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2008年4月 小熊座の好句 高野ムツオ
翅持ちて躓く冬のペリカンよ 増田 陽一
句集名『雲雀の血』『鳥柱』でもわかるように、私は鳥類が好きである。
小中学生の頃は、十姉妹や文鳥を飼育した。
なぜ、鳥が好きか、理由など定かであるはずはないが、誰もが思うように、
まず空を自由に飛べることへの羨望があったろう。しかし、年を重ねるにつ
れて、その翼へのあこがれに加え、手がない生き物の、その生きようへの
関心が強まっていった。それは、憐れみというのとはちょっと違う。もちろん
根底には、その思いも混じってはいようが、しかし、もともと手がない鳥に、
手がないことの悲しみなどあろうはずはない。それは、人間の過剰な思い
入れというもの。しかし、たとえば、動作ひとつとっても、何か神秘的な感覚
に襲われることがよくある。たとえば、手がないことが生み出す、啄む、羽繕
うなどの動作。または、羽を広げ舞い降りるなどという、ほ乳類には真似の
出来ないようなふるまいを目にするとき、我々人間には知ることができない
何かを、鳥は知っているのではないか、世界認識の方法を身につけている
のではないかと思うのだ。渡り鳥が、超能力ともいえる方向感知力をもって
何万里も旅することを念頭にすれば、私の想像は妄想と片付けることはで
きないだろう。
よけいなことを書き連ねたが、これもまた掲句から思い及んだこと。おそら
く動物園あたりでのワンショット。巨大な嘴と翼を持ったペリカンの生き様そ
のものがとらえられている。
寒鴉真金の嘴をかち合はす 越高飛騨男
ポオの詩の「大鴉」は死の不吉と絶望を告げに来た鴉だが、この鴉はまっ
たく逆で、実に生命力旺盛。ものみな凍る大地を梢から見下ろしながら、大き
く口を開け、嘴をかみ合わす。その音が実際に聞こえるはずなどないが、この
句からは、確かに重い固い音がしてくるから不思議だ。「真金」は読みが二つ。
一般には 「くろがね」と同じく鉄。雪野が一面に広がっていると解せば、こちら
が安当だが、「純金」との意味もある。そう読めば、今昇ったばかりの「朝日」が
見えてきて、こちらの読みも捨てがたい。太陽の使い「ヤタガラス」のイメージ。
拍手を打ち梟の国に入る 土見敬志郎
こちらの梟は、いうまでもなくアイヌの守護神「コタンコロカムイ」。みちのくもか
つてはアイヌの国。アイヌ語源の地名は、私が住む宮城にもたくさん残ってい
る。当然、梟を神と敬う信仰もあったはずである。もっとも、この句の鑑賞にも、
その予備知識は不要。みちのくが暗闇という認識は、つい最近まで、いやまだ
続いている見方かもしれない。暗闇には暗闇の力がある。その力の象徴としての
梟に敬意を表しているのが掲句である。
どの波も富士のかたちに春を待つ 佐藤 成之
建国日富士には煙突が似合ふ 津高里永子
の「富士」二句に触れることができなかった。
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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