小 熊 座 佐藤鬼房  その生涯と俳句の世界
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        佐藤鬼房  その生涯と俳句の世界
                

                  

          高野ムツオ                    鬼房の色紙

  




   鬼房が求めたもの   高野ムツオ(鬼房展パンフレットより転載)


  鬼房先生から一枚のはがきが届いたのは昭和51年の冬のことであった。「海程」に私が
 したためた句集『地楡(ちゆ)』評への返礼だったが、その終わりに「一度遊びに来るように」

 とある。かねがね是非、と思ってはいたが、ためらいもあって実際に訪ねたのは数年後の
 春先の頃である。着いたのは夕方、辞したのは、まだ星が出ていた午前四時頃であった。
 俳句の話に尽きることなかったのである。

  それ以来、またたくまに二十五年以上の歳月が経ってしまった。今、佐藤鬼房にとって俳句
 とは何であったか、と改めて確認するならば、それは「自分はいったい何者であったのか」と

 いう自分への問いかけだったといえよう。鬼房の俳句とは自分自身が何者であるかを捜し求
 める旅そのものであった。

    死ねば善人蟻一匹がつくる影

    幼年に蟻さんさんと朝終る

    濠濠と数万の蝶見つつ斃る

    海があるらしき月下へゆきし蝶

  『名もなき日夜』所収のこれらは、昭和15年から昭和23年までの、徴兵され戦地に赴い
 たときから、復員してまもなくの作である。一読それぞれ別個の興趣を湛えてはいるが、子

 細に読むと「蟻」には「蟻」への、「蝶」には「蝶」への作者のある思いが投影されているのに
 気づく。それは「蟻」が、自分自身を含めた地を這うものすべての象徴であり、「蝶」は不安や

 憧れ、もっと言えば、この世から、この世にあらざる処への導き手として表現されていること
 である。

    初蝶の飛んで夢見る薮の中

    眩しくも蝶の飛びたつ幻夢かな

  これらは、最後の句集『空夢』の句。青春時代の句の蝶がそうであったように、蝶は、ここで
 も異界への誘い手として詠われている。違いがあるとすれば、かつての不安感は払拭され、

 慈しむべき命の形として詠われているところだろう。死の畏怖や生の喜びといった次元を超え
 た、今という時間そのものを一身に享受している魂のありようといったものに満ちている。

   翅を欠き大いなる死へ急ぐ蟻

  『幻夢』の末尾の句。蟻は、死へ向かう作者自身の姿でもあるが、翅を欠くという意識が作者
 自身の断念の悲しみと、しかし、裏返しの、止むことのない俳句希求、つまりは生への執念を伝
 えている。それは〈旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる)と詠った芭蕉の思いに通じるものである。

  こうした地を這う者の、飛翔への願望の源は、作者の原体験にあろう。鬼房は、宮城の塩竃に
 腰を据え、みちのくの歴史や風土に根ざした俳句を作ってきた。だから、一般には、その地を生

 涯愛し、その地にどっしり腰を据えた俳人と思われがちである。それは、間違いではないのだ
 が、もう一つの面がある。本来の住まいを追われた「食みだし者」といった意識である。鬼房の
 父は岩手県の岩泉出身であり、母は同じ岩手の水沢の生まれ。

 その二人が鉱山景気で湧く釜石で結ばれ、鬼房が生まれたのである。そして、三歳の時に恐
 慌や鉱山ストライキのあおりで、鬼房の言葉によれば「塩竈」に流れついた」のだ。

  この流れ者の意識。名もなき者、いつかはどこかへ去って行かなければならぬ流民の思い
 が、鬼房の作品の重要なモチーフとなっているのである。

   よるべなき俺は何者牡丹の木

  これは昭和45年の作。牡丹の接ぎ木でもしたのであろうか。私には、小雨の中に斜めに刺
 さったような牡丹の木が見えてくる。そして、そのかたわらに屈んで、自分の行く手を考えてい
 る鬼房の姿が浮かんでくる。

   コンチクシャウ俺ハナニモノ花ノ闇

  入退院を繰り返し病と戦っていた平成6年の『霜の聲』の句。いつ死が訪れるか知れないぎり
 ぎりの思いで、俳句と向き合っている鬼房の姿が、半ばヒステリックに、自分を叱咤するように
 書き付けられている。いわば「爪掻き」の句である。

   ナミノコにめぐりあひたる死後の景

  ナミノコは潮の干満によって移動する二枚貝だが、その貝に全うということは、死後にあって
 も、鬼房自身が貝同様に波の間を揺れ漂っていると いうことである。死後もまた自分は何者か

 追い求め、その果てに、同胞としてのナミノコと出会うことを夢見ている、その詩の魂のありよう
 がここには言葉となって存在している。

   またの世は旅の花火師命懸

  それは息の詰まる詩想追求の過程ではあるが、俳句を作ることの歓喜にも満ちたものであ
 った。次々に打ち上がる俳句という花火に満面の笑みを湛えているアルカイックな鬼房の顔が、
 ここには見える。

   海嶺はわが栖なり霜の聲
   
   永久(とは)の愛とは何ンなのか溶岩(ラバ)の原

  鬼房が生涯求め続けたもの。それは、求め続けたその終着点にあるものではない。求め続け
 るその過程の中でしか見えてこない言葉の世界であるといっていい。そこは多分掲句のように、

 孤独の、未踏の世界であり、俳句という詩形をこよなく愛するものだけが到達できる世界である。
 そのために鬼房はおのが詩魂を時空を超えて羽ばたかせ、俳句や人を愛することに全エネル
 ギーを費やし続けてきたのである。

   妄想を懐いて明日も春を待つ

  「明日も春を待つ」という、今日の思いにこそ、鬼房の一生と俳句は存在した。それは俳句とい
 うたった十七音のミクロの言葉が「永遠」という詩のマクロの命題へ迫りうることを、その手で証
 明してみせたといっていい。



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