よ瓦礫を泳ぐ鯉のぼり


   丁度あの日、私は小さな町の駅ビルの二階で二組の母子連れや老婦人とビルの太柱に摑り揺れの収まるの

  を待ちました。八十年少々生きて参りましたが、あんな揺れは初めての経験でした。震度五強とか。あとで伺え

  ば東北地方は震度七強、それに大津波も襲い、さぞかし恐ろしい思いをなさったことでしょう。ご家族や家を失い

  乍らも懸命に復興に尽くされている姿を拝見して頭が下がる思いです。
                 (葉子)

 

  エッセイ

         自然に返れ        阿 部 流 水


   東日本大震災は震度7の本震、6強の余震ともすごかった。本震の時、家に居た私と家内

  は庭に飛び出して激震に揺れる家や風景を眺めておののいたが、無事。次女は勤め先のビ

  ルの17階で波間の船のような揺れを経験したものの、これも無事。その後停電で不気味な市

  街を歩くこと3時間、やっと帰宅した。東京暮らしの長女にはメールで無事を知らせ合った。余

  震では町内会副会長として深夜の町内を巡回し、死傷者無しを確認して安堵した。


   命の次は衣食住にかかわる暮らし向き。木造2階建てのわが家は、本震で玄関のタイルが

  5、6枚はがれ、壁のあちこちにヒビ割れが出来たが、大きな損傷はなかった。近所では屋根

  瓦が落下して家が歪むなど被害が大きかった。わが家はシンプルなトタン屋根だったのが幸

  いした。無骨な造りながら、個人の大工がしっかりした造作をしてくれた。室内の物が棚から

  落ちて散乱はしたが、書棚もテレビも地震対策を施しており、家具類の倒壊破損も無くて済ん

  だ。


   ライフラインでは、本震の際に3日間の停電、1週間の断水に遭遇、苦労した。高度化され

  商品経済に組み込まれた文明生活がいかにもろいかを思い知らされた。停電によって暗がり

  の生活というだけではない。暖房も冷蔵庫もテレビやパソコンも使えなくなった。寒がりの私は

  愛用の電気コタツと電気敷布が使えず、湯たんぽに頼った。停電の効用は月や星の美しさを

  際立たせたのと、太陽に合わせた生活の健康さ、快適さを知らされたことだ。


   飲料水確保のため、地元の神社の湧き水もらいに3時間も並ぶ日が続いた。水洗トイレが

  使えなくなったのも痛手で仮設トイレを借りに出掛けたり、庭の隅に穴を掘って小用を足す始

  末。隣家の古井戸から生活用水を分けてもらい5日ぶりで風呂に入り、洗髪した時には生き

  返った心地がした。断水騒動では、岩切に隣接する県民の森のあちこちに泉や沢水があるこ

  と、昔の井戸を残している家も結構あることを知った。イザという時には自然水を利用できる

  ありがたさ。

   
   食料の買い出しにはリュックサックを背負って歩き、スーパーの行列に並んだ。備蓄食料が

  結構あり、節約しながら暮らした。借りた空き地とわが家の少し広い敷地とを利用して妻が野

  菜作りをしている。お陰で、ジャガイモ、大根、葱、青菜類などはほとんど自給自足。米は親

  類の農家から譲り受け、リンゴはリンゴ農家からまとめて買う。農家の出で戦中戦後の物不

  足に育ったお陰で、節約にも慣れている。都市ガスは復旧まで長くかかったが、わが家はプ

  ロパンガス。石油ストーブにも助けられて料理や湯沸かしに活用した。

   
   今回の震災で強く思ったのは、高度化した文明社会にあっても『自然に返れ』の精神は持ち

  続けたいということだった。




         地盤沈下        宇津志 勇 三


   あの日は四月に開催する「四ッ谷用水展示会」の後援を仙台市環境局に頼みに行き、帰っ

  て来たところだった。エレベーターに足を一歩踏み入れたとき、ガタガタときた。


   電気は切れ、水道もガスもストップした。次の日電気が来て、テレビを見て呆然とした。津波

  の惨状を見た。だが
それはほんの一部で、刻々と被害の甚大さが伝わって来た。


   それに追い打ちを掛けたのが原発の爆発事故。郷里は二〇〜三〇キロの屋内退避地区に

  ある。妹、叔父叔母、従弟たちの避難が始まり、今も、当分収まりそうにない。毎日被災地と

  原発事故に関するテレビの映像を見ているうちに、本を読んでも根気がなく、言葉が頭に入ら

  なくなった。


   「四ッ谷用水展示会」の会場である八幡杜の館からは五月半ばまで休館の知らせが来た。

  四ッ谷用水は藩政時代、広瀬川の上流で取水され、仙台城下を延べ四四キロに渡って流れ

  生活用水として使われていた。そればかりではなく、浸透した水は地下水を豊かにし、杜の都

  仙台を創った。今回の展示会は八幡町づくり協議会と共催し、仙台市環境局の後援をもらい

  優れた治水事業の紹介、環境問題を考えるヒントとして、皆さまに知らせる展示会なのだ。と

  ころが中止となって、内心ほっとしている自分に気付いていた。既にこの展示会をやる気力が

