句集「雲雀の血」
高野 ムツオ
      


   
高野ムツオ





 
『雲雀の血』抄   高野 ムツオ



陸奥暁闇まるで鶏の内臓

野に拾う昔雲雀でありし石

合歓の花死後に瞼が開くように

女体より出でて真葛原に立つ

艮に棲めば眼窩に光苔

瓶中の蝮の夢や天の川

愛咬のまま陸前の月夜茸

海鼠には銀河の亡ぶ音聞こゆ

奥歯あり喉あり冬の陸奥の闇

天地はもともと一つ蠣料理

煮擬やかすかに虹の消える音

仏陀来る日まで銀杏の木の裸

青空の暗きところが雲雀の血

豆腐また手足欲しがる春の暮

みしみしとみしみしと夜の万緑

祖母の陰百年経てば百日紅

雪の木の百本胞衣を脱ぐ音す

白鳥二羽骨打ち合えば炎なり

押しくら饅頭これは湖底の水子たち

人間がいなくなるまで行々子





混沌とした状況の中で 

 ―同時代性のメッセージ―    森田 緑郎

 高野はいま新しい表現を求めて、混沌とした状況の中で苦
戦を強いられているように思えてならない。

 自らの「あとがき」にも、―視野の限りは末だ混沌たる闇
でしかないが、泥沼には泥沼の花や光もあるとまずは開き直
って、私なりの意思と感性を研ぎ澄ませ、新たな句作りへ、

また一歩泥足を踏み出すことにする。―と、やや自戒の念を込
めて、新たな決意を書きとめている。

 『鳥柱』に続く、第三句集『雲雀の血』は、平成五年から
八年半ばまでの比較的短い期間のものであるが、句集として、
置かれた位相はいろいろな意味で複雑であるとみる。

 俗に短詩型の場合は、まず青春と相性がよく、その後は円
熟期を迎えた晩年の人生詠に素晴しいものがあるという。

ところがその間がビョーンと延びてしまって、青春は終わった
けれどまだ晩年には早すぎるといったぜいたくな悩みを聞く。

個人差はあるにせよ、間遠な生死感を踏まえた、なし崩しの
生の中で、どのように集中し、どのように表現したらよいの
か。難しさがある。単なる言葉の習熟さだけでは、インパク
トある詩情は表出し難い。

 高野が開く多彩な表現の中に、走り過ぎる言葉の浮力を感
じ、一抹の不安を覚えるのはそのためか。例えば、

 頬杖に逆白波の緑繚乱と

 蛇口よりあふれ出しる良夜かな

 死にし蝶集まり冬の沼となる

などの―線の部分にその傾向が読みとれ、様式化された書き
とめ方を感じてしまう。何かもの足りなさがある。言葉の集
中力か。

 更に次のことも想定できよう。ここ四、五年のめざましい
活躍ぶりで、高野は新しい前衛の一線に押し出されてしまっ
たことだ。少し前までは中衛の先頭に位置して満を持してい

た。宮城という風土や棲処もまた、首都圏から程よい距離に
あって幸いもしていたようだ。それだけに新しい前衛の動き

やそれへの意識化は時間差をもって対応でき、身体や風土を
通すいとまがあって、作品に表現としての拡がりや伸びを顕
著に感じもした。

 例えば前句集『烏柱』で挙げれば

  天牛や山河裂けゆく音止まず

  青葉より心臓の音羽後に入る

  大寒の鱗や我もわが妻も

などだが、身体・風土そして言葉との交響感が言葉の浸透力
を高め、一句としての活力と大きさを与えている。

 だが今回の句集ではそのいとまがないくらい、やみくもに
書き抜いている印象を受ける。言葉の仕掛けが早いのである。
そしてこのことがまた、言葉の調子のよさと反対に、韻律の
単調さを引出す結果を招いてはいまいか。

  春の日の沈む音する理髪店

  水子の手結んでひらく春の闇

などにはその思いが強い。高野はこの調子のよい韻律を強い
て活用しているようにみえる。時代性なのか。新意匠のスタ
イルと呼んでもよいかもしれない。

 しかし一方で、言葉の先行する時代では、対象を絞らない
限り虚実の判別もままならず、まして実像に対する言葉の擦
れ違いも目につく。その中で言葉のリアリティをどう確保し

て行くのか。新意匠の行手に困難さはましているといえよう
 ところで、第三句集の大きな特徴は、表現主義的な傾向を
意識した多彩なレトリックの展開にあるとみる。

 その一つは、時間のスライド性を生かして今を覚醒させる
ような、移行感覚の手法である。卑近なモード風の感覚でい
えば、「現在から隔たった、遠いかすかな記憶」、残像のイメ

ージを、或は「予感」の近未来感を現在のはざまに呼び出し
て、「時間の多様な位相をシャッフル(混在)し、めくり直す
感覚」に似ている。

 俳句とモードでは質的に異なることはいうまでもないが、
ポストモダン的な文化状況がいまだ消えていないとするなら
ば、通底するものはあろう。技法のヒントにはなる。例えば、
かすかな記憶や残像のイメージでいえば、

