2012年 12月 栃の実 高 野 ムツオ
落鮎の死際を見に最上まで
雨のどこかに蜻蛉蜉蝣蝶の息
屋根へ葉へ幼年時代へ秋の雨
これよりは山刃伐越えと大蚯蚓
置酒歓談なれど災禍へ虫の夜
みちのくの瀬見の出湯の縷紅草
きらりまたきらりと魚影九月尽
釣船草くるりと明日の空へ向き
女郎蜘蛛最上の空を栖とし
栃の実の山が恋しと光り出す
2012年 11月 初 潮 高 野 ムツオ
夢がみな積乱雲でありし頃
蠅もまた蠅の精霊背負い飛ぶ
ケセモイは今も炎暑の南端
水葵水子の声によみがえる
みちのくや蛇口ひねれば天の川
買い占めるならみちのくの夜這星
聞こえねど声を揃えて草の花
百万遍揺れて薄のしろがねに
月明の沖よりあれは死者二万
松島の初潮待てり生き残り
松島のコスモス誰が依代か
五百日過ぎ蘆の穂は炎なす
セシウムもプルトニウムも秋の空
秋日呑み我も山ぞと瓦礫山
更紙より寂しき時代昼の虫
酒も恋も門外不出虫すだく
秋風のここが奈落や縁の下
秋風に乗り裏返る鯉の腹
秋風や大東京とともに老い
2012年 10月 松の夏 高 野 ムツオ
攫われし骨をかざして土用波
笑う声泣く声土用波のたび
土用芽のはにかみ夕日浴びている
放射能浴びねば獲られ藻掻く蛸
黒い雨 黒い浪 次は何
幼霊も跳ね戻るべし夕立来
ビル間に夕虹どんな明日が来る
夜の万緑その一葉として眠る
羊水に浮かびいし頃梅雨夕焼
雷は堰を切ったる夜見の声
底紅の底少年には見えぬ
西瓜の皮一山子規が来たりしか
炎昼や寝間も仏間もすべて跡
ペルセウス座流星群に受胎せよ
極東は人も海月も吹き溜まり
蟻にのみ王国残り波の音
翅あれば翅ある不便夏の暮
息絶えし後の大角兜虫
セシウムや菠薐草の根が真っ赤
眠るもむき出しの牙大雷雨
立つほかはなき命終の松の夏
2012年 9月 捩 花 高 野 ムツオ
草木国土悉皆成仏できず夏
原子炉も人も翼下に夏の鳶
みなもとは空の涯なり青蘆原
今日を生く青蘆原の蟹として
青蘆の一本がよし死の間際
青蘆戦ぐ怨霊もみな憑れ
音もなくセシウムの降る緑夜かな
スカイツリー立たせるならば五月闇
疼くまで捩れて可憐捩り花
捩花の傾ぐ力や陸奥乙女
存えん姫皮を剝き毛を毟り
喪いし刻を見つめて梅雨に入る
梅雨雀胸を反らせば見えるもの
闇動くまた蛍火を吸い込んで
口中に蛍火を飼う齢かな
郡上・関六句
星雲も郡上踊も渦をなし
老若男女みな一葉となり踊る
一本の血管として梅雨の川
飛込めと梅雨の濁流誕生日
舌に喉に刺さりてうまし鮎の骨
鵜の濡羽鵜の悲しみと見て飽かず
2012年 8月 笑 顔 高 野 ムツオ
声もなく集まり永久に花を待つ
さみどりの奥は何色桜の芽
万雷を仰ぎ死ぬまで我は餓鬼
朝空は叩けば響き花三分
初桜地球いつまで青き星
初桜無精髭にも触れて来る
地球可惜可惜としだれ桜かな
めつむりて見える花あり陸奥の国
六道のみな出でて来よ花の夜
眠りたる子豚の闇と花の闇
千本桜千本の鬱噴き上げて
はなびらは花の骨片海へ散る
花もまた阿鼻叫喚す吹雪くとき
花吹雪この世の淵を見せながら
手を上げて桜はまだと水戸勇喜
名も知れぬ春の小鳥として鳴けり
夏潮は口寄せられて遙かより
禱りなり葉桜の音潮の音
底知れぬ闇を蔵して薔薇の園
夏の潮豊玉姫の帯となり
溶岩のごとき笑顔も五月かな
2012年 7月 石鹸玉 高 野 ムツオ
この星の腸として春の海
春光の届かぬ国のあり春光
石鹸玉また現れて来て飛べる
地球より丸く輝き石鹸玉
初蝶やこの世は常に生まれたて
被曝して青を深めて春御空
鳥雲に入る海境に光満ち
みちのくの陽炎骨も肉もあり
それぞれに深山幽谷春の夜
地の底のそのまた底も朧の夜
この国にあり原子炉と雛人形
行く春の何も映さぬ水溜り
霾にまた埋れる日まで化石の木
血管を破り噴き出し蘆の角
はこべらの夜見を溢れて無尽蔵
蝦夷蒲公英ここも津波が這いたると
汐の木の祈り朧を曳きながら
我が顔が子猫の身の毛立て初め
海の音ばかりなれども子供の日
2012年 6月 朝日子 高 野 ムツオ