  薄れていたのだ。この展示会の意図は意義のあるものと思っている。しかしそれは平穏な日

  常の中でのことだ。被災地の方々の惨状を考えると、いかにも呑気な行動に思えてならな

  いのだ。

   一方、この惨状を前にして逆に作用したものがある。長塚節著の「土」を震災前にある必要

  から読み出していたが、日頃、ストーリー性の強い小説に慣れた読者にとっては、正直退屈な

  作品だった。ところが震災後は丹念に描かれる農村風景と小作農民の生活が懐かしく迫って

  きて、興味深く読んでいる。祖父母が農家の出だったことも思い出した。忘れていた自分の故

  郷が心に沁みて来るような気がした。多くの日本人の故郷でもあると思った。


   国土地理院の発表によると、今回の震災で岩手、宮城、福島の海岸に地盤沈下が起こり、

  その値は牡鹿半島の一メートル二〇センチを最大に、七〇センチ前後という。地盤沈下地帯

  は大潮で冠水し、深刻な事態を引き起こしている。地盤沈下は国土だけでなく、国民にも起こ

  っているような気がする。明治、大正、昭和、平成と積み重ねてきたものが削り取られ、底に

  あるものに、今、触れているのではないだろうか。

   五十日が過ぎた。震災で苦しんでおられる方々の一日も早い復興を祈りながら、「四ッ谷用

  水展示会」を六月に開催することを決めた。




         脇起半歌仙「蘆の角」       大 場 鬼奴多



  泥かぶるたびに角組み光る蘆        高野ムツオ

  
  雪のベールを脱がぬ山々           大場鬼奴多

  
  謎解きに蜃市へ向かふ者ありて       原口 一草

  
  データブックの表紙毳立ち          稲井 無内

  
  いさよふもレンズの果ての赤い月      大泉 赤泉

  
  酸つぱい茱萸に口を窄める          倉田 遊子


ウラ

  
  初あらし馬車の轍の軋む音          庄司 吾知

  
  元を質せば子爵令嬢                  無内

  
  シャガールを濡れた瞳で追つてゐる         赤泉

  
  吐息に混じるベクレルの熱              吾知

  
  夜濯のデニム逆さに乾されたり        万波  鮎

  杖突虫がつかむ欄干                  遊子

  
  隣家まで球を飛ばせばホームラン           赤泉

  
  男振りなる背ナに月()て               鮎

  
  晦日蕎麦先づは汁など付けず食ひ          無内

  
  定刻通り発車ベル鳴る                 一草

  
  高台の鎮守の杜は花盛り               吾知

  
  呑みくらべする春の鶴乃屋               遊子


                                二〇一一年四月三十日首尾

                                        於山内加代旧庵

                                          いさよひの会

  
  *脇起=一座に居ない人の句を立句として脇(第二句)から作り始めること。

  
  *半歌仙=初折十八句でまとめる。一花二月。


留意

   
   未曾有の大震災から十二日目の読売新聞に、高野ムツオ主宰の「芽吹く蘆に祖霊を見る」

  という力強いエッセイが寄せられ、その文末に置かれた「泥かぶる〜」。この句を立句に「いさ

  よひの会」の連衆による付けを試みました。「必ず復興できるそう確信した時、眼下に流れる

  川の春のさざなみが、私の願いに応えるようにきらりと輝いた……」。四月三十日はその日か

  らちょうど五十日目。四十九日の昨日は被災地のいたるところで法要が営まれたそうです。




         
尊い命        神 野 礼モン


   三月十一日午後二時四十六分、突然の激しい揺れを感じ恐怖に震えた時から私の中の時

  計は、止まったままである。今まで経験した事のない激しい揺れに震えながら、這うようにして

  庭に飛び出し、地べたに座り込んだまま「一体何が起きたのだろう」と一人パニクるばかり、と

  ても長い時が過ぎ去ったように思われた。

   
   地震直後、釜石へ単身赴任中の夫と山形勤務の息子から
ほぼ同時に「無事」の知らせと

  家族の安否を問うメールがありホッとする。多賀城に勤務している娘は無事だろうかと不安で

  胸が張り裂けそうに痛む。暫くして娘が帰宅、ホッとして力が抜けた。娘の職場は、脱出後間

  もなく大津波により崩壊したとの事。間一髪で難を逃れたのである。海岸から離れた高台に

  ある我が家は無事だったものの、家の中は手の付けようのないくらい物が倒れ、食器等が壊

