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小熊座・月刊
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2009 VOL.25 NO.289 俳句時評
虚子のこととあべかんのこと 渡辺 誠一郎
高浜虚子が亡くなって今年で五十年になる。
『高浜虚子の世界』 (角川学芸出版)が刊行され、「俳句研究」では春の号で特集を組んだ。
あらためて虚子が書いたものを読むと、論点が解るようでわかりにくく、どこかぬかに釘のようなところがあってなかなか正体が見えないようなところがある。茫洋としてつかみ所がない。それはそれで虚子の魅力となっているが、鼻につくところでもある。
「私は芭蕉の真似、子規の真似はしない。どこまでも虚子で推し通す。古来今来唯一人である虚子推し通す。にせものの芭蕉や子規にはならず、本ものの虚子で推し通す。」まさに闘志剥き出しで、鼻につくのはこのような文章だが、下手な綺麗事を言わないのも虚子らしさだろう。
虚子には、「私は元来主観尊重論者である。唯その主観は客観の形態を具備したものでなければ価値がない。」(『俳壇』)との言葉があるが、主観と客観の言葉の曖昧さは問わないとしても、虚子の魅力ある作品の多くは、主観が客観という地面から土を被りながら竹の子が突き出してくるような生命感に溢れているのが多い。
天地の間にほろと時雨かな
初空や大悪人虚子の頭上に
帚木に影といふものありにけり
神にませばまこと美はし那智の瀧
去年今年貫く棒の如きもの
いずれの作品も、虚子のいう「客観写生」や「花鳥諷詠詩」なる言葉を超えて、何より虚子の存在そのものを超えていった世界ということができる。まぎれもない虚子の世界だ。虚子を語るには虚子の世界を飲み込む力がいる。
ところで、虚子は自ら「守旧派」を自認したが、「いつまでも前衛でありたい」と言ったのは阿部完市だ。阿部は虚子の「帚木」の句について次のように評している。「私を「いきなり」うち、たたき、直感せしめ、よしと思わせてしまう。」し、「直感読み」によって「理解し、説明する以前に納得する−胸に落ちる」と。
「いきなり」が示す一種の道理、事実を私は感覚論理と言い、認め、実感したいと思う。」
(『絶対本質の俳句論』)とも。また、「那智の瀧」の句については、「「内面の光」の一句あるいは神的意識に近づくというひとつ景色がこの一句の只中にみてとれ」、「歴史という時間」
(「あべかんの難解俳句入門」)を直感させるとする。
このように阿部は虚子の作品のいくつかに強く共感を寄せるが、この点は虚子と阿部の両者の世界を解読する手掛かりになるように思える。それは両者の作品の通底する主観−主体の強さ、そして言葉−表現の力があるからだろう。
その阿部完市は、現代俳句協会大賞の受賞が決定し、三月の受賞式を前に、この二月十九日に逝去した。
二〇〇四年より二〇〇八年までの句を収めた『水売』(二月刊)が最後の句集となった。
「あとがき」には、「すべて、病中吟。つねに「今」の私の一句一句でありたいと念じている。」と、いかにも阿部らしい言葉で締め括ってある。阿部ほど、自覚的に「今」−現代にこだわりながら俳句を作りつづけた俳人はまれだといっていい。
冬眠の蛇の如くに尊しや
白墨一本その他をさがしさがし善人
直線はまがつています末の松山
川の絵が上手ですから早起きです
ごはん食べて母ていねいに生きにけり
途中峠とて花折峠とてしかし雨
不発弾ひとつはこんで馬帰る
しもやけしもやけまつさかさまである
桜騒箱をならべて箱のこと
寒桜われら神妙である
花茣蓙をひろげておるすばんかな
山々や三百六十五日と休日
句集の帯に掲げられた自選十二句を並べてみると、物の存在と抽象を直感した作法は健在だが、心なしかゆったりとした諷詠さが目立ち、「難解俳句」の世界とは違う作品も見える。「冬眠」、「花茣蓙」、「山々」の作品は、阿部の言う「イメージを書く」行為、あるいは「純粋
意識」からは遠く、妙に「完結」してしまった作品のように思えてならない。その他の作品は、 < とんぼ連れて味方あつまる山の国 >や< 栃木にいろいろ雨のたましいもいたり >などの人口に膾炙された作品と同じように、透明感をもって懐旧性が静かに浮かび上がるような世界だ。
阿部はどこかで自身の俳句の素材は、「言葉それ自体」であると述べたことがあるが、そこで仕上がった作品世界はノスタルジーを帯びた懐旧性なる「心景」に他ならない。
この阿部の俳句世界は、五七五の韻律を持った言葉に添い、作者という今の存在をあくまでも作品創造の契機としている。そこでの確かさや不安を「素」の感覚そのまま、説明の領域を超えて瞬間の言葉として差し出すこと。そのことを通して生まれる世界こそ信じようとす
る姿勢だ。ここで差し出された言葉は「かけがえのない」切実な世界。それゆえ紛れもない阿部完市の世界が出来上がる。これは先の虚子の主観尊重論と絶妙に重なり合うものではないか。
そして今、虚子と阿部のその先の俳句をわれわれに求められている。ながながと感想を綴って、すでに紙面が尽きてしまったが、私が阿部完市にはじめてあったのは、確か十年以上も前のことで、小熊座の大会後に行なわれた鳴子吟行のときだと記憶している。その時、
<鮎たべてそつと重たくなりにけり>の句をわれわれに見せてくれた。阿部がバスの後方で心地よく、句帖を片手に、「そつと重たく」座っていた姿を今も鮮明に思い出す。
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問わない |