ポケットに拳頭上にオリオン座
地下鉄も土龍も春を待つ仲間
鏤骨せし一事のあり梅真白
梅一輪一輪ずつの放射能
斑雪野の胸が疼きて夕映えぬ
ドロップ缶の中のドロップ春の夜
襤褸糞になって眠るや春の星
東京にも地下水脈がありて春
髪の毛を逆立てて来よ春怒濤
人間を見ている原子炉春の闇
春日一翼地獄の門は何処にも
朝日子が集う二月の向う岸
幼霊が浮かべし春の氷かな
靴を鳴らして魂帰れ春野道
夜見帰りして含羞めり春の星
沫雪の一片ごとに燈を掲げ
蘆の芽の未だ生マ成リほどなれど
山霊の肋を削り雪解水
雪解水あるはずだった未来より
手を繋ぎ声かけ合って雪解水
雪解川海に入りてもまだ半ば
2012年 5月 累 卵 高 野 ムツオ
寒雀朝日を生まれ故郷とし
おのずから光塵となり寒雀
幼霊を背負いたるあり寒雀
飛ぶときはいずれも炎寒雀
祈りとは雪に雀の百羽かな
大寒の鳶の眼の底力
寒の鳶廻れ円光生れるまで
一個一個一個の重み寒卵
蝋燭の炎と大寒の杉の穂と
寒月光肋に弾き不老不死
被曝の田寒月光に軋み出す
雪降れり赤子の耳を天華とし
放射能ありて雪の田きらめけり
雪の畑この世に隅がありとせば
被曝して吹雪きてここは福の島
卵嚢の中の累卵雪しまき
虎落笛隠れるごとく母寝まり
風花は声なり声は聞こえねど
この世とはすでに残影風花す
身の毛まで津波の記憶冬深し
嘴に泥垂らし白鳥羞じらいぬ
2012年 4月 三月へ 高 野 ムツオ
裸木のはや明星を胸の辺に
父の忌のもう二度と来ぬ冬雀
かいつむり何を見て来し眼の光
億の星その一つにて凍裂す
今はなき家々の上冬の星
巻石に雪の風巻くは祈りなり
沫雪の降霊のまたにぎやかに
東風を待つ袖の渡りの媼たち
風に伏せ日に起き我も三月へ
2012年 3月 根 元 高 野 ムツオ
根元のみ残りしものへ冬の月
怖るべきもの裸木に何もなし
霜柱その渾身の崩れ方
無伴奏組曲冬の神田川
冬空へ我も巌と亀の首
王冠は錻力に限る霜日和
荒星が喉に閊えし噎びよう
鳰潜りしのちの光の重畳と
雁の飛ぶとは炎立つること
冬晴や魚虫草木みな無名
鬼房の夢見ずなりき冬桜
冬桜嗚咽を洩らすためひらく
魔鬼山は魔鬼女の乳房雪を被て
生れる尾死ぬる尾明日は雪風巻
死してなお雪を吸い込む鰯の眼
村一つ消すは易しと雪降れり
幼霊の声も依るべし寒燈火
今は今のみ大寒の鷗の眼
凍星や孤立無援にして無数
臘梅にぐずらもずらと己が影
月上るえんずのわりの声がして
2012年 2月 初日影 高 野 ムツオ
みちのくの今年の冷えは足裏より
冬日濃し奥の前方後円墳
冬の日を扇状にして胆沢あり
鳶の声冬青空を鼓膜とし
冬蒲公英溶岩流を根城とし
木魂が集う冬の黒石小学校
冬山が人の声出す奥秩父
残りし崖崩れし崖も翁の忌
冬青空五・七・五と近づき来
釜蓋を噴き出す力白鳥来
綿虫の近づけばみな炎かな
青空にどん底ありて冬の蠅
地球寂し銀杏落葉を歩くとき
冬の月何はなくとも明日は明日
透明の筋骨を熨し冬の富士
闇に闇襲ねて闇や実千両
初日影死者より伸びて来し翅か
瓦礫すら消えたる街の初明り
破魔矢射よ永遠に途絶えし未来へと
みちのくの我こそは大馬尾藻
松過の空ありペットボトルにも
2012年 1月 波 動 高 野 ムツオ
慟哭は空をもあふれ日照草
大樽に眠る梅干星月夜
瑠璃蜥蜴その瑠璃色が寝入るとき
東京の空枯蓮の上にのみ
千駄木の空が枯葉に満ちし頃
草の実の一粒として陸奥にあり
逆光にうねり死者呼ぶ蘆の花
かりがねの空を支える首力
冬波の五体投地のきりもなし
煮えたぎる鮟鱇鍋ぞ此の世とは
駅頭よりずしりみしりと山の冷え
山影の中のわが影冬に入る
大津波語れば霧が十重二十重
滅びたるのちも狼ひた走る
走りて生きよ炎を育て猪を喰い
膝そろえ我も魑魅や茸飯
冬日を這う毛虫も居るぞ奥秩父
蒟蒻玉は土中の光奥秩父
一枚の落葉を死者の書とすべし
齢来て月光骨の髄にまで
冬に入る我もこの世の一波動
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