  れ、足の踏み場もない。ライフラインは、一瞬にして破壊されてしまった。四日目に電気が復

  旧、すぐにテレビをつ
けた。映し出された尋常ではない映像の残酷なまでの悲惨に言葉を失

  う。「3・
11東日本大震災」と呼称されたこの事実、「マグニチュード9」の我が国歴史上最大

  規模の地震である事を知り更に強い衝撃を受ける。

   
   「夫は大津波を乗りきることが出来ただろうか」、被害の大きかった陸前高田は夫の故郷。

  「夫の親、兄姉は、もう駄目かもしれない」と恐怖に怯えた。甚大な被害を受け、救援の手が

  及ばない陸前高田の漁港に所在する夫の実家の無事を確認出来たのは、震災から十日目

  である。そして翌日、巡視船乗船勤務の夫から、巨大津波を乗りきり、以後捜索救助、被害

  調査に従事、「無事」との連絡があり安心。
命を懸けて災害現場で勤務にあたったようだ。夫

  ながら頼もしくなった。ジリジリと身を焦がす「期待」と「諦め」の交錯。人間の命の尊さを、これ

  ほどに感じた事はなかった。夫と家族の無事が確認できた時から、私の中の時計がやっと時

  を刻み出したのである。

   
   沢山の友人、知人からのご支援、励ましに、どれだけ感謝した事でしょう。これ程人の温か

  さや思いやりに泣いたことはなかった。いろいろな人間性を垣間見ることができたと思う。何

  気なく過ごしていた、あたり前の普通の暮らしが、いかに幸せなことだったか、改めて気付か

  されたのである。悪夢のような天災の恐ろしさを忘れず、日々の何気ない普通の生活を送れ

  ることに感謝しつつ、一日一日
大切にゆっくり歩いて行こうと思う。

    
    大震災春を忘れて以下余白       礼モン


   最後に、数万に及ぶ犠牲者の霊を悼み、最愛の肉親、友人、思い出の詰まった家、職場を

  失った皆様に、お悔やみを申し上げると共に、一日も早い復興をお祈り申し上げます。

                                                     (合掌




        たくあん漬けてあじ焼いて        佐々木 とみ子


   三月十一日午後二時四十六分、大揺れの地震と同時に停電。揺れをくり返しながら夜にな

  った。ろうそくを囲み携帯ラジオを聞き、それでもあの空襲の夜に比べれば何のこれしきと気

  負っていた。数日後にやっと電気がつきテレビの画面を見た瞬間から心が凍ったまま。どこま

  でも続く瓦礫の向こうに海が見える。空襲の焼野原から見た光景と同じだ。各地の浜辺に何

  百と遺体が重なっているという。福島第一原発の事故が拡大する。三月半ばだというのにま

  だ雪が降っている。行方不明者の数、遺体の数が日ましに膨らんでゆく。被災地とは全く連絡

  がとれない。

   なんでこんなことになるのと心にくり返しながら、まず今自分にできることを考える。考える

  ほど何て無力なんだろうと思った。とりあえず日赤の義援金口座が開くのを待って通帳から掻

  き集めて振込む。それから節電。門灯、食卓の上の電気、エアコン、空気清浄器などはあれ

  からずっとつけていない。掃除機も使っていない。クイックワイパーとコロコロというガムテープ

  の強力のようなのを転がして塵をとる。これは塵の種類がよくわかって髪毛の多いのにびっく

  り。髪が薄くなるはずである。老人の執念で、原発事故が安全になるまでコロコロを転がし続

  けるつもりだ。

   何度か試したあとやっと塩竈の鬼房先生宅へ電話がつながった。気丈な奥さんもさすがに

  疲れた声、ともかく無事だった。その後娘さんの美穂さんと連絡がとれ大森知子さんが亡くな

  られたのを知る。ちょっと小首を傾けてやさしい笑顔で語りかけてくれたのが目から離れず胸

  がふさがる。

   夜遅く東京の大場鬼奴多さんから電話、主宰も誠一郎、きみこ、浪山さん達も無事と知らせ

  てくれてありがたかった。多賀城と通じたのはかなり経ってからで、無事と知りながら主宰の

  声を聞いて安堵した。きみこさん、浪山さんはまだ避難所だそう。さぞ大変なことだろう。三月

  三十日そろそろいいだろうかと誠一郎さんに電話。ちょうど在宅してざっとの状況を知らせて

  もらう。市役所に泊まりがけで奔走しているとのこと。小熊座四月号は発刊できませんねと聞

  くと、イヤ遅くなるけど出します。きみこさんは避難所で校正しているよ。とみ子さんも元気出し

  て!と言われて、ぐゎんと目が覚めた。そうだ俳句を作らなくては。

   今回身にしみたのは自然の力、日常生活の奢り、多くの人の真心、身を捨てて働いてくれ

  た現場の人のありがたさだ。然し被災した方達の苦痛はその身にならなければわからない。

  援助があったにしても結局自分で背負うしかない。申し訳ないと思う。こんな悲惨を無数に重

