小 熊 座 2009/8 bQ91 小熊座の好句
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      2009/8 bQ91 小熊座の好句  高野ムツオ



   
鵺鳴きしことはさておき美容液     津高 里永子

  「鵺」は季語としては、虎鶫の別名ということになっている。
 口笛を吹くにも似た気味の悪い声で、夜更けや明け方に鳴く
 ので、古くから怪異の一つとされてきた。だから、この句も
 虎鶫の声として鑑賞するのが基本だろう。

  しかし、やはり鵺は鵺であって、怪異そのものの声のイメージ
 はどこまでもついてくる。鵺は『古事記』や『万葉集』にも登場する。
 江戸の歌川国芳の版画などでは顔は猿、手足は虎、尾は蛇と
 いう姿で表された。

  しかし、むしろ『平家物語』にあるように「鵺の声で鳴く得体の
 知れないもの」である方が、凶鳥としてのリアリティを発揮する。
 『平家物語』の鵺は清涼殿に黒煙を放ち、二条天皇を病に陥らせ、
 ついには弓の達人源頼政によって退治された。
 
 しかし、死ののちも鵺の怨霊は、あちこちで人間に祟り続ける。
 どうやら、鵺は菅原道真始め各地の虐げられた人々、つまりは、
 反権力である「まつらわぬものたち」の喩でもあったようだ。
 
  また、句にあまり関わりないことまで、書き付けてしまった。私
 自身の覚え書きとして許して欲しい。この句は、そういう不吉な
 鵺の声を耳にしながらも、そんなことより自分の肌の管理が大切
 とばかり、美容液を塗ることに精を出しているという句だ。
 
 それは鵺の不吉さを信じていないというのではない。美しさを保つ
 ことが大事としているのでもない。不吉は不吉としながらも、まずは
 明日へと向かわねばと自ら言い聞かせている句なのだ。そこに
 現代の女性らしいたくましさを読み取ることができる。

 しかし、なかなかにシリアス。自らに、無理に言い聞かせているか
 のようでもある。なぜなら、鵺の声は自分の心の中から聞こえて
 くるからだ。



  やませ吹く呂律まわらぬ程生きて      古山 のぼる

  今年また吹いてきたやませと向き合い、これまでやませと闘って
 きた歳月を振り返っている句だ。やませはいうまでもなく東北地方
 に冷害をもたらしてきた風。しかし、「呂律まわらぬ」のは現在の
 
 自身のありようなのではない。これまでの苦しい歳月そのものなの
 である。舌が回らず、何を話しているのか自分でもわからぬほど、
 必死に生きてきたことへの思いだ。そして、その果てにまた今年、
 
 やませと対峙している。だから、単なる回想、慨嘆の句ではない。
 これからも呂律まわらぬ時間を生き抜く、その覚悟の思いがこもっ
 ているのだ。



   迷い鯨ここは地球の上っつら       畠 淑子

 鯨が港に迷い込んできたニュースがあったから、そこからの発想
 かもしれない。しかし、ここはまだ迷い鯨が本当は行きたかった
 宇宙のユートピアではないとのひらめきが、作者のやさしさに加えて

 人間社会への批判をも表現することにつながった。次の二句も
 銀蠅という嫌われ者、つまり弱者への思いやりがこめられている。

   銀蠅に虹の匂いや雨上がり       武田 香津子
   満月の夜へ銀蠅送り出す         柳尾 ミオ

  
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