小 熊 座 2009/5 bQ88 小熊座の好句
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      2009/6 bQ89 小熊座の好句  高野ムツオ



   
蠅生まる人の波間の暗きより     山本 源

  この句の焦点は、「人の波間」をどう読むかというところだろう。
 「人波」といえば、群衆が押し合ったり揺れ合ったりしてひしめい
 ているさまを表すが、その群衆の間から蠅が生まれてきたとは、

 なかなか想像しにくい。「波」は、世の中の動きや騒ぎを比喩的
 に表現するのに用いるときもある。「世の波」とか「事件の余波」
 といった具合だ。たぶん、この句も、両方の「波」の意味を兼ね

 備えているのだろう。しかし、それだけでは、抽象的な意味を
 比喩的に担っているだけで、詩のイメージを形作っていること
 にはならない。映像として、「人の波間」を表現し得ているかが、
 
 普遍性を得るかどうかの分かれ目となる。私は、この句に、
 下町の雑多な商店街を思い浮かべる。例えば東京のアメ横
 など。干物が露台に並び、安物の上着が風に揺れる。そして、
 
 その上をひっきりなしに甲高い売り声が飛び交う。蠅は、そう
 した人間の生の波間に、ひっそりと、しかし、たくましく生まれる
 のだ。生命感あふれる句と思うがどうであろう。
 
 
  人間のまま日を浴びぬ土筆原      冨所 大輔
 
  この句は一瞬虚を突かれたような感じを読み手に抱かせる。
 「人間のまま」という物言いが、以前は人間でなかったか、
 もしくは、今後、人間でなくなる日が来ることを前提にしている
 
 からだ。前者とすれば、異種婚姻譚の主人公の蛇女房あたり
 が思い浮かぶ。いや羽衣を漁師に盗られ、やむを得ず、その
 妻となった天女かもしれない。それも面白い読みの一つだが、
 
 むしろ作者の土に帰る日を間近にした、老境のありようと読む
 べきだろう。いずれ自分も、この草原の土となり、そして、一本
 の土筆となって、ここに立つ日が来るだろう。しかし、今はまだ

 人間として、ここに太陽を浴び命を永らえているという意味だ。
 今という瞬間も、今まで過ごしてきた無数の瞬間の一つに
 過ぎないが、もう二度と巡り会うことのない、かけがえのない
 
 時間であるとの思いが、この句にはこめられているのでは
 ないか。


   後の世も春の河原を塒とし       柳 正子

  この句の発想にも共通したものが感じられる。塒としている
 のが残り鴨では、少し寂しい。空高く囀る雲雀もいいが、どこ
 にでもいる河原鶸あたりが、この句には似つかわしそうだ。

  群れを作り、小さな声で仲間を呼びながら、共に懸命に
 生きる。そういう来世を夢見ているのである。


   田返しや己れといふも荒蕪の地    森 黄耿

  この句にも自然事象と自分との一体感がある。しかし、前
 の二句との決定的な違いは、作者が執しているのが、現在
 只今の自分の生であるという点だ。もっとも、冨所や柳の句

 も、来世に視座を向けることが、そのまま現在只今の生を
 見据えることにつながっているのは、いうまでもないことだが。

  
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