  ねて歴史は作られ、特に東北人は耐えぬいてきたのだ。「たくあんの蓋あけごろの雪降れり 

  田中美津子」のように畑のものを漬け獲れた魚を食べて、みんなで楽しくつつましく暮らしてき

  た。その日がまた必ず戻ってくると信じている。




         俳句と震災        高 野 ムツオ


   日本を根底から揺るがした大震災から 早くも二か月以上過ぎようとしている。震災翌日から

  給水や買い出しに明け暮れ、家では、ラジオやテレビに固唾を飲み、新聞を開いては声にな

  らない声を上げて嘆くばかりの、情けない日々を送っていたが、少しずつ、何とかやるべきこ

  とも見いだしつつあるといったところが、いつわらざる現状と
えようか。

   それにしても、未曾有の大災害。本来なら、ささやかでも、被災した人を支える一端を担わ

  なければならないのだが、そんな心の余裕も力のなかったのが、現実というところだ。もっとも

  被災の悲惨さを、少なくとも自分の眼にはとどめておきたいという気持ちだけはあった。一回

  きりの生涯に起こった、この国最大の危機なのだ。だが、所詮野次馬。被災者の気持ちを考

  えると、個人的な関心だけで被災地に赴いてはならない。だから、二の足を踏んでいたが、偶

  々、七ヶ浜の被災地へ赴く機会があった。ボランティアにやってきた若い人たちを七ヶ浜に案

  内する機会があったのだ。それを口実に、私は花渕浜や菖蒲田浜へ足を運んだ。そこで見た

  のは、屋根に乗り上げた船、根元からもぎ取られた松の木。その恐ろしいほどの大自然の力

  に、畏怖と、その犠牲になった多くの人々への深い悲しみが、新たにこみ上げてくるのを禁ず

  ることができなかった。

   この苦難に詩歌の世界はどう対処していくのか。そのことも念頭を去らなかったが、このとこ

  ろ、さまざまな取り組みが活発化してきたように感じられる。先駆けて活動し、その成果が際

  だっていたのは和合亮一の一日で書いたという長編の詩「詩の礫」と十二日間で百十九首成

  したという長谷川櫂の歌集『震災歌集』だろう。詩歌の世界も捨てたものでないと思った。和合

  は、その後、詩集『詩の邂逅』や『詩ノ黙礼』の矢継ぎ早に出版するなど、より意欲的だ。長谷

  川の俳句の成果にも期待している。だが、同時に、俳句は、やはり時事に向かないという声も

  少しずつ聞こえ始めてきた。これは阪神淡路大震災のときにもあった。確かに、詩形式には、

  それぞれにふさわしい素材や内容のあるのは事実で、それにあった形式を駆使して表現でき

  れば、それは理想的であるだろう。しかし、俳句という、つつましい形式しか手元になく、それ

  のみを信頼し、支えとして言葉に関わってきた者には、俳句以外に表現するすべはない。い

  や、俳句で表現すべきなのである。

   思えば、佐藤鬼房の俳句は、そうした過酷な現実を見つめ、過酷な現実を生き抜くためのも

  のではなかったのだろうか。戦後の困窮の中を、たった十七文字を自らの盾や鉾として鬼房

  は生き抜いてきた。その爪書きの句を、今また読み返しながら俳句とは何かを、また自問して

  いるこの頃なのだ。




         午後二時四十六分        土 見 敬志郞



   その日( 三月十一日)私は多賀城図書館に於いて読書中に大地震に遭遇した。その時刻

  (午後二時四十六分)は今以て私の脳裏にフリーズされたままである。大音響と共に窓ガラス

  が割れ落ち、危険を感じて庭に出て暫く振動が収まるのを待った。私はとっさに車のドアを開

  けラジオのスイッチを入れた。津波警報が出て既に第一波が到達している旨のアナウンスが

  流れた。私の脳裏に故郷の寒風沢が即
座に過ぎった。と同時に五十年前のチリ津波の情景

  が重なった。自宅に帰り軽微な被害を確認したものの故郷の状況が気がかりであった。勿論

  電話回線は不通、電気水道は無論、ライフラインは完全に断たれて安否確認の術はない。

   携帯ラジオと蝋燭の灯りだけの数日が続き、給水車待ったり青麻神社の湧水汲みに走っ

  たりで、そのうちガソリンも欠乏して買出しは徒歩で生協への長蛇の列に加わった。塩釜市役

  所の災害対策本部に於て寒風沢が壊滅的な津波災害に見舞われた事を知ったが不幸にし

  て私の生家もその中に入っていた。しかし、一刻も早く島の現状をこの眼で確かめたかった

  が交通網は遮断され、避難場所の旧浦戸
小学校への救援物資はヘリコプターに頼るのみで

  あった。

   結局島に渡れたのは一ヶ月後であった。ここで現実にこの眼で見た寒風沢の惨状は目を覆

  うばかりであった。あとかたもなく流失した家屋やわずかに形骸をとどめているものなどを含

  め、一面瓦礫の山であった。造艦碑は倒れ、日和山の縛り地蔵をはじめ方角石や、六地蔵

  や化粧地蔵といった島の観光名所の悉くが倒壊し無残な痕跡を晒していた。私は呆然自失し