  海底の戦艦を発つ黒揚羽

  まだ生きており雪国の箱男

  血の声は春の日暮れの文庫本

  象牙海岸奴隷海岸冬の雨

  気罐車を呼び寄せている黄水仙

などいろいろな記憶の位相が見える。

一句目で補足すれば、
思いの中に沈んでいた過去の遺物(軍艦)を一気に現在へス
ライドさせて今を呼びきます。黒場羽はそれ故に生ま生まし
く翔び立つ。招魂の句か。一方、予感のイメージとしては、

  日本沈没椿の精が歩き出す

  海鼠には銀河の亡ぶ音聞こゆ

  少年は歩き出したる冬木なり

  煮凝やかすかに虹の消える音

など近未来に向けての暗愁が漂う。

 ここは四句日で確認してみると、この一句では、「音」の一
語に予感を凝縮したことで、消えゆく虹の、かすかな情景は
いっそう寂蓼感を加え、その風景は拡がり深まる。煮凝はそ

の深さの中で終末的な予感を確かにする。但し近未来感もこ
こまで到れば、一句の世界は実存的なイメージを引き出して
いよう。

 二つめは、言葉による異化の世界だろう。

  みちのくの吾に尾が生え春の霜

  人頭に鳥身みどりの夜を歩き

  族集えり一人は赤き眼の大蛾

  百鬼夜行蘇生のための豆の花

  寒靄に家々鰓を使い出す

 小葭切泥の目玉に泥の声

などは言葉のあり方としてはどう捉えたらよいのであろうか。
日常見慣れた感じのものからいえば、これらの句の景は異様
であり、奇妙である。技法からいえば、喩的な領域に入るか
も知れない。

 しかし一句目の「みちのくの吾に尾が生え」と書きとめた
奇妙感に、東北の実体感があるとするならば、その捉え方は
真を得ているといってよいだろう。或は六句日の「小葭切」
に対して、異様とも思える目玉や声を泥土に見出して、生き

物としての実感を泥土に与えていると感じとるならば、ここ
にもまたことばとしての確かさを見ることができよう。要す
るにこれらの異様で奇妙なことばのあり方を、言葉が異化す
ると呼びたい。東北風土の分身か。

 三つめは集中に多く見られる、喩的な言葉の突出であろう。
挙げればきりがないが、写実路線の飽和状態が喩的な表現を
加速させているに違いない。

  陸奥暁闇まるで鶏の内臓

  みちのくに星の缶詰工場あり

  父の朝顔媚薬のごとく咲き出しぬ

  もともとはトマトケチャップ寒の闇

  恋人は有袋類や夏の雨

  くれよんの棒線であり眠る雉子

  虫の夜は一枚の絹である

など詩的感度が高く、比喩によって呼び起こされたイメージ
には鮮度がある。殊に高野の場合、比喩によって切り開かれ
たイメージが、一句の中で突出し切り口の鮮やかさを際立た

せるよりも、むしろそれだけで終らない回帰・転生のかたち
に見える。恐らく、生の一回性というよりは、陸奥風土にく
ぐまリながらも、執拗に追い続ける再生の光、それが喩のあ
り方に豊かさとふくらみをもたらしている。

 以上、恵まれた才筆が彩どる華麗で多彩な表現の展開を垣
間見てきたが、要は作品としては、内実性を伴った、力感あ
る定型で立てるかといった問題だろう。

 時代は、『脳化』現象が進む中で、アイデンティティーも解
体に向っている。かつて金子兜太が、戦後という同時代性の
表現を求めた時のような、激動期という時代性や、『第二芸術

論』を見据えた俳句史的な表現のあり方、そして戦争体験を
ふまえた己の生き方など、そこには三つの大きくからみ合う
必然的な関係があった。だがそのようなダイナミックなかか
わりあいはとうにない。

 ことば・表現は頼るほかはないのであろうか。そうとは思
わない『雲雀の血』から挙げれば、次のような作品に可能性
をみる。

  艮に棲めば眼窩に光苔

 みしみしとみしみしと夜の万緑

 土蜘妹の胎内にある春の星

 海鼠には銀河の亡ぶ音聞こゆ

 奥歯あり喉あり冬の陸奥の間

 雪の夜の短波放送より羽音

など、大方の作品は存在の色濃いもので、なめらかな韻律も
働いてほどよい内実の形になっている。その中で、第一旬日
は抜群。特に言葉一語、一語への拘り方や思い入れに用意周

到さが見えてゆるぎない。「艮(うしとら)」は北東の方角にちなんだ東
北の別名、「眼窩」もまた即身成仏のミイラの面影か。二光苔」
も黄金、陸奥のイメージか。いずれも東北を象徴するこれら

の言葉によって重厚な風景を構成している。言葉の切れもよ
く、力強い定型の立ち方をしている。また一句の味は「眼窟」
に象徴される暗愁のいろが濃い。しかし「光苔」と溶け合う

ことで再生の光りを呼びこむのでないか。そしてその奥にあ
るまなざしには、流れゆく時間をしっかり受けとめ、意識す
る姿勢が感じられもする。同時代のメッセージは、この視点
から発信されて行くものと思われる。

 最後になったが、今回の句集では華麗で多彩な表現に眩惑
されたことをつけ加えておきたい。



 

   
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