小 熊 座 2007/7月 俳句時評
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  記号論と意味論       大 場 鬼奴多


 記号を対象とする理論、学問には二つの大きな流れが
あって、一つはソシュールに始まるフランス系の流れであ
り、もう一つはパース、モリス、カルナソプらによって発

展した英米系の流れということになる。前者は「記号学」、
後者は「記号論」と呼ばれることが多い。特に厳密さと明
晰さにおいて、後者は優れた点を有しているという。その
「記号論」の基本的な枠組みとは次のようである。

 まず、記号現象が成立する過程を見てみると、それには
相対的に区別される三つの要素がある。記号、記号の意味、
あるいは指示対象、記号の使用者あるいは解釈者。さらに

記号過程においては、記号やそれと指示対象との関係を定
める、規則の体系あるいはコードとしての記号体系が考慮
されなければならない。

 パースの分類によれば、@記号体系が自然的因果関係(自
然法則)である場合。たとえば、「黒い雲は雨の予兆である
と言われる」。ここでは前者が後者の記号となっている。こ

の場合、記号体系としての自然法則は、まさに自然によっ
てきまっているもので、これを『指標記号』と呼ぶ。A記
号体系が記号と指示対象との間の色や空間的配置などの類

似関係である場合を『類似記号』といって、絵画、写真、
地図などがあげられ、必ずしも自然法則のように一義的に
決まるわけではない。Bは象徴記号。これは記号体系が言

語や交通信号などの規範的関係である場合。このことは悉
意的関係ともいわれ、記号と指示対象との間に何の制約も
ない。実際、交通信号においては通常「青は進め、赤は止
まれ」であるが、これが逆であっても一向に構わない。

 さて、記号の代表的なものが言語である。言語は自然言
語と人口言語に分けられる。前者には日本語、英語、中国
語などの様々な民族の言語があり、後者には数学の言葉、

音楽の言葉(楽譜)、計算機の言葉などがある。ここには、
まず自然発生的に生まれた言語表現があり、文法が後から
される部分と、ある目的に従って意識的に作られ、文法が

与えられてはじめてその言語において許された表現が決定
されるという違いがある。

 言語は記号論の重要な対象であるが、記号論を述べるの
も実は言語である。つまりは、言語は説明されるものであ
ると同時に、説明に用いられるものでもあるのである。こ
れらの言語の区別は非常に大切であって、説明される言語

は言語外の何かについて語っている。この言語外の何かを
「対象」といい、それについて語る言語を「対象言語」と
いう。また、説明する言語は言語について語る言語であり
「メタ言語」といわれる。

  a 「小熊座」は漢字である
  b 小熊座は東北にある

 aは記号について言及しているが、bは歴史的(時間的)、
空間的な言語外的存在者としての結社について言及してい
る。aでは引用符が用いられているが、bはそうではない。

また、abともに真であるが、主語を入れかえた次の文は
ともに偽となってしまう。

  C 小熊座は漢字である
  d 「小熊座」は東北にある

 通常、意味をもつとされる言語記号には、固有名、述語、文
の三つがある。ただし、これらの意味にも二種類のものが
考えられる。先にあげたカルナップに従えば、それらは

「外延」、「内包」といわれ、まず「ニュートン」や「地球」
などの固有名は、具体的な個別的存在者、個体を意味して
いる。このような個体を個体記号の「外延」という。しか
し、可能的存在者を含む個体記号の意味は、必ずしも外延

とは考えられない。「一寸法師」は現実の世界では意味する
個体を有していない。「明けの明星」も「宵の明星」も同一
の個体を指示していて、同じ外延を有している。しかし、

直観的にいってそれらが同じ(意味)をもっているとはい
えない。この場合の(意味)とされるのが、固有名の「内
包」である。一般的に、ある表現の内包は、論理的に偶然

的ではなく決定される。一方、外延は内包を通して決めら
れるが、その決定にはさらに偶然的な事実に関する情報が
必要とされる。つまり、「明けの明星」の内包は(明け方の

東の空に明るく輝く星である)という条件である。そして、
たまたまその条件を満たすものが金星、「明けの明星」の外
延であるということになる。

 哲学や論理学では単なる偶然的な正しさではなく、論理
的な正しさが問題とされる。ある文が論理的に正しいとき、
その文は論理学では「恒真」といわれるのだそうだ。その

直観的な定義は、我々は現実の世界だけでなく、様々な可
能な世界を考えることができる。たとえば、「ソクラテスが
哲学者でなかった」世界。たとえば「クレオパトラの鼻が

高くなかった」世界を考えることができるのである。「明け
の明星」も「宵の明星」も現実の世界においては同じ外延、
すなわち金星を指示するが、他の可能世界においては、それ
らは別の惑星を指示するかもしれない。

 意味の問題は古くて新しいものである。プラトンがイデ
アというものを考えたのも、まさに述語の意味を明らかに
するためであったと考えることもできる。現代の意味論も
ある点では、プラトンの時代と大して変わらないのかもし
れない。

 指示記号や象徴記号を含めた、より広い観点から俳句作
品を考察するならば、芸術記号論においてより豊かな成果
が得られるのではないかと思われる。






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