  冷静な精神構造を失っていた。寒風沢の被害状況は全壊半壊一部破損を併せると凡そ五十

  七棟の損害と四名の死者と共に今貴重な文化遺産が崩壊した。

   寒風沢港の歴史を紐解くと元和年間長南和泉守一族が上総の国から來住して以来三百有

  余年今日の繁栄の礎を築いた。伊達家統治下にあっては幕府への御蔵米搬送の中継点とし

  た。また仙台藩の軍艦の建造した跡地としても著名で当時の造艦の碑が建立されている。ま

  た戊辰戦争のとき榎本武揚や人見勝太郎といった幕臣達が函館の五稜郭への途中しばし休

  養を取った場所としても由緒ある土地である。仙台在住の元禄の俳人大淀三千風は寒風沢

  に於いて浦戸八景なる数々の俳句作品を残している。

   ゲーテの自然観に次の一節がある。(自然は永遠に新しい形姿を創り出す。現にある物は

  かつては無かったし、かつてあったものは再び現れず全てが新しく常に古い)。

   人類の創世以来、有為転変の中で自然は度々魔性を曝して来た。しかし私達は自然の恵

  みなしでは生命の存続はない。それを克服するには人間の英知を持って防護策を施すしか

  方法は見当たらない。それが自然との共存であることを今回の震災は明確に示唆している。



         提案/遷都のこと        筑 紫 磐 井


   大地震と津波を前になすすべもない思いをいだかれた方が多いと思う。しかし、近代日本に

  おいては関東大震災という大災害、――私も経験したことのない大災害についての経験を一

  応知識としては持っているはずである。これを踏まえて新しい東北の地図を描いてみたい。

   関東大震災の直後の東京は、帝都復興・再興で活気づいた。しかし、その後それらは、別

  のニュアンスを含みながら新概念「新興」へ向かって疾走した。あの、新興俳句の「新興」であ

  る。東北は復興。再興では無く、新興されねばならない。

   新興―――今までの東北を元に戻すのではなく、新しい価値を付与することにより今まで東

  北が実現出来なかった新時代を迎えることは可能ではないか。それは「遷都」(首都機能移

  転)である。可能かどうかは別として真剣に考えるべきことであろう。

   今まで遷都についてはさまざまに議論され、最近では栃木・福島も候補に挙がったが結局

  見送りになり、担当する国土交通省の首都圏移転機能企画課という部署も今年の七月かぎ

  りで廃止の予定だ。遷都の意欲は薄れている。しかし、こんな時期だからこそ遷都なのだ。も

  ちろん候補地は岩手、宮城、福島のいずれかである。

   理由は次の通りである。①東北の復旧には膨大な公共投資がなされるが、これに首都の建

  設投資を兼ねさせるのは一挙両得で合理的だ。膨大な費用を要する首都移転はこの時期を

  逃して財政的に二度と行えないのではないか。②復旧される東北は災害に対して最大・最強

  の防御機能を持つべきだが、それは首都の要求される機能と同様である。③東北の復旧に

  要する膨大な費用は、東京にある首都機能資産を売却することによってかなり捻出できるは

  ずだ。少なくとも被害地の補償費用(土地買い上げ費用)は東京中枢三区の資産を売り払っ

  て支払い可能であろう。④東北の復旧は民需では進まないのではないか、膨大な官需が必

  要だが首都移転は最大の官需となるであろう。⑤おそらく温暖化、ヒートアイランド現象が進

  む日本にとって(当面のエネルギー・電力危機も含め)、高度の政治経済機能の中枢は北の

  寒冷地に移るべき宿命だろう。

   敗戦に次ぐ最大の災厄に見まわれた日本にとって、東は鎮魂の地になるべきである。とす

  れば、首都(日本の中心機能)が移ることは、東北が日本の中心となることであり、古代以来

  従属の地位におかれていた東北の地に対する最大の鎮魂となるはずである。




   悲しみ・怒りの中で人をなじってはいけない

                ――東日本大震災と原子力発電所事故に思う
                                    武 良 竜 彦


   
留守電に津波の響き春浅し    2010年5月号

   列島を引き込むプレート春隣   2011年4月号

   どちらもこの度の大震災前に作り、主宰選考による「小熊座集」に掲載された拙句です。三

  陸沖で近年、大小の地震が続いていることへの潜在的懸念が、こんな俳句を作ってしまった

  原因だと思いますが、現実の地震災害の圧倒的な破壊力に私の言葉は木端微塵に吹き飛

  でしまいました。

   すぐ大学時代からの畏友でもある主宰に電話をかけ続けましたが不通。五日後、無事との

  伝言が入るまで、ただ祈るしかありませんでした。


   泥かぶるたびに角組み光る蘆     高野ムツオ

                                  (読売新聞掲載)

