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小熊座・月刊
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2009 VOL.25 NO.290 俳句時評
先達の教え 佐藤 成之
つい最近、自分の俳句が全く進歩していないということに愕然とした。どんなに怠けていたかということである。ようやく危機感を持ったのだが、そんな折出会ったのが『新・俳人名言集』という一冊である。芭蕉を中心に江戸から現代までの八十余人の名言が収録されたこの
本は復本一郎氏の著作。滋養に満ちた教えが確かにあった。では、自身の態度を反省しながら、そこからの言葉を引用し、俳句について考えていきたいと思う。
「心の作はよし、詞の作は好むべからず。(芭蕉)」
筆者によれば、貞門、談林、蕉門を通じて、「作意」は、つねに俳諧の枢要を占めていたことが明らかとなった、とある。そして、それらは、いずれも定家の『詠歌大概』中の「情は新きを以つて先とし、詞は旧きを以つて用べし」とのかかわりにおいて説かれていた。上の芭蕉
の言葉も、まさにそのことを言ったものである。「作」(作意)は、「心」において求めるべきものであり、「詞」に求めるべきではないというのである。しかし、芭蕉俳諧は、「作意」と無関係のように思われているが、「作意」から生まれた作品も結構ある、と指摘する。
思えば、「おくのほそ道」にあっては、実際の日付や天候と詠まれた作品に食い違いがあることは、もはや周知の通りである。よりドラマチックなものとするための作意に満ちた旅といってよいのかもしれない。心の作意を実現するために、結果的に詞の作意という方法が選ば
れたと考えてみてもよいのではないか。そもそも創作には「作者の意図」がまず存在するのだ。その表現としての言葉である。見え透いた「作意」は鑑賞の興味を損なうが、読み手にも言葉の作意を受け入れるだけの度量はある。その奥にある心の作意を掴み取るために。
避けなくてはならないのは、「作意」ではなく内容を誤魔化すための「作為」の方である。要するに、中身もないのに小手先だけで俳句を作るな、ということなのだろう。ついつい技術的に五七五を並べ替え、一句を作った気になって自己満足してしまうことがある。が、そこには手
垢まみれの十七文字と退屈な理屈しか残らない。頭でっかちな俳句はやせ細るしかない。必要なのは薄っぺらなテクニシャンではなく、魂のこもった職人なのである。そして、芭蕉は次のような言葉を残す。
「俳諧は無分別なるに高みあり。(芭蕉)」
著者のいうように、実作者にとって「無分別」とは、そう簡単なことではない。これは「理屈」を嫌った芭蕉ならではの名言である。広辞苑によれば、無分別とは仏教用語では「主体と客体との区別を超え、対象を言葉や概念によって把握しようとしないこと。」とある。私的に解釈
を進めれば、知識や経験によって物事を捉えるのではなく、対象には無心に接せよとなる。
「俳諧は三尺の童にさせよ。」というもっとも知られた芭蕉の言葉と同様の意味であろう。「俳諧の華は新しみ」といったのも芭蕉だが、「新しみ」を獲得するには、子どものように邪念の
ない眼と好奇心が必要だったのである。言い換えれば、素直さ、初心といってもよいだろう。同時に、それは技巧に走る弟子への警鐘でもあったのだ。自然の中に身を置き一体となることによって見えてくるもの。無我の境地の核としてのわれ。だが、その高みにのぼるにはこ
れから相当な修行が欠かせないに違いない。芭蕉という俳人の人生観や世界観の根幹である「無常」とのかかわりが意識される。そしてそれを実行するものが旅だったのである。
「薄と軽は違あるべし。(去来)」
この解説を引用すれば、芭蕉の「かるみ」は、長年の「おもみ」を濾過した結果としての「かるみ」であり、年季が入っているのである。芭蕉の側近である去来には、そのことがよく分かっていたのであろう。世間が理解している「かるみ」は「かるみ」ではなく「卑薄」であるとも言っている、とある。
<軽薄短小>と称された昭和の晩年。短歌には<ライト・ヴァース>なるものが出現し、一世を風靡したのもそのころ。それから少し遅れて俳諧にもその波は訪れた。誰もが気軽に俳句を作るようになり、大手飲料メーカーによる俳句コンテストは飛躍的に応募数を伸ばした。しか
し、それは裾野を広げたばかりでなく、その後も俳句を志す人間に影響を与えたということは間違いない事実だろう。でもあれから二十年。そのとき生まれた子どもたちも成人しているのである。もう一度ひとりの大人とし、現在、俳句の置かれた状況を見直す必要があるので
はないだろうか。そして、作者としての姿勢を考え直す必要があるのではないだろうか。人は絶えず進化し続ける。もし何も考えることがなければ老化でしかないし、肉体も記憶も退化するしかない。俳句に向き合う人間の義務として誇りとして、先人が作り上げてきた文化を後輩
たちに継承していかなければならないのである。
「世道・俳道・是又斉物にして、二つなき処にて御座候。(芭蕉)」
説明には、「斉物」は「一つ」の意。生きるということと、俳諧(俳句)に携わるということは、決して別々のことではない。上の言葉は、芭蕉の俳句観の到達点を示すものと理解してよいであろう、とある。芭蕉、四十八歳である。
俳句という風雅の道理にあそぶ私たちも、社会という規律の中で暮らしを立てている。だから、世の中を何も知らずして、俳句の道を究めることはできないのである。句を作るのに常識は無用であるが、「座」の文学であるものにとって人情を解するのは当然のこと。人間道と
いってもよい。俳句を単なる文芸としてではなく、信念の芸術として認めるならば、それは人生の目的を現実化するためのもっとも有効な手段であるといってよいだろう。
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