   その後、右の句がエッセーとともに報道されました。被災した耐乏生活の中で新聞の求めに

  応じて、こんな俳句を詠む畏友の胆力に敬服し、しばらく休刊に追い込まれると予想していた

  「小熊座」の四月号が送られてきたときには、主宰と編集の方たちの、俳句という言葉と共に

  生きる不屈の精神を見る思いがしました。

   東日本、特に東北三県はこれから長く厳しい復興へと向かうことになります。それは、東京

  中心主義のこの国の誤った政策によって、多くの苦難を背負わされた、歴史的位置からの脱

  却を図る新たな政治と文化の創造の道となるでしょう。それは中央政府に任せられることでは

  なく、東北の人たち自身の手に委ねられなければなりません。敗戦時、米の生産地だった台

  湾と朝鮮を失うと、非都市部の地方は、政策的に米の生産供給地にされ、戦後の工業成長

  期には低賃金の労働力確保の対象とされ、その後は危険な原子力発電所を含む電力供給

  基地にされてきました。そんな歴史と決別する地方自治と文化の興隆を願ってやみません。

   そして、少数の人たちが危惧していた原子力発電所の事故が、とうとう現実のものになって

  しまいました。


   簡単に原発建設の歴史を振り返ってみます。

   敗戦時、ヒロシマ・ナガサキに落とされた原子爆弾に被爆し、大量の放射線に被爆した方た

  ちの悲願の「原爆反対の思想」の延長上に、原子力発電所建設反対の声があがりました。し

  かしそれは「原子力の平和利用」という名の下に無視されました。その後、原子力発電所が

  建設されてゆく過程で、各地に上がった建設反対の声は、「電力の安定供給には原子力発電

  以外ない」という根拠が曖昧な宣伝によって封じられました。最近は、地球温暖化問題を背景

  に「二酸化炭素を出さないクリーンエネルギー」という世界先進国がこぞって行っているキャン

  ペーンに後押しされたかのように、そのプラントを外国に輸出しようとしています。このように、

  原子力発電所建設の歴史は批判意見の強権的な封じ込めの歴史だったとも言えるでしょう。


   二十年ほど前、遅いデビューでまだ駆け出しの童話作家だった私は、原子力発電所建設を

  巡る対立がもたらす人々の精神的な荒廃の中で、それでも人の心の絆を信じて、ひた向きに

  生きようとする少年少女たちを描いた「やくそく」という題の近未来SF童話を書いたことがあり

  ます。《賛成多数で原発建設が始まった町。父が原発の危うさを解説した本を書いていたた

  めに、主人公の少年の家族は嫌がらせを受け、少年は学校で孤立します。そして追われるよ

  うにしてその町から転居した五年後、地震と津波と地盤沈下で、原発事故が発生。放射性物

  質が瞬時に大気に飛散し、半径百キロ圏が被爆。「住民の安全は守る」とした公的「約束」は

  守られず封鎖地域に取り残された被爆住民は見殺しにされます。かつて孤立した少年をか

  ばってくれた少女と「何かあったら助け合おう」と「やくそく」をしていた少年は、封鎖を突破して

  少女を探し出しますが、被爆した二人は治療の方法もなく、病院の別棟に隔離されたまま、だ

  れにも会えないまま死んでしまいます》……そんなあらすじでした。

   雑誌からの原稿依頼があって書いた童話でしたが、理由の説明もなく掲載を断られ、まった

  く別の童話を書かされることになってしまいました。原発建設推進を国是とする風潮の時代で

  したから、編集者は単純な原発批判や告発物語と見做し、そのときの気分で、この物語の主

  題を誤読したのでしょう。現実に事故が起こった今だったら、もっとただの原発批判物語に誤

  解されるかもしれません。

   しかし、そんなことは文学の役目ではありません。私が描きたかったのは、人命と人権を軽

  視する政治経済風潮の中で、無意味な対立で疲弊する人々の精神的危機の中で、それでも

  人の心の絆を信じて、ひた向きに生きようとする少年少女たちの姿であり、その希望の芽す

  ら踏みにじられることになる、より深刻な精神の荒廃を描き出したかっただけだったのですが

  ……。

   さて、今回の原発事故に至る過程は、かつて日本が現実の状況把握もせずに、戦争への

  道に突き進み、膨大な被害と悲劇を招いた経緯と酷似しています。冷静で客観的な検証なし

  で、また社会的合意もないまま、強権的に決定・推進され、批判の声を上げる人は孤立し、大

  半は関心がないまま実行されてしまうこと。


   また戦後の公害や企業犯罪での偽証工作、事故隠しとも共通しています。無関心故に批判

  者を孤立させたことを忘れ、後になって「正義」を振りかざし、生贄を探して気が済むまで袋叩

  きにする。今、そんな著しく品性を欠く論調が社会に溢れています。

   言葉をそんなふうに使ってはいけない。悲しみや怒りの中で人をなじってはいけない。そん

  な言葉に、人を内側から突き動かし、明日を切り拓く力はありません。悲劇を繰り返さないた

  めにも、無関心と後出しジャンケン的言動、集団精神の幼稚さに対する猛反省こそが、今最

  も必要ではないかと自戒を含めて思います。

   今もし私が、同じ題材で「やくそく」という童話を書くのなら、ラストで「光太くんと詩織ちゃん

  (童話の主人公たちの名前)」を、死なせてはいけない。二人をこの荒れ果てた言語の荒野の

  ど真ん中に立たせ、明日に向かって行為する言葉となって、一歩を踏み出す結びにしなけれ

  ばならないと思っています。最後に、被災された皆さんのご健康と安全が守られることを、切

  に願っています。

                                               (web 武良竜彦HP公開の同名随想の要約文です)




         時は流れる        野 田 青玲子


   大地震、大津波、原発事故と、誰もが想像もしなかった大惨事に遭われた方々に対し、心

  からお見舞いを申し上げますとともに、亡くなられた方々のご冥福を謹んでお祈り申し上げま

  す。

   テレビに映し出される人々の嘆き、絶望、町や村のあらゆるものを一瞬のうちにのみ込む

  大津波。現実のことと思えない映像は、あまりに衝撃的で言葉を失いました。地震と津波は自

  然災害ですが、原発のトラブルは人災の要素もあり、心からの憤りを感じています。

   そして私がかつて二年間の転勤生活を送った石巻市も大きな被害を受けました。あのころ

  の苦楽を共にした石巻郵便局の職員の皆さん、同局のお客様各位、地元俳人の方々、ライ

  オンズクラブや各新聞社の皆さん等多くの出合いがありましたが、皆様にはほんとうに優しく

  接して頂き、大変お世話になりました。

   このようにお世話になった方々が被害に遭われたかと思うと、胸がいっぱいになり、言葉も

  ありません。

   顔を見なくても石巻の皆さんが頑張っていると思いますので、あえて頑張れとは言いません

  が、長期戦を乗り切れるように、急がずに休まずに「必ず何とかなるぞ」と信じてください。

   時ものを解決するや春を待つ       高浜 虚子

  という句があります。苦しいことが続くと、「いつまで続くのだろう」と、誰しも嘆息が出るもので

  す。しかしこんな時、虚子のこの句を誦してみると、気分が急に変わってきます。

   いくら苦しいことがあっても、あわてたりあせることはありません。それはほんの一瞬で、や

  がては楽になってきます。「冬来りなば春遠からじ」 「始めあれば終わりあり」等と言いますが  
  その通りです。峠を越しさえすればすぐであり、ほんの少しの我慢、辛抱です。また梅雨のこ

  ろには、毎日毎日雨が降り続きますが、降り始めた雨で降り止まぬことは絶対にありません。

  世の中は動き流れていて、決してとどまることはありません。変わらない事態なんて、この世

  の中にはありません。ちょっと深く物を考えてみると、気分が打開してくるものです。何事も絶

  望的に受け取りすぎぬことです。

   どうかそのように考えて、気を強く持ち、この苦しい局面に向かってほしいと思います。

   たしかに今はどん底で、未来はもちろん、一週間先のことさえ考えられない毎日だと思いま

  すが、その日一日を無事健康に過ごされ、苦しい状況を乗り越えさえすれば、戦後の復興の

  ように明るい未来は必ずやって来ます。

   皆さんが必ずや笑顔を取りもどし、東北人特有の粘りで、愛する石巻を復興されることを信

  じてやみません。




         
土手哉        馬 場 民 代



   東北震災後、思い掛けなくも岡山出身の文筆家である内田百閒が著書の、次のフレーズに

  出会った。

   私の舊作『冥土』にはあちらこちらに土手が出て来る。土手は淋しく悲しい。―中略―土手

  のある自然の下に育ち、土手に思ひ出があり馴染みがあるが、―中略―知らない所へ行っ

  ても、土手に出會うと何となく自分の過去につながる様な感懐に囚われる。 ……『土手』

   「土手は淋しく悲しい」という、些か不思議な、が、非常に興味深い措辞に私は瞠目し、彼の

  作品を読んでみた。

   百閒の実家は、岡山市中を貫流する大川(今の旭川)の長い堤に程近い酒造屋だった。晩

  年の作である『土手』には、少年時代の回想が綴られている。沖合に停泊中の戦艦見学に行

  った時、川から乗船した高瀬舟が海に出て流され、危うく遭難しそうになったこと。また、その

  昔、岡山藩の新田開発のための、海を相手の干拓は困難を極め、数多の土手が築かれて

  は崩壊したという伝説など。人の命と深く関わった故郷が、土手の光景は終生、彼の脳裏に

  刻印されることとなったようである。

   ところで、この随想の中には、彼が学業を終えた夏に友の招きで仙台へ旅をし、石巻にも足

  を延ばした件りがある。ここでも小牛田から石巻までの車窓から見えた、延々続く北上川の土

  手について具さに述べている。

   三十五反の帆を巻き上げて、外海から溯って來る大船を迎え入れる北上川の土手―中略

  ―その土手は續いて、續いて、いくら行っても切れ目がない。―中略―土手の向こうの空に、

  大きな帆柱が立っているのが見えた。   ……『土手』

   自然豊かな北国の、雄々しくも跌蕩たる景色が印象的だ。因みにこの仙台往訪は大正三年

  それより溯ること十八年の明治二十九年には三陸沖で大津波が発生している。以後も近辺

  に震災多発。しかし文中には、もはや災禍の痕跡など記されてはいない。あれから凡そ百年

  近代化即ち幸福を信じて、日本中が拡大し積み上げて直走って来た。

   が、三月の衝撃、最も近隣と思い込んでいた自然は、決して人間世界に迎合も追随するも

  のでもなかった。双方の間には超えようにも超えられぬ壁が立ちはだかっているのだろうか。

  百閒が抱き続けたものも、こんな、両者の根源的な異質、異種への寂寥と悲哀、それではな

  かったかと。

   嘗ての大戦時代、俳人はそれを強いモチベーションにし、後世に秀句を残した。表現という

  側面から鑑みれば、皮肉にも大震災という、非日常のモチーフから生まれて来る俳句への期

  待は小さくないだろう。それはまた、殊に悲嘆の今節のような場合、俳句が書き手の心の杖

  たり得るか否かということと微妙に繋がる気がする。とまれ、何かを書かねばと言う気持ち―

  既に杖を突いているのだろうか